古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

やまない雨は[x]を癒やす音である(前編)

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はじめに

 

「おはようー、文乃……ふわあ」

 

「成幸くん、おはよう!最近雨ばかりで憂鬱だから、ちょっと朝ごはん元気がでそうなのにしてみたよ!」

 

「おお〜!チーズリゾット、ポテトサラダに……ミックスジュースか!すごいな〜!」

 

目をまん丸にして成幸くんは驚いてくれる。そんな当たり前のリアクションを、成幸くんはいつも普通にしてくれるのだ。こんな小さな積み重ねは、とても嬉しい。

 

「あのね、ミックスジュースは、いつもと違う組み合わせにしたの。アサイーを買ってみたんだよ。気になっていたんだ。それと、ほうれん草とね……」

 

わたしの熱のこもった解説にも、にこにこしながら耳を傾けてくれる、わたしの愛しい旦那さん。

 

「でも、だいぶ早くに起きて準備してくれたんじゃないか……?ありがとう」

 

最後、ごめんな、ではなく、ありがとう。何気ないことなのだが。成幸くんは、ごめん、よりも、ありがとう、がとても多い。ニュアンスは近い言葉だと思うのだが、耳に入りすぐに拾えて嬉しい言葉は、圧倒的に、ありがとう、だ。たぶん、成幸くんは意識していないのだけれど、彼の人となりがよく、よく、よおくわかる。

 

「今日は、結婚記念日だな」

 

笑顔でいっぱいのわたしは、さらに幸せになってしまう。

 

「ふふふ。嬉しいな。夜は、少し背伸びしたレストラン予約してるからね!」

 

「一ヶ月前からみんなには予定がありますって宣伝してるからな、大丈夫!」

 

そういう成幸くんも幸せそうな笑顔だ。

 

結婚してまる2年が経った。わたしと成幸くんは、幸せで幸せでしょうがない毎日を過ごしている。出会った頃から比べると、好きの伝え方はずっと同じではなく、変わり続けているのだけれど、その総量は、大きくなるばかり。つまり、好きで、好きで、大好きで。毎日、わたしは成幸くんに恋をしている。

 

自惚れではなく、成幸くんも、そうなんだと信じている。かけてくれる甘い言葉も、熱のこもったキスも、抱いてくれる時の力強さも、全部がそれを証明してくれているからだ。

 

わたしは、そんな永遠の幸せが、当たり前のように、続くのだと思っていた。それ以外の未来があることなんか考えたこともなかった。その時がくるまでは。

 

第一章

 

「おはよー、文乃ちゃん」

 

「おはようございます、天津先輩!」

 

あたし、天津星奈が所属する天花大学理学部天文学専攻の研究室の後輩、古橋文乃ちゃん。仲が良いのだ。いつも美人なこの子。今日は、髪をバックを編み込みにしてから、ポニーテールでまとめたアレンジだ。ゆるく柔らかく編み込むこまれていて、優しげな印象を受ける。服は、水色のワンピース。たしか以前一度着ていたなあ。旦那さんに絶対似合うって言われて買ったんです、すごく褒めてもらって嬉しいんですよ、とめちゃくちゃ惚気られたのだった、確か。それを着ているということは……。

 

「文乃ちゃん、今夜旦那さんとデート?……ああ、結婚記念日か!」

 

「そうなんです、えへへ……」

 

満面の笑顔とはこのことだ。あたしのリアクションなどまったく眼中にない、幸せ全開の表情。でも、あたしはこの文乃ちゃん、そして、旦那さんの成幸君のカップルは大好きなのだ。

 

初めて二人のことを知ったとき、お似合い、という言葉はこの2人のために存在するのだろうな、と思った。冗談ではなく、ね。想いあって、永遠に連なる星でいたいと願いあう、彼と彼女。星の明るさで言えばこれこそ一等星だ。照らされる周りはたまったもんではないのだけれど、いつのまにか祝福したくなってしまう。そんなカップルが当たり前のようにあってはたまらないよ。

