唯我花枝の場合
息子、成幸の様子が、最近おかしい。
卒業旅行から戻ってきてからだ。家の中での笑顔が増えたし、何かを思い出しているのか、ニヤニヤしていることが多い。
これはもしや、あの奥手の成幸に、彼女ができたのでは!?
というのが、あたしの読みだ。
候補は、5人いる。古橋文乃こと文ちゃん、緒方理珠ことりっちゃん、武元うるかちゃんことうるちゃん、小美浪あすみことあすみちゃん、桐須真冬こと真冬ちゃん。
……5人もいる!ということ自体でもかなり驚きなのだけれど、それ以上に、どの子もまあ、魅力的で、多士済々なのだ。綺麗、可愛い、美人。明るい、笑顔が多い、クール、かっこいい。スレンダー、グラマー、顔ちっちゃい。面倒見がよさそう、子供に好かれそう、要領がよさそう。etcetc。
成幸と彼女たちの間にどんなやりとりがあって、どんな恋愛劇になっているのか、もちろん逐一知っているわけではないのだけれど、母親としては、常に気になっていた。
ただ、なんとなく、おそらくこの子だろうな、という気はしている。
古橋文乃こと、文ちゃん、だ。
年明けのセンター試験で、階段の近くで足を滑らせてしまった成幸を、咄嗟に文ちゃんが助けてくれて、ただし、そのせいで捻挫をしてしまったのだ。
成幸は、文ちゃんのサポートをどうしてもしたいと言って聞かず。デリケートな時期なので、遠慮したほうがよいのでは、とも言い聞かせたのだが、決意は覆せなかった。そこで、あたしはなによりも当事者である文ちゃんが良いのであれば、という条件を付けた。その上で、保護者の務めとして文ちゃんのお父さんである、古橋零侍さんにお願いをしたのだった。
文ちゃんも、成幸のサポートを受け入れてくれたようで。そこから、成幸の文ちゃんの家通いが始まった。
思えば、その頃から、成幸の雰囲気は変わっていっていた。一言で表すと、柔らかくなった。
もともと優しい性格の子ではあるものの、より穏やかになったというか。振る舞いが丁寧になったというか。
まあ、わかりやすいのは文ちゃんの話題をふったときなのだけれど。
それまでは、誰が好きなの?という鎌掛けをしても、顔を赤くしながらそんな関係じゃないっ!と怒るのが常だった。
それなのに、通い始めてから、文ちゃん、調子どう?という恋とは関係のない話題をしても、別に、なんにもないよ、と何かを逸らすような答えが増えたのだ。目が泳ぐことが多く。そんなことで母親の目は誤魔化せない。
ははーん、成幸の心の中での、文ちゃんのポジションが変化しているんだな、ということは容易にわかった。
憎からず想う女の子と、一緒にいられる時間が増えたのだ。むろん、そのきっかけは不純なものではなかったとしても。朴念仁でもある息子の心を揺らす文ちゃん、さすが、と思うのであった。
さて、成幸はいつ、教えてくれるのだろうか。もしくは、白状するのだろうか。そんなことが最近の一番のあたしの楽しみなのだった。
古橋零侍の場合
娘、文乃の様子が最近おかしい。
いつも表情が豊かな娘だが、いつになく笑顔が増えた。上機嫌なことが多く、何気ないときの鼻唄も多い。卒業旅行の後からだ。
一時期はその真逆だったのだ。
大学の合格発表の後だった。無事、合格が決まり、当然喜ぶべき結果であるはずなのに。その事実を私に伝えた後は、その日は部屋に閉じこもってしまったのだ。そこからあまり顔をあわせることもなく。私を避けて、ということではないようで、自分の中で気持ちを整理したいの、とは言っていた。なんのことかは、よくわからなかったが。
あの男。唯我成幸が、文乃のサポートにきていたことがこれらのことに関係あったのか、どうか。
唯我花枝さんから電話があり、そのことを話された私は、当然最初は断った。文乃の事故はある意味しょうがないもので、彼に一義的な責任があるわけではないからだ。お互い、受験の前ということもある。
