【第一章】
嬉しくてしょうがない。
浴衣を着れることが。付け加えて言えば、浴衣を着て大好きな恋人とデートすることが、だ。
「どう、文ちゃん。きつくない?」
「いいえ、大丈夫です。おばさま、ありがとうございます」
「いいのいいの!それにしても、やっぱり文ちゃんスタイルいいわね〜!」
わたし、古橋文乃は、浴衣の着付けをしてもらっている。彼氏である、唯我成幸くんのお母さま、花枝さんにだ。
髪はもうセットしてある。こちらは、成幸くんの妹さん、水希ちゃんに手伝ってもらった。大きな三つ編みをつくって、くるっとして、カンザシで上手にまとめてくれたものだ。
きