古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

[x]の腕前、師は不本意も教え導くものである

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第一章

 

「おお〜!」
あたし、天津星奈の目の前には、美味しそうな手料理がたくさん並べられていく。尋常でなく、よい匂いとともに、だ。お腹に響く……。
「えっと。まずはアボカドと豆腐のサラダです。天津先輩がアボカドが好きと聞いていたので、つかってみました。あまり日頃つかっていない食材なので、わたしも成幸くんも食べるのが楽しみなんですよ!次はミネストローネです。これは……」
「うんうん」
あたしは、手料理をしてくれた人からの熱心な料理の解説を相槌をしながら聞いていた。こういう解説があると、より一層美味しくなるよ。お預けをくらってる犬みたいな気分にはなっちゃうけど、ね。さて、ダイニングテーブルを挟んだ正面には、あたしの可愛い後輩、古橋……いや、いまや新婚さんだ。唯我文乃ちゃんがにこにこしながら座っている。天花大学理学部天文学専攻の第一研究室所属のあたしと彼女。歳の差は5つほどあるのだけれど、普段からあたしに懐いてくれている。結婚してなお、学内での人気は高い、まー、美人なのだ、端的にいうと。整った顔立ち、長くて綺麗な黒髪、大きな目と長い睫毛、白い肌。見た目だけじゃない。人当たりの良さ、穏やかで丁寧な物腰。優しいトーンで耳に届く声に、どことなく香るいい匂い。あたしも、美人だといわれることはあるけれど、この可愛い後輩と、同じ女性というカテゴリーで括られるのは少々気後れするほどだ。文乃ちゃんはいわく、天津先輩はかっこよすぎるからですよ、とは言われるけれど。そうそう、この子は褒め上手でもあるからね、油断できないよ、ほんと。そして、そんなほぼ完璧超人みたいな美人なお嫁さんの隣に座っている、幸運な旦那様は……。唯我成幸くん。すごくかっこいいわけではない。でも、雰囲気がいい。彼の誠実さ、優しさ、思いやりの深さみたいなものが滲み出ている。小学校の先生だということだけど、ぴったりだ。あたしは、彼とそこまで時間をかけて接したことがあるわけではないけれど、わかることはある。それに、常日頃、直接ではないものの、なんとなく察する文乃ちゃんと彼の仲睦まじさ(あたしは嫌いじゃなくて、冷やかしながら聞いている。フィクションじゃん、と思うほどのラブラブさではあるが、間違いなくノンフィクションだ)からも、彼がいいヤツだ、というのはよくよく伝わる。そもそも、文乃ちゃんが選んだ男なのだ。素敵でなければ、あたしが困るのだった。今夜は、新婚の文乃ちゃんと唯我くんの新居に、あたしが押しかけたのだ。いつも惚気話だけ聞かされて、やってられるか、だったら直接見せてみろ!(これはあたしの人生哲学でもある。自分の目で確かめなければ信じない)という気持ち。……まだ独身のあたしには、ほぼ100%酷な思い出になるかもしれなかったが。

 

⭐️

 

「はー!!!美味しかったよ。ごちそうさま」
あたしがうまい鶏肉の料理が食べたいと言った乱暴なリクエストを汲んでくれて、今夜のメインはバターチキンカレーだった。もう、とびっきり美味しかった。バターの良い風味はありつつも、味をくどくするわけではなく、カレーの濃厚さをしっかりと引き立てている。そして、あたしの好みを覚えていてくれているからだろう、少しだけ辛味もある。鶏のモモ肉はほろほろで、口の中で簡単に噛み切れる。鶏肉のさっぱりした味わいとルーの調和が絶妙だった。くどくどとコメントしたけれど、要するに、だ。
「文乃ちゃん、唯我くんに愛想が尽きたらあたしのお嫁さんになってね?」
そうラブコールをおくりたくなる、ということ。
「ダメです!」
そりゃそうだ、わりと真顔で唯我くんに釘を刺された。それにしても。
「あっはっは!予想通りのリアクション、ありがとう!」
からかわれた、ということに気付いたのか、頬をかきつつ、唯我くんはバツが悪そうだ。
「それにしても文乃ちゃん。何度もいっちゃうけど、料理、とっても美味しかったよ。ありがと」
「いえいえ。喜んでもらえたのなら、よかったです」
と、相変わらず綺麗に笑い返してくれる文乃ちゃん。うーん。唯我くんめ、やはりうらやましいぞ。
「唯我くん、毎日こんな素敵な料理食べてるのか……。うらやましいよ。昔からうまかったんでしょ?」
と、あたしは素朴な疑問をぶつけてみる。すると、文乃ちゃんと成幸くんは顔を見合わせると、2人とも苦笑い。
実は、と文乃ちゃん。
「料理、すっごく苦手だったんですよ」
「ええ!?」
と、あたしは率直にびっくり。隣の唯我くんの顔を見ても、まあ、そうでしたね、という表情。
「わたしには、料理の師匠がいるんです」
「師匠、ねえ。また大袈裟な……」
あたしは半信半疑だ。
「少しさ、その話聞かせてよ」
と水を向ける。文乃ちゃんは、少し長くなるかもしれないですけど、と断った上で、切り出すのだった。

