古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

或る人は[x]の流れ落ちるが如き黒髪を優しく見守りたるものである

f:id:shiroxatou:20210112232201j:image

 

 

私、流川渚(るかわ なぎさ)はとある街で美容師をやっている。地域密着をうたう美容室で、席は10席くらい、美容師は15人在籍していて、ローテーションで回っている。この業界の中ではかなりホワイトな部類だと思う。福利厚生はちゃんとしているし、スキルがあがった分をしっかり周りが認めてくれると、その分昇給もある。そんな感じなので、専門学校を卒業して以来、私はこの美容室『星鏡(ほしかがみ)』にお世話になっている次第だ。

 

常連さんも何人かいる。今日は、その中から、とある女の子について、少し話してみようと思う。幸せになる彼女の道筋を、少しばかり垣間見てきた身として、だ。

 

私が『星鏡』に就職してから3年目の時だった。うちのお店は2年目からカットの担当をさせてもらえ、少しずつ経験を積んでいた頃。

 

「こんにちは……」

からんからんというお店の扉を開く鈴の音が控えめに響く。おそるおそる、という感じで、高校生になったばかりくらいだろうか、ひとりの女の子が入ってきた。随分と、可愛い子だった。幼さが少しあるとは言え、これからどんどん綺麗になることがはっきりとわかる。こういう業界ではあるので、おしゃれで可愛い、または、綺麗な同僚や知り合いもたくさんいるのだけれど(自慢じゃないが私だってそこそこ可愛い部類だと言ってもらってはいるのだ)、本当に才能だけで美人という、ある意味サラブレッドみたいな女の子だった。

 

店長(アラフォーの女傑。この業界では一目置かれているらしい)が捕まえて、声をかけていた。緊張をほぐすように、営業の笑顔をいつもより二割増しにしている。
「あの、カットをお願いしたいんです。高校生でも、大丈夫ですか?」
「はい、もちろん!切ってもらいたい美容師の希望はありますか?お姉さん?お兄さん?」
「あの、男の人は少し苦手なので、女の人がいいんですが……」
「はあい。年齢も近い方がいいかな?そうねえ……。るかっち!このお客さん、お願いできるかしら?」
「あ……はい!」
私が担当できたらいいな、とうっすら思っていたところだったので、いわゆる渡りに船というやつ。ということで。これが、私と、彼女、古橋文乃ちゃんとの、縁の始まりとなったのだった。

 

⭐️

 

「こんにちは。担当させてもらう、流川といいます。よろしくね!」
「あ……はい。古橋文乃です。よろしくお願いします」
「今日はカット、ですね?どんな髪型にしたいとか、希望はあるのかな?」
「えっと。基本的には、ずっと伸ばしていたいので、毛先を整えるくらいがいいんです」
「そっかそっか。長い髪って、伸ばすまで大変だもんね。じゃあ、綺麗に伸ばし続けられるようにやってみるね」
そうして、彼女の髪を梳く。ため息がでそうだった。感心するくらい、綺麗な黒髪。美しく流れ落ちる、というのか。重力で、というんじゃなくて。舞い落ちる桜みたいなんだ。髪の毛を形容するのにどうかとも思うが。儚さを感じさせて。まー、もう、美容師冥利に尽きる。最初は彼女は緊張していた。だが、その後も、2回、3回と来てくれるようになって、その度に私を指名してくれるのだ。可愛いお客さんに好かれているのは、やはりとっても嬉しいもので。彼女、仲良くなるにつれて、はっしー、と呼ぶようになったのだけど、可愛くて人懐っこい子で、私だけかもしれないけれど、勝手に妹みたいに思うほどだった。

 

年月を重ねるにつれて、私の読み通り、はっしーはどんどん綺麗に、美人になっていき。そのうち、予約して来店する日には、男性スタッフが浮き足立つほどになっているくらいだった。はっしーとの話題は、食べ物が8割、ファッションが2割だ。いろいろと話題を試してみたが、ここら辺が一番盛り上がるから。美味しいものが好きみたいで、私がお客さんに教えてもらった新しいレストランとか、人気のかき氷屋さんとかの話をすると、もうにこにこしていた。とはいえ。まあ、礼儀作法みたいなところもある話題もある。年頃の女の子といえば、ということで。
「はっしー、好きな人、いるの?」
と、たまにさらっと聞くことはあった。その度に、
「いないですよ、あはは」
と明るくかわされていた。まあ、かわされるのだが、その実、本当にそういう人はいないようで。いつの日か恋をするのだろうか?と、余計なお世話なことを考えることもあり。そんな日々が積み重なって、変化が見られる時がやってきたのだった。

 

⭐️

 

はっしーこと、古橋文乃ちゃんが高校3年生になった。いっそう美人に磨きがかかり。下手なモデルさんよりも、私は可愛いと密かに思っているくらいだ。勝手に、自慢の妹にしている。そんな彼女が、どうも、笑顔が増えたのだ。
「はっしー、なんかいいことあった?」
そう、さらりと水を向けてみると。
「わたし、進路のことで、ずっと悩んでいたんですけど。応援してくれる人に出会えたんです!少しずつですけど、夢に近づけている気がしていて。毎日、結構充実してるんですよ」
とのこと。なんでも、同級生が教育係とやらを引き受けてくれて、苦手な教科を教えてくれているようで。その関係のことを、とっても生き生きと話してくれるのだ。これがまー、嬉しそうで。満喫してるのが伝わってくる。聞いている私も思わずにこにこしてしまうくらいだったのだ。なんとなーく、男の子かな?という気もしたのだが、まだそういう気配は感じなくて。進展ありやなしや、と思っていたら、まあ、ね。

