【第一章】
或る冬の日のこと。夕方日が落ちて、急に冷え込んできた。セーターの上にもう一枚羽織って、靴下も二重にしていて、さらに暖房があるとはいえ。やはり寒いものは寒い。
「成幸くん、幸乃、ホットミルクでも飲む?」
とお母さん。
「ありがとう、文乃」
テーブルで本を読んでいたお父さんが、笑顔をお母さんに向けている。
「お母さん、わたしホットミルクにチョコレート溶かしてー!」
最近のお気に入りなのだ。鉄板の組み合わせで、間違いがない。カロリーが一瞬気になるものの……甘い誘惑には、逆らい難いものだ。
ふと、お父さんとお母さんが視線を向け合っていて。にっこりと笑いあった。
「あ、また恋人気分になってる」
よくあることだとはいえ、いつもの通りだ。仲良し、なのは良いのだけれど、未だに恋人みたいな雰囲気になるのはどうなのだろう。年頃の娘の前で。それも、たまにではない。しょっちゅう、だ!
ぶー、とわたしが膨れっ面をしながら指摘すると、2人とも相変わらず照れる。まったく、もう。
「ホットミルクのことで、少し思い出して。ね、成幸くん」
「うん、俺もだよ。大学3年くらいの時だったかな?ほら、文乃の部屋で」
「そうそう。とっても寒かったんだけど……結局、ね」
そういって、2人とも嬉しそうな表情を浮かべている。
「あー、はいはい。まったく、いつもいつも娘の前で惚気ちゃって。毒食うなら皿まで、だよ。聞いてあげるから、教えてよ」
と、わたしは腹を括った。
お父さんとの大切な思い出を引き出す時の、幸せそうな顔で、お母さんが口を開いた。
「今日みたいに、寒い日だったの」
そう、切り出したのだった。
【第二章】
季節は冬の、一月だったと思う。
「寒いねえ……」
「だな。暖房つけてくれているのにな」
「でも、よかった。今日は、成幸くんと一緒だもの。ふふふ」
「俺もだよ、文乃」
わたしと成幸くんは、微笑み合う。
今日は大学の講義が早く終わらせて。出席しない講義には、出席の代わりにレポートを出した。研究室にも、顔だけ出して、読まなければいけない論文データの入ったUSBをぱっととって、すごい勢いですぐに自宅に向かったのだ。なぜなら……。
成幸くんとの、おうちデートの日だから!
大学三年生になると、これまでより輪かけて2人とも忙しくなってしまい。勉強は専門的で難しくなってきた分、手間暇かかるし。アルバイトもせねばならない(わたしは家庭教師、成幸くんは今は洋食屋さんなど)。それで、休日なら必ず会えるわけでもなくて。だけど、そんな中でも、なんとか調整をして、月に一度は会うようにしている。お互い、逢いたいにきまっているからだ。
毎日電話しているし、メッセージだってやりとりしてる。でも、やはり。目の前の成幸くんにいること。それが、わたしには必要で。そして今日が、その日なのだ。
わたしは大学三年生から一人暮らしを始めて、もうすぐ一年になる。慣れないことも多かったけれど、なんとかなっている。
自分なりに好みの家具やカーテンを工夫して、居心地がいいようには心がけている。忙しい日が続くと、たまに掃除が滞ってしまう時もあるのだけれど。
ひとりで生活できるようになるのは大変だ、というのを実感しつつ。たまに成幸くんとふたりっきりになれる空間があるということが、なによりも、嬉しかったりするのだ。
「成幸くん、ホットミルクでも飲む?」
「へえ、いいなあ。久しぶりだよ」
そうして、牛乳を注いだマグカップを2つ(当然のごとく成幸くんとはお揃いのものだ!)、電子レンジであたため終わった直後だった。
がちゃんっ!
部屋の中が一気に薄暗くなってしまった。エアコンの運転音も、すっと消えてしまう。
「もしかして……」
「停電、かもなあ……」
成幸くんにブレーカーを見てもらったけれど、そこだけでは復旧できず。わたしは慌てて電力会社に電話をすると、この地域あたり一帯が停電になってしまったようで。なるべく早く対応しますので、すいません、とかなり低姿勢に言われて。
「しょうがないねえ」
と、わたし。しかし、寒い。どうしようかな、と思っていたら。
「よし」
そう言って成幸くんがにっこり笑った。
「こういう時はさ」
そうして。
「ふふふ、嬉しいな」
わたしと成幸くんは、ソファで肩を寄せ合って、毛布をかぶっていた。手には2人ともホットミルク。
「うち、金がなかったから、家電もなくてさ。冬はこうやってしのいでたよ」
そこで、成幸くんが少し遠い目をする。
「成幸くん、もしかして何か思い出してる?」
「さすが、文乃。気づかれたか。昔のことを、少しね」
「教えて、成幸くん」
「こんなふうに、寒い日はさ、」
成幸くんが、話し始めた。
【第三章】
手に持つホットミルクは、温かい。そして、隣にいる大切な彼女、文乃の熱もまた、そうだ。
「よく、冬はホットミルク飲んでたよ」
「母さん、水希、和樹、葉月と。たまの贅沢で、砂糖ときなこを混ぜることもあってさ」
「へえ、美味しそう!」
「うちはおやつがあんまりなかったからなあ。そういうのを、工夫してたよ」
と、俺は苦笑いだ。
「だけど、あれはうまかったな。また飲みたくなったよ」
そういって、手にしているホットミルクを一口。特別な味付けしているわけではなくて、ほっとする。その熱、だけではなくて。理由はある。
「誰と飲むか、でも違うもんだな」
「え?」