しかし、彼の決意がどうしても固いらしく。唯我花枝さんの、一度成幸から直接文ちゃんにお願いだけでもさせてくれませんか?文ちゃんの返事がダメなら、諦めさせますから、ということで、引き受けた結果。文乃もサポートを受けたいということになったのだ。
私もひとりの年頃の娘の親だ。
保護者、本人とも面識があるとはいえ。異性同士が一つ屋根の下に長時間一緒にいることを許可する、ということに抵抗がないわけがない。
大事な娘だ。何かあっては取り返しがつかない。
私は人の心の機微に聡いわけではないが、木の股から産まれたわけでもないので、文乃がその男を憎からず思っていることくらいは気づく。
その男がサポートにくることになってからの文乃の気合いの入り具合は誰が見てもわかるものだし。例えば、鏡の前で髪型を決めるのにやたらと時間がかかったり。朝、服を2回3回着替えたり、だ。何よりも、文乃の嬉しそうな雰囲気は、雄弁に物語っていた。だかこそ、余計に心配なのだった。
しかし、そんなことがあってからの文乃の気持ちの起伏。私には分かりかねることが多すぎて。かなり仲が修復されたとは言え、男親としてはそこは踏み込んで聞きづらい。
私はとある人を頼ることにし、電話をかけてみるのだった。
父親のケース、母親のケース
「急にお呼びだてしてすいません、唯我さん」
「いいんですよ、古橋さん。それで、今日はどうかしましたか?」
あたしは、古橋零侍さんから相談があるのだが、とのことで、商店街の喫茶店に来ていた。直感的に、あ、文ちゃんのことだな、とは思っていたのだが。案の定。
「文乃が、最近おかしいんです。マイナスの方向では、ないんですが」
「実は、うちの成幸もそうなんですよ。幸せそうなオーラがすごくって」
「……そう、ですか。文乃と同じですね。お恥ずかしいのですが、親として、いや、男親として、娘がそんな状態になることに思い当たる節がなくて」
あたしは思わず吹き出しそうになる。真面目な古橋さんらしい。だが、むべなるかな。大事な一人娘なのだ、そういう想像は、無意識にしたくないのかもしれない。たぶん、古橋さんは回りくどい言い回しが好きではないだろうから、あたしは率直に自分の考えを伝えることにした。
「本人に聞かないとはっきりとはわからないですけど。……成幸と文ちゃん、付き合い始めたんだと思いますよ」
「……んなっ……!!」
あのクールな古橋さんが、目を見開いて席から立ち上がる。周囲が驚いていて、この席に視線が集中していた。
「古橋さん、落ち着いて。座ってください」
あたしは苦笑いしながら、古橋さんを宥める。
「いや、しかし、そんな……」
少なからず、ショックを受けているようで。でもまあ、男親のリアクションとしては、極めて正常なものなのだろう。
「古橋さん。成幸は、あたしの自慢の息子なんです。真っ直ぐに育った家族思いの優しい子。文ちゃんのこともきっと大切にするはずですし、きっと文ちゃんもそれがわかっているから選んだんだと思いますよ」
「文ちゃんも素敵な女の子です。だから、文ちゃんの人を見る目を、信じてあげてもいいんじゃないですか?」
「……そういうもの、でしょうか」
「そうですよ。お互い、子供達に任せてみては?子供は成長しているものですよ。大人が思っているよりも、ずっと早い速度で」
「……はい」
古橋さんは、黙って頷くと、コーヒーを一口飲んで。今日は古橋さんの愚痴を聞いてあげよう、とあたしは思うのだった。
彼女と彼女
「こんにちは〜」
玄関先に現れたのは、噂の古橋文乃こと文ちゃん。
「あら、文ちゃん!久しぶりね〜、どうしたの?」
タイミングがいいというか、なんというか。古橋零侍さんと話した次の日のことだ。
「なりゆ……唯我くんにお借りしていた参考書を返しにきたんですけど……」
「ああ、いまお使いを頼んでるのよ。すぐ帰ると思うから、あがって待っててくれる?」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