 

「はっしー、友達と叶恵駅近くの縁日に浴衣着ていくんだって言っていたけど、どうだった?」
ある夏の日のこと。彼女が来店してくれて、なんとなくその話をしたところ。
「え、あ、まあ、楽しかったです!賑やかで、はい」
とまあ、えらくあたふたしている。顔が赤い。はーん、何かあったなと思い。
「……男の子?」
そう追撃してみた。
「え……と。どう、でしょう。あはは……」
とまあ、図星なリアクション。あまりいじめたくもないし、もう少しそういう気持ちを見ていたくもあり、それ以上の追求は避けてみた。聞きたくてしょうがなかったのだけれど。

 

そして。秋も深くなった頃には。お父さんから、誕生日プレゼントをもらったんだ、という話を、嬉しそうにしてくれて。彼女から家族の話を聞いたのは初めてのことだったので驚きつつも。よほどはっしーにはポジティブなサプライズだったらしくて、よかったねえ、と自称お姉ちゃんとしてもほっとしたりもした。その話の流れで。
「成幸くんのおかげで、」
と。これまた、初めて。はっしーの口から男の子の名前が出るなんて!
「なりゆき、くん」
思わず私は復唱してしまった。
「あ、あ、あはは!なんでも、なんでもないんですよ!ただの同級生で、教育係で、優しいんですけど、鈍感で。弟みたいで、それ以上でないというか」
もう、まあ、とっても面白いくらいに狼狽していて。いつもしっかりとした日本語でしゃべるはっしーからは想像がつかない、はちゃめちゃな日本語でもあり。謎の「なりゆきくん」。気になってしょうがなかったものの。なんとなーく。
「好きなの?」
とは聞かなかった。はっしーのそれは、多分初恋で。そんな言葉をかけるのは、野暮に過ぎるように思えたのだ。大事に、大切に、気持ちを育ててほしかった。恋は、叶うかどうかわからないものだけれども、その過程のドキドキは、かけがえのないものだから。下手な言葉で、他人が口出しするのはやめようと、そんなことを柄にもなく私は感じていた。

 

⭐️

 

3月になった。
「合格しました!」
「おお〜!おめでとう!」
というはっしー。
天花大学という、理学部の名門らしい。私にはいまいち難しさがぴんときてはいないのだけれど、いかにはっしーが頑張ってきたのかは知っているので、その努力が報われたことについては、心の底から嬉しい。だが。当の本人。どうにも、伏目がちで冴えない表情が多くて。珍しく、あまり話も盛り上がらず。そして、まさかの。
「髪、短くしたら、どう思いますか?」
と、そんなことさえ聞かれてしまったのだ。
「えっと。はっしー、美人さんだから、絶対似合うと思うけど。女優さんのカタログ、出してみよっか?」
「……あ、ごめんなさい。なんでも、ないです……」
と、そこでまた、会話は途切れてしまった。
気分を変えたいのかもしれなくて。
あちゃあ、恋がこじれちゃったかな。いつもならご機嫌でお店を出て行くのにどこか肩を落としているようにすら見えるはっしー。その時は、心配しながら、見送るしかなかったのだが。

 

そのあとあまり間をおかずに、再びはっしーはお店に来てくれた。
「あの、卒業式代表で答辞をすることになって。それで、お父さんが晴れの舞台に備えていってきなさいって言ってくれたのできちゃいました」
そう、はにかみながら教えてくれた。随分と、彼女の雰囲気は変わっていた。この前は上擦りかけていた声は、落ち着いていて、華やいですらいた。とても明るい笑顔が多くて、喋っていない時には鼻歌が聞こえてきそうなくらい、ご機嫌だった。

 

やっぱり恋をしているのだ。

 

そして、いい結果になったのだと思う。

 

私は心底安堵して。ガッツポーズを心の中でしたのだった。

 

⭐️

 

はっしーは大学生になった。どんどん綺麗になっていく。本当に、うらやましいことだ。そんな、ある秋の日のこと。いつもよりもはっきりとうきうきしていることがよくわかり、もー、苦笑するしかなかった。今回は、はっきりと鼻歌さえ聴こえる。
「それ、ムーン・リバーだね」
「あ、わかりますか?ティファニーで朝食を。オードリー・ヘップバーン、大好きなんです」
そんな会話を交わしながら、私も嬉しくなる。

 

お会計の時に、思わず、ぽろりと口に出してしまった。
「……デート?」
「はい!」
もう、可愛くてたまらない笑顔で。私も思わず好きになってしまうくらいだ。その時、お店の外にひとりの男の子に気がついた。優しそうな、眼鏡のその子が、はっしーに向かってにこやかに手を振っている。ああ、あれが例の。なりゆきくん、なのだろう。はっしーはにこやかに手を振りかえす。お釣りを渡して、「ありがとうございました!」と彼女が言った時。
「いってらっしゃい」
と、私は伝えながら、彼女の背中をそおっと押した。なんだろう。お姉ちゃんとして、妹分ににいろんな気持ちを伝えたくて。ぺこりとしながら、はっしーは外の彼の元へ駆け寄っていった。そろそろ、惚気話を聞いてあげてもいいのかもしれなくて。次にお店に来た時は、根掘り葉掘り聞いてしまおうか、とも思ったり。やれやれ、と呟きながらも、私は笑顔を隠せないのだった。

 

(おしまい)