「文乃と一緒だと、なんでも幸せな味がするってこと」
愛しい彼女が傍にいること。久方ぶりに近くにいて。好きでしょうがない自分に気づくのだ。文乃は少し照れながら、嬉しそうな顔。
「わたしも、思い出したよ」
「教えて」
「まだお母さんが元気だった頃にね。わたし、とっても寒がりだったの。それで、よおく、ホットミルクを一緒に飲んでた」
文乃は、にこにこしている。大好きなお母さんの話をしている時は、そうなのだ。
「お母さんはね。キャラメルをふたつ、いれて溶かしてくれていたよ」
「へえ!それは相性良さそうだな!」
「そうなの。甘くて、とっても美味しかったなあ……」
優しい顔をしている文乃。
「お母さんは、お父さんに教えてもらったって言ってたの。お父さんがカナダに留学していた時に、向こうでよくそうしていたみたいで」
「お母さん、お父さんのこと、大切にしていたんだよ。今なら、よくわかる」
お互いの懐かしい話を、身を寄せ合いながらしていると、また、距離が縮まった気がする。
ずずず、とお互いホットミルクをすすり、文乃と俺は、目を合わせて、笑った。
【第四章】
こつん、と文乃が俺に寄り添い、肩に頭を預けた。甘えてくれているのだ。
「成幸くんのこれからの思い出には、わたしのいる場所はあるの?」
「当たり前だろ。文乃が隣にいてくれるから……俺は幸せなんだ」
「えへへ」
「ねえ、わたし、今度、きなこをトッピングしてみたいな」
「俺も。キャラメル、やってみるか」
一瞬の、沈黙。
「文乃」「成幸くん」
お互い、同時に声を掛け合って。どちらも、その声は……甘い。
「んっ……」
考えていたことは、同じで。
そっと目を瞑る文乃に、俺は口づけをする。文乃の綺麗な形の唇に、精一杯の優しさと。何よりも、愛を込めて。
「ん、んっ……」
文乃からの、お返し。交換が、始まって。
俺は、とめられない。文乃も同じようで。
最初は、触れるキスだったのに、いつのまにか、それ以上のキスになってしまい。
「うんっ……、はあっ」
文乃の目が、とろんとしている。
「……身体、あったかくなっちゃったね」
確かに、そうだ。いつのまにか、身体は火照っていて。でも。愛しい彼女と、キスをしあっているのだ。あたたかく、そして、気持ちが熱くならないはずはない。
手も、いつのまにか繋ぎ合っていて。指を絡ませあう。文乃の綺麗な、白くて長い指を。
たまらず、文乃をぐっと抱き寄せた。
「キスより、先は……?」
文乃がそっと囁く。
大好きな彼女に、そんなことを言われて、とまれるはずがなくて。しかし。
……ぱっ!ちかっ、ちかっ……。
そこで、急に停電が直り、部屋が明るくなる。
『!!』
文乃の胸に触れようとしていた手を思わず離す。
これだけ明るい場だと、流石に照れてしまう。
文乃は顔が真っ赤で。きっと、俺も、そうだ。
「あ、あはは!わたし、お料理つくろうかな!成幸くんの好きな、肉じゃがつくろうと思って!」
「あ、ああ。ありがとう。じゃあ俺は、少し本でも読んで待っておくよ」
俺と文乃は、2人とも慌ててその場を取り繕うのだった。
俺も男だ。そういう気持ちになることは、許してもらいたい。一ヶ月ぶりに会う大好きな彼女とふたりきりで、いい感じになってしまったら、急ブレーキはなかなか難しいのだ。
気持ちの切り替えをすべく、なんとか気を逸らす、俺なのだった。
【第五章】
「やっぱりね。そんなことだろうと思ったよ」
幸せそうなエピソードを話されたわたしは、苦い顔でそんなセリフをいった。
飲んでいるチョコレートたくさんのホットミルクは甘いのだけれど、案の定、お父さんとお母さんの思い出はそれ以上に甘くて。
「あ、もしかして……」
わたしは、お父さんのホットミルクからする香りに気がついた。
「キャラメル、だねえ」
そして、お母さんのホットミルクにも。
「きなこ、だねえ」
いつも通り、なのだ。つまり。
「お父さんはお母さんの思い出のトッピングをしていて、お母さんはお父さんの思い出のトッピングをしてるんだねえ」
呆れるほかない。
「文乃と静流おばあちゃんの思い出を忘れたくないから、さ」
というお父さん。
「成幸くんのおうちの家族との思い出を、大切にしたいからね」
というお母さん。
もー、もー、もーだ。わたしは牛ではないけれど、いや、もー、惚気すぎる両親たちだ。
「それにしても、チョコレート、戸棚にも随分あったな?」
あ、やばい!わたしは内心慌てる。気づかれたくなかった。
「ああ、あのね。幸乃が、お菓子づくりに使うんだって」
あー、さすがお母さん!
本当は、気になる男の子にバレンタインにチョコをあげたくて。その練習のために、買い込んでいるのだ。それもあって、ホットミルクの時についつい使ってしまわけで。
お父さんにそこらへんをバレると困るのだが、お母さんがさらっと説明してくれたので助かった。お母さんに、目線をおくって御礼を伝えた。
それにしても、だ。
両親が惚気るたび、毎回思うのだが。お母さんが、うらやましい。同じ女性として、だ。お父さんみたいに、こんなにずっと大切にしてくれる人と、どのくらいの確率で出会えるのだろうか。
少しだけ冷めたホットミルクを飲む。
いつか、あたたかいホットミルクを飲みながら、語り合える恋人が欲しい。そして、お父さんとお母さんに、自慢しなきゃ。そんなことを、わたしは思うのだった。
(おしまい)