 

なので、結婚した後でなお、仲が良くて惚気てくれる分にはまったく構わない。構わないのだが……。

 

「……成幸君に言っておいてくれる?あたしに対するお礼が最近足りてないんじゃないかって」

 

「お礼?」

 

「そうそう。あたしの好きな文乃ちゃんをずっと独り占めしてるんだからさ。あたしに銀星コーヒのアップルパイ1ホールおごれって言っておいてよ」

 

「わたしでよければいつでもお付き合いしますよ!」

 

この子は食欲も相当なのだ。食べたくなったのだろう、違う方向で食いついてきた。

 

「おごらせたいのはあなたの旦那さん。……笑っちゃうくらいに、幸せだね、あなたたち」

 

くっくっ、はっはっは、と、あたしはたまらず声をあげて笑い出した。

 

目の前で怪訝な顔をする愛すべき後輩の幸せが、ずっとずっと続くことを、心底願っている。

 

第二章

 

「瀬川先生、すいません。助かります」

 

私は職場の先輩教師である唯我先生から仕事を一つお願いされているのだ。でも、私は全然嫌じゃない。むしろ嬉しいのだ。なぜなら。

 

「気にしないでください!今夜、結婚記念日で美味しいレストランに行くんでしょ?絶対に遅刻しないでくださいね!」

 

そう、唯我先生、そして、奥さんの応援をしたいからだ。昔、唯我先生に密かに憧れていた私は、唯我先生と奥さんの仲に嫉妬してしまい、余計なさざなみをたててしまったことがあった。そのとき、奥さんの唯我先生への愛の強さに打ちひしがれた私は、叱咤激励もされ、立ち直ることができもし。昨年、自分でしっかり愛してもらえる人を捕まえて、結婚することができたのだ。

 

「ちなみに、なんていうレストランなんですか?」

 

「ええと……。『ステラ・カデンテ』、だったかな……?」

 

「わあ、すごい!この前も雑誌に出てましたよ!オーナーがすごく研究熱心らしいんです。だからメニューも目新しいし、どんどん新しいメニューも増えてるらしいです。見た目も綺麗で、インスタ映えもするし……。何より、とっても美味しいんですって!」

 

「へえ、そうなのか。文乃は詳しいからなあ……」

 

さもありなん。唯我先生の奥さんは美人なだけでなくて。センスもあるのだ。天は二物を与えず、とはいうものの、実際、持っているひとはいくつでももっているんじゃないのか……?と疑念をもってしまうこともある。でも、負けていられない。

 

「唯我先生、私だって、幸せになりますからね……!!!」

 

おそらく、私が彼の奥さんに抱いているライバル意識は永遠に知らないのだと思うのだが、それを燃やす私をみながら、唯我先生は首を傾げるのだった。

 

負けられないと同時に、目標でもある。仲の良い、唯我先生と奥さん。当然、彼らの永遠の幸せを祈っているし、続いていくことを確信している。あれだけの絆の強さがあるのだから!

 

第三章

 

暗闇の夜空から、一粒ひとつぶ、落ちてくるものがある。近頃降り続けている雨は、なかなかやまないのだ。大きめの粒が地面を叩く音が意外と大きい。そんなことを思いながら、わたしは、ちらりと腕時計を見た。19:03。

 

「……めずらしいな……」

 

レストランの前でわたしはひとりつぶやく。結婚記念日の夜を素敵に過ごそうと、値は張るものの、たまの贅沢としてよいレストランを19:00から予約しているのだが。肝心のパートナー、愛しい旦那さんである、成幸くんがなかなかこない。いつも待ち合わせの5分前には必ずきているのに、だ。

 

少しだけ胸騒ぎがする。しかし、首を振りそんな予感を高揚感で打ち消し、楽しいことだけ考えるように努めた。

 