 

第二章

 

わたしが大学生になったばかりの4月。春真っ盛り。陽気な気候も続いている。今年は、例年よりも桜が咲いている期間が長くなりそうらしく、お花見もしやすい年なのだそうだ。しかし。とても、今のわたしには、そんな余裕はないのだった。大学の講義についていくので手一杯だからだ!わたしは天文学を学びたくて、その道で有名な天花大学に入学した(成幸くんのおかげなのだ……本当に)。入ってすぐに天文学を本格的に学べるかというと、そうではなくて、最初は一般教養といわれる、大学生たるもの身につけておくべきという知識をがっつりと学ぶことになるものだ。ただでさえ、ハードルが高いそれらの講義。一見関係なさそうではあるものの。天文学を本格的に学ぶことのできる研究室に所属するためには、教養科目で優秀な成績を修めておく必要があって。つまり、一切気を抜くことはできないのだ。わからない単語の下調べや、事前に指定された著作を読むこと。講義で出された課題への対応。よい印象になるような中身のあるレポートの作成。などなど。幸いというか、書くこと自体は苦にならないわたし。でも、インプットはやはり大変で。ともかく。バイトやサークルにも興味がないわけではないのだが、今のわたしはそれどころではないのだ。……なんせ。「彼氏」の成幸くんとのデートすら、まともに予定が立てられないのだから!

片想いしていた成幸くんと結ばれて、およそひと月がたった。今に至るまで……言い過ぎでなく、わたしは幸せだ。両想い、なのだ。その事実を思い返すだけで、にやにやしてしまうのだけれど。メッセージのやりとりや、電話は毎日している。それが日常になっただけでも、相当嬉しいことなのだけれど。……もっと、一緒にいたい。仲良く、なりたい。そんなわがままは、やはりあるのだ。とはいえ、だ。わたしが忙しいのに輪をかけて、アルバイトをすでに始めた成幸くんは、忙しそうなのだ。なかなか、デートしようよ、とは言いづらい状況ではあって。そんな中、ポジティブに過ごさねば、とも思っていて、成幸くんには内緒で、この間に一つ、わたしにはやりたいことがあるのだった。

 

⭐️

 

