綺麗な満月が見える夜だった。月夜にしてはかなり明るい。街は静かだが、月光が音を消してしまっているのかもしれない、ふとそんなことを考えた。
少し肌寒い。季節は、秋。足元に黄色い葉が落ちていて、そのことを実感する。久しぶりに真っ赤な紅葉を見たくもなる。
俺、唯我成幸は、愛しくてたまらない彼女である、古橋文乃と一緒だった。
ただし。
文乃は酔い潰れてしまっていて。俺は、そんな彼女をおぶっているのだった。
今日、文乃は高校生のクラスメイトとの同窓会があった。それは知っていたのだが。30分ほど前に見知らぬ電話番号から電話があった。いつもはでないようにしているのだが、なんとなく気になって電話をとる。すると。
「お久しぶりです、唯我成幸さん〜。一ノ瀬学園の鹿島です〜。古橋さんと飲んでいたんですけれど、随分酔っ払ってしまって……。私たちも気づかないうちに度が強いお酒を間違って飲みすぎたみたいです〜」
俺は慌てて状況や、今いる場所を聞く。
幸いこの街のそんなに遠くない場所で。俺はバタバタと文乃を迎えにいったのだ。
そこでは、文乃が座り込んでいた。一瞬、大丈夫か!?と心配になったが、駆け寄るとすやすやと気持ちよさそうに眠っていて。むにゃむにゃ、なりゆきくん、そんな寝言も聞こえて。ああ、よかったと心底ほっとする。そんな文乃を、鹿島、猪森、蝶野が心配そうに見守っていた。
「すいません、私たちがついていながら〜……」
「水はたくさん飲ませているから、少しは楽になるといいッスが」
「タクシーでも呼ぶかい?」
「みんな、ありがとう。文乃のうちはここからそんなに遠くないから、俺がこのまま連れて帰るよ」
よっ、と、文乃をおぶって。じゃあまた、と言い3人と別れようとした時。
「古橋さんは、今が幸せでたまらないの、と言ってましたよ〜。たくさん、惚気られました〜。古橋さんのこと、これからもよろしくお願いします〜」
と、鹿島。俺は笑ってうなずいたのだった。
俺の背中で、文乃は眠っている。さすがの眠り姫だ、とそんなことを思う。知っていたが、文乃は、軽い。華奢で、強く抱きしめると折れてしまうのではないか、と思うことがまだある。
その割には、よく食べるのだが。この前一緒に行った、デザートブッフェの時もすごかった。そのことを思い出して、ふふっと笑った。
「なり、ゆき、くん……?」
文乃が、目を覚ましたようだ。
「わたし……鹿島さんたちと飲んでて……」
「少し飲みすぎたみたいだな。心配した鹿島に電話してもらって、迎えにきたんだよ」
「そっか……ごめんねえ……」
降りようか、という文乃に、そのままでいいよ、と伝える。
「なりゆきくんの背中、おっきいな……」
文乃にぎゅうっとしがみつかれる。少し呂律が回っていないので、まだ意識はそこまではっきりしていないかもしれない。恋人なので一緒にお酒を飲むことはもちろんあるわけだが、文乃のこんな酔い方は珍しい。
「楽しかったんだな、よかったじゃないか」
「そうなの〜。高校生の時のお話、とっても盛り上がったんだよお」
「懐かしいよねえ。思い出がたくさん、なんだよ」
「鹿島さんたちとも、よくおいしいもの、食べにいったんだ〜。駅前の鯛焼き屋さん、もうなくなっちゃったんだけど、もう一度行きたかったなあ……」
俺は、小さい女の子が父親に一生懸命話をするみたいだな、と思い微笑ましく文乃の話をにこにこ聞いていたのだが。
まったく予期せずに。
爆弾が投げられた。
「なりゆきくんは」
「ほんとうは誰のことが好きだったの?」
「誰って……」
「うるかちゃんは、なりゆきくんと一緒の時間が長かったじゃない?アスリートなのに、とっても乙女だし……。可愛いよね」
「りっちゃんは、見た目は小柄だけど、わたしより少しだけ胸があって。でも、可愛いだけじゃなくって、意志が強くて。かっこいいんだよね」
「小美浪先輩は、面倒見が良くて。それでいて、綺麗な人で。惹かれる人、多いと思う」
「桐須先生は、美人だよね。なりゆきくんとお揃いのマグカップがお部屋にあったし。随分と仲が良かったんだね」
「……っ」
高校生の頃、俺は基本的には女の子とは縁遠かった。苦手なわけではないけれど、恋愛をするとか、そんな余裕がなかったからだ。だが、高校三年生になり、俺の周りには急に魅力的な女性が増えたのは、事実ではあり。
身近にそんな奴らがいて、男として、気にならないといったら、それは嘘になる。
ただ、下心だけで接していたわけでもない、そこの説明は難しいのだが。
「わたしは」
文乃の言葉が続いた。さっきより、少し、細くて、か弱い、声で。
「だれにも、なりゆきくんをとられたくない」
「だれにも、まけたくなかったよ……」
これは、初めて聞く、文乃の想いだった。飾りのない、ありのまま、そっと零れ落ちてしまった、そんな、文乃の声だ。
「わたしはだれかのかわり?」
「文乃……」
そんなわけないだろ、と一笑にふすこともできた。でも、今の雰囲気は、おそらくそうではなかった。文乃がかけてもらいたい言葉は、違うのだ。
「いつからかは、わからないんだ。いざ、好きなことを意識してしまうと、いつからか、どうしてか、そんなことは些細なことで」
歩みはとめないまま。文乃の重みを感じたまま。
「俺の名前を呼んでくれる声が忘れられなくなる」
🌙月が。
「ふっとそばにいてくれる時のいい匂いが忘れられなくなる」
⭐️星が。
「いつのまにか、その身体を抱きしめたくてしょうがなくなる」
🍂落ち葉が。
「文乃との想い出を数えたくなる」
街灯が。
「星をながめるたびに隣にいたい」
☁️少し浮かぶ雲が。
「それが俺の恋なんだよ、文乃」
目に映る景色の一端を切り取りながら、伝えた。
華やかな言葉を思いついて返せるわけはない。俺は俺にできることしかできない、だから、自分の言葉で、素直に、伝えることしか、できなかった。
文乃は、頭を俺の背中にぺたっとつける。おでこを、こつんと、あてているようだった。
そこで。
「嫌な子で、ごめん、なさい……」
文乃は涙声だった。
俺は首を振る。
「『が』、なんだよ。文乃」
「『が』?」
「俺は、文乃『が』いいんだよ」
「かわりがいるはずがない。春に出会って、優しくて、でも少し口が悪くて、心の機微に聡くて、でも不器用で、美人なのにダイエットしたりして、良く笑うくせに泣き虫で、友達想いで、お人好しで」
「そんなやつ、ほかにいてたまるかよ。古橋文乃を、離すわけ、ないじゃないか」
「うん……うん……」
背中ごしに、文乃が鼻水を啜る音がする。静かに涙を流す彼女の重さは、ひとりの女の子を確かに感じさせた。
証明するも、なにも。最初から、俺の心の真ん中にいる女の子は。
古橋文乃以外には、いないのだ。
そして、最後まで、ずっと、きっと、そうだ。
月の光に照らされたまま、文乃をおぶって俺は歩き続ける。
今夜は、文乃の手をずっと握りしめていようと、そう思うのだった。
(おしまい)