この時のわたしはまだ知らなかったのだ。幸せが壊れる前に音は鳴らないのだと。やまない雨がその音を消したわけでもなく、いつのまにか、『何か』が大切なものを一瞬で消し去ってしまうのだと。

 

そして、その時、その場所で

 

「あ、いらっしゃい!」

 

花屋をやっている私は、常連さんが来てくれて笑顔を向ける。接客業なので笑顔は当然なのだが、その常連さんは本当によい人なので、自然と笑顔になってしまう部分はある。

 

「こんばんは。あの、花束をお願いしたいんですけど」

 

「はい!いつものキキョウですか?」

 

この人は、奥さんのために毎週キキョウ……花言葉は「永遠の愛」……の花束を買って帰る。その奥さんもまた美人で気さくでよい人なのだ。そんな奥さんがいれば、それだけのこともしたくなるのだろう。

 

「実は、今夜は結婚記念日のデートなんです。だから、いつもは気恥ずかしいんですが、バラとかも加えてもらえると」

 

「わあ、そうなんですね!!おめでとうございます!!」

 

嬉しそうなお客さんを目の前に、私ももっと嬉しくなってしまう。素敵な夫婦のために、私のつくったお花が彩を添えるとしたら。こんなに花屋冥利に尽きることはないからだ。

 

「がんばってつくりますね!お待ちください」

 

そして、正直に言うとよくないのだが、普通のお客さんよりも2割マシで気合いをいれて、1割ほど予算のおまけもして、優しい常連さんのためにとっておきの花束をつくり、渡した。

 

「すごい……!!妻、文乃も絶対喜びますよ……!!」

 

その人もすごくすごく嬉しそうで、私はほっとするのと同時に、祈らないではいられず。この人と、この人が愛する奥さんの、明るい未来のこと、だ。笑顔を引き立てるお花になっていて、こんなに私にとっても幸せなことは、ないのだった。

 

⭐️

 

「ありがとうございました!」

 

何度もお辞儀をしてくれる常連さんに、心から感謝を伝える。外の雨はなかなかやまないなあ、と思いつつ。このお店は、比較的な道路に面しているのだが、今はお客さんがいなかったので、何の気なしに、その常連さんを見送っていた。ずっとずっと幸せでいてほしい、あの2人には。願わくば、私にも幸せのお裾分けをしてほしいくらいだった。ああ、彼氏がほしい。

 

常連さんが、信号が青になった横断歩道を渡り始めた。人の行き来が始まる。さあ、私もお店に戻ろうかな、と振り向きかけた時だった。

 

……私も混乱していた。時系列がめちゃくちゃになるのだが。

 

常連さんを、5歳くらいの男の子が走って追い抜いていった。

 

その少し先で、その子が転んでしまい。

 

まだ信号は余裕があるはずで、ゆっくり立ち上がっても大丈夫だったはずなのだ。本来であれば。

 

常連さんはきっと子供好きなのだろう、慌ててその子に駆け寄ると、花束も持って大変なのに助け起こそうとして。

 

その時だった。

 

赤い車だ。横断歩道に。突っ込んでいった。

 

スローモーションで世界がゆっくりと動いて見えた。

 

常連さんが男の子を必死に突き飛ばして車からの衝突を避けさせた。

 

男の子は車の侵入してきた範囲からは逃れて。

 

でも、それは残った常連さんが車に跳ねらることを意味していて。

 

ブレーキの甲高い響き。

 

散る花びらたち。あか、きいろ、あお、しろ。ひらひら、ひらひら、ひらひら。

 

鈍い衝突音。

 

誰かの悲鳴が聞こえる。それが私のものだと気づいた時には、すでに辺りは騒然となっていて。

 

雨はやまない。おこってしまった出来事が夢ならよいのに、私を濡らすその冷たさは、容赦ない現実を知らせていた。

 

(中編に続く)

 

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