「あ……水希ちゃん?」
「……!ああ、あなたですか」
行きつけのスーパーで、食材を購入している時だった。見知ったポニーテールの後ろ姿を見かけて、声をかけた。それは、成幸くんの妹、唯我水希ちゃんだった。
「あの」
「は、はいっ!」
ぎょろりと睨まれて、思わず背筋がぴんとなった返事になってしまう。
「母に聞いて、兄にも確認したんですけど。……なんでも、兄と付き合ってるんですって?」
笑っているけれど目は全然笑っていないし、黒いオーラがすさまじい。水希ちゃんは、かなりお兄ちゃん、すなわち成幸くんのことを慕っているので、その怒りもむべなるかな、ではある。
「うん、そうだよ。わたし、成幸くんとお付き合いさせてもらってる」
とはいえ、隠す話ではない。そのこと自体、後ろめたいことは何一つないから、臆せずに話した。はあっ、と水希ちゃんは深いため息をつく。
「今更、私がどうこうできるわけでもないですし、別にいいんですけどね……」
そして、水希ちゃんがふらつきながらその場をはなれかけた時。わたしは、突如天啓を得た。腹を括って、ダメ元でとあることを彼女にお願いしてみよう、と思ったのだ。
「水希ちゃん。わたしにお料理、教えてくれないかな」
え?と怪訝な顔をする水希ちゃん。
「どうして、私があなたにそんなことしなきゃいけないんですか?」
敵に塩を送るようなことを……とぶつぶつ言っていて。見るからに、機嫌が悪くなっていく。でも、諦めるわけにはいかなかった。現状、まったくダメダメな料理の腕を、人並みに引き上げたい。それがわたしのやりたいこと、なのだ。
「わたしが知っている中で、一番お料理が上手なのは、水希ちゃんだから」
「な、なんですか。それくらいじゃ、教える理由にならないじゃないですか」
と、満更でもない水希ちゃん。
「わたしね。料理が全然できないんだ。だけど……。成幸くんのために、うまくなりたい」
途端に眉間を寄せ始める水希ちゃん。彼女にとって、聞こえがよい話ではないことはわかる。でも、わたしは、言葉を続ける。
「……成幸くんが、好きなの。好きな人に、少しでも美味しいご飯を食べさせてあげたいんだ。……ダメ、かな……?」
「……」
水希ちゃんはその場で少し考え込む。
「……まあ、監視の意味合いもあるか……」
と、何やらぶっそうな独り言が聞こえるものの。
「……いいですよ。少しくらいなら。まったく」
「ありがとう、水希ちゃん!」
ということで。なんとか、わたしは水希ちゃんにお料理を教えてもらえることになったのだった。

 

第三章

 

「……あ、ありえない……」
「そ、そうかな?えへへ……」
水希ちゃんは、わたしがつくった「焼きそば」をみて、膝から崩れ落ちている。なぜこうなったかというと……。

 

水希ちゃんと約束を取り付けて、早速わたしは次の週末のお昼頃、水希ちゃんのおうち、つまり成幸くんの家にお邪魔をした。ちなみに成幸くんはいない。早速始めているアルバイトのために、今日は夕方まで不在とのこと。こっそり練習したいわたしにとっては、寂しいけれど、うってつけではあった。
「ひとまず、焼きそばをつくってもらえますか?材料は用意してます。お昼時で、妹たちもお腹を空かせています。いくらなんでも、普通に食べれるものくらいはつくれますよね?」
「……う、うん!まかせて……!」
隣で水希ちゃんも見てくれているから大丈夫だろう。そう思い、まずはキャベツとにんじんに玉ねぎを切るところから。これくらいは簡単……。
「……え?……ああ!」
「え、え?」
「どうしてそんなに食材を無駄にする切り方をするんですかっっっ!」
「え、でも、端っこはおいしくないかなって……」
「だ・め・で・す!」
とすごい剣幕で怒られて。
「……じゃあ、魚肉ソーセージを切ってください……!斜めに1センチ幅くらいですよ……って、ええ!?」
「えへへ……。ほら、少し厚いのがあった方が、食べ応えがあるかなって」
「火が均等に通らなくなって味にばらつきがでるでしょ、それがダメなんです!」
と、またまた怒られて。
「じ、じゃあ気を取り直して……。麺を入れるね。袋からそのまま、えいっ……」
「!?どうしてそのまま入れるんですか、ほぐさなきゃ!」
「ほぐすって……どうやって……?」
「ザルにいれて、軽く水切りしながらやるんですよ……!ああ、もう、クラクラする……!」
と、ここでもまた怒られて。
「炒めるくらいなら、簡単だよね……っと」
「……」
ジト目になる水希ちゃんの視線に気づかないふりをして、コンロの火を一番強くする。
「どうして、いきなり、強火にするんですか?一応、聞きますケド……」
「……えっ?早く火を通した方が美味しいんじゃないの?炒飯と一緒かな、と思って……」
「ち・が・い・ま・す!全体的に混ぜて具と麺を馴染ませながら火を通さなきゃ……!」
と、炒めることでさえも、怒られて。
「あ、味付けはね。ほら、ソースかけるだけだし」
「……」
だんだん言葉少なになる水希ちゃん。空気が、重い……。その時、
「水希ねーちゃん、葉月がぶった!」
「うるさいな、あんたがあたしのノートとったから!」
「……あんたたち、やめなさい!もう。少し、あっちにいってますから。ソース、満遍なくかける「だけ」ですよ。かける「だけ」ですからね?」
「う、うん」
そうして、わたしはソースを満遍なくかけた。しかし……どこか薄味なような気がした。味見をしたわけではないけれど、なんとなく、だ。
「そうか、塩胡椒をたせば……。あとは、醤油?みりんだっけ?」
それらを直接、目分量でフライパンに少しずつかけて混ぜ合わせていく。適量という単語があるのだ、こんな感じなのだろう。少しだけ料理が上手くなった気がして。
「ふう……完成!」
そうしてできあがったものを盛り付けて出したところ……。冒頭のやりとりになった、ということなのだ。
「……水希ねーちゃん、すごい味なんだけど……」
「喧嘩して、ごめんなさい……」
「喧嘩したからこの焼きそばにしたわけじゃないから、ほら、泣かない!……残しちゃダメだよ、食べ物がもったいないから」
「……でも……」
いつも元気なちびっこ2人が静かだ。
「あはは、慣れたら、美味しくならない?」
「……あなたはどうして平気なんです?」
「え?いや、いつもの味だから……」
がくっと項垂れる水希ちゃん。わたしは、その場で目をぱちくりさせることしか、できなかったのだった。