そういって、文ちゃんとあたしは、居間で向き合うことになるのだった。
「はい、お茶とお饅頭。よければ食べてね」
「ありがとうございます、おばさま」
お互い、ズズーとお茶を啜る。
「そういえば、卒業旅行はどうだったの?成幸に聞いても、なんだかちゃんと教えてくれないのよね」
「あはは、男の子ってそういうものかも。桐須先生の親戚の方がですね……」
文ちゃんは、いい子だ。とっても。卒業旅行のお話を、丁寧に教えてくれる。事実、成幸は大した話をしてくれないので、興味深くもあり、あたしと文ちゃんは、そのことで楽しくおしゃべりをした。なんだか少し隠し事があるような話し方ではあったのだが。さて、ふむ。
「ねえ、文ちゃん」
「なんでしょう」
「成幸のこと、好き?」
ぶっとお茶を吹き出してしまう文ちゃん。顔が真っ赤だ。このリアクションは、素直すぎた。
「あ、す、すいません……」
「成幸の様子がここ最近おかしくて、ね。好きな人でもできたのかな?そんな気がするのよ。どうも、文ちゃんじゃないか、とあたしは睨んでいるんだけど」
「あ、あはは、ど、どうなんでしょう……」
文ちゃんの目が泳ぎまくっている。その様が可愛すぎて、おばさんは嬉しくなってしまった。
「女の子の口から言わせるのは、かなりカッコ悪いわよ。ねえ、成幸?」
そこで、がらっと居間の戸が開けられて成幸が現れた。成幸がいるのは、わかっていたわけだけど。
「母さんっ、古橋に何言ってるんだよっ!」
成幸も文ちゃんと同じく、顔が真っ赤だ。
「じゃあ、成幸は文ちゃんのこと、どう思ってるわけ?」
ぐっ……と言葉に詰まる成幸。ちらっと、成幸と文ちゃんが目線を交わしていて。
成幸が、がくっと肩をおとす。
「……俺、古橋のこと、好きなんだ。……古橋も同じ気持ちでいてくれて。付き合ってるんだ」
と、ようやく白状したのだった。
文ちゃんは、困り顔をしつつも。でも、成幸のその言葉に、とても、とっても、嬉しそうな表情も浮かべていて。本当に可愛い子だな、とあたしは実感したのだ。
古橋文乃の場合
成幸くんがおばさまにわたしとの仲を白状させられた後。わたしと成幸くんは、おばさまに座らされて、質問攻めにあったのだった。いつから意識していたのか、とか、どんなところが好きなのか、とか、どんな告白だったのか、とか。成幸くんは答えにくそうだったけれど、もう隠すことはないとないや、とわたしは思ったので、もう全部まっすぐに答えた。おばさまは、とっても嬉しそうだった。最後はなぜか少し涙ぐんでいて、あの奥手の成幸が、こんな美人と付き合えるなんてねえ、お母さんは幸せだよ、なんておっしゃっていた。
「ばれちゃったな、古橋」
「わたしはいつばれてもよかったんだよ?隠す話でもないんだから、ね」
「そうなんだけど。母さん、すぐに言いふらしちゃうからな……」
成幸くんとわたしは並んで歩いている。家まで送ってくれる、というので、成幸くんと少しでも一緒にいたいわたしはそれだけでも幸せなのだ。いまは、彼氏と彼女、なのだし。
「そういえば、親父さんは知ってるのか?」
「んー。知らない、と思う。言ってないから」
そういえば、だ。察するタイプでもないから、わたしの変化でもしかすると悩んでいるかもしれず。
「……今日、教えてあげようかな」
「……それがいいよ。母さんから、よろしくお願いします、なんて言われる前がいいんじゃないか?」
成幸くんは苦笑いだ。自分の親に言うのは確かに照れる。でも、胸を張って言いたくもあるな、とも思った。
だって。
誇りに思うくらいに、大好きな人と結ばれたのだから。
家の近くまできて、門の前にお父さんが待ってくれていることに気づいた。
わたしは手を振ってここだよ、と合図した。お父さんも気がついたようで、片手をあげてくれた。
あらためて、彼氏になった成幸くんをどうやって紹介しようかな。そんなことを、ドキドキしながら考える、わたしなのだった。
(おしまい)