 

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第四章

 

食後、大事な話があります、と言われて、ちゃぶ台を挟んでわたしと水希ちゃんは向き合う。思わず正座になった。
「料理の基本は、なんだと思いますか?」
と、険しい顔の水希ちゃん。
「……え?愛情?」
と、わたしは笑顔で答える。やっぱり、気持ちがこもってないと。
「ち・が・い・ま・す!!!
①基本的な技術。野菜の切り方、道具の使い方!
②用語の理解。小さじ、大さじ、適量、それぞれ違います。その違いがわかること!
③レシピ通りにつくること。勝手なアレンジは厳禁!
④料理の下拵えの手間を惜しまない!
⑤味見をしっかりする!」
「わ、わ」
すごい早口で、まさにマシンガンに撃ち抜かれるが如くだ。
「こう宣告した方が伝わるんでしょうね」
そう言うと、水希ちゃんは残念なものを見るような視線をわたしに向ける。
「あなたの料理の腕前が今のまま、変わらないとすれば。兄との関係は、遅かれ早かれ、うまくいかないですよ?」
「え、でも……。成幸くんは、優しいから……」
流石にそこまで言われると辛い。もごもごと反論するわたし。そこを、嵐が襲ってきたのだ。
「料理がうまくないということは、食材をしっかり使えないということです。知っての通り、我が家は決してお金に余裕はある方じゃないです。食材を大切にするのは基本中の基本です。いくら気持ちが通じ合っていても、その価値観が違っていれば、そのズレはやがて大きな違和感になっていくと思いませんか?」
「そもそも料理に愛情が大切だというのであれば、あなたの料理は完全に片想い、一方通行のそれじゃないですか。まっとうで美味しい料理を本当に食べて欲しいのなら、「真っ当で正しい」努力をするべきです。いたずらに食材を無駄にするのではなくて、ですよ!」
「毎回の料理で、愛が試されていると思ったらどうですか。デートで、事前の準備を雑にしますか?相手の反応をまったく気にしないで自分のやりたいことだけ押し通しますか?出会った瞬間にキスなんてしないですよね。オーソドックスに、手順を踏むのがマナーだと言えるのでは?まさか、そんなことも考えたことがないのなら、「彼女」失格なのでは?」
ずがーーーん!!!
……完敗だった。ぐうの音もでない。白旗を大きく振り回す。
「よくわかったでしょう。兄にふさわしいのは、少なくともあなたじゃないことくらい。わかったらさっさと……!?」
「み・ず・き・ちゃーん……!うわーん!!」
「ちょっ……抱きつかないで……!」
「わたし、目が覚めたのっ……!料理も恋も、逃げちゃダメなんだ……!戦わなきゃいけないんだねっ……!」
「そんな、大袈裟な……」
「お願いします、こんなミジンコなわたしだけど……成幸くんに相応しい「彼女」になれるように、頑張りたいんだ……!」
「わかった、わかりましたから……!」
たじろぐ水希ちゃん、涙で顔がべたべたになってしまっている、わたし。かなりカオスな状態だ。はあーーーっと、深く深く深すぎるため息を水希ちゃんが一つついて。
「……基本から叩き込みます。弱音を次はいたら、二度と教えませんからね」
「はい、水希師匠!」
ということで。料理に関する全てが我流で凝り固まっていたわたしではあったが、無愛想だけど教え上手(流石成幸くんの妹だ)な水希ちゃんの指導のおかげで、少しずつだが上達していく。半年ほどで、ようやく、人並みになることはできて。今では、料理をすることを楽しみつつ、旦那様が自然に美味しいといってくれるご飯をつくれるくらいには、なったのだった。

 

⭐️

 

「……ということでした」
そんなことが。しかし、随分と面白い話だった。
「でも、いいじゃない。旦那さんの妹とも仲良くなったんでしょ?」
「仲良しというか……ライバルですね」
と、文乃ちゃんは苦笑する。
「成幸くんの胃袋を、2人とも狙ってますから!」
「だってさ。旦那様、コメントは?」
と、わたしはにやにやしながら唯我くんに、話をふる。
「文乃が高校生の時にも、何度かご飯やお菓子をごちそうになったこと、あったんです。正直、お世辞にも上手、ではなかったかもしれません。……でも」
『でも?』
と、あたしと、文乃ちゃんの疑問が重なる。
「美味しいと思っていました。だって、一生懸命つくってくれていて、それは俺のために骨をおってくれたわけじゃないですか。だから、昔も今も。俺は文乃の料理、大好きですよ」
と恥ずかしげもなく。柔和な笑顔のまま、唯我くんは真っ直ぐに、答える。こんなこと、普通はさらりと、言えないよ、まったく。
「……成幸くん……。ありがとう」
「……文乃」
と、もう、恒例行事だが、あたしをほっといて見つめ合っているふたり。やれやれ、だ。
「あのー、」
と、少し心苦しいが存在をアピールさる。気付いたふたりは、顔を赤くして同時にあたしに謝る。
「ま、またイチャイチャしていいからさ。あたしが持ってきたチョコレートケーキでも食べません?三越のやつだから、なかなかいけると思うんだけど」
「あ、そうでした!切り分けてきますね!」
と、文乃ちゃんはいそいそと席を立ち台所へ向かう。
「大切にしてよね、奥さんのこと」
と、文乃ちゃんには聞こえないくらいの声量で、唯我くんに釘を刺す。いろんな努力をして、今の彼女があるわけで。それは、はっきりいって、唯我くんへの想いで成り立つ部分がとても大きいのだから。
「はい。文乃が俺を大切にしてくれる以上に……俺は文乃のこと、大切にしたいんです」
と、唯我くん。誠実な彼の言葉だから、信じてやってもいい。そう、あたしは思うのだった。何度目かわからないけれど、この稀有な絆で結ばれているふたりの幸せを、祈らずにはいられないのだった。

 

とある独り言

 

文乃さんは、お兄ちゃんの奥さんだ。つまり、義理の姉になる。たまに2人で私の家にも遊びにきてくれて、その時には、文乃さんと私で一緒にご飯をつくるのだ。正直、文乃さんは、お兄ちゃんと似ている。2人とも料理が下手で、私が教えたのだけれど、その過程でもそれがよくわかった。お互い、決してセンスがいいわけではない。でも、一生懸命努力する背景には、パートナーへの愛が、確かにあったからだ。ぶつくさ言いがちだけれども、文乃さんと料理をすること、今は、本人に伝えたことはないけれど、結構楽しいのだ。お兄ちゃんのことを、私の代わりに一生支えてもらう人。まだまだ鍛えてあげなくては、そう思う私なのだった。
「水希ちゃん、このお出汁、どう?」
「……ん。まあまあですね」
にこっと笑う義理の姉につられて、私もつい笑ってしまう。しょうがない。文乃さんは、お兄ちゃんが好きになってしまうのがわかるくらいに……素敵な人、なのだから。

 

(おしまい)

 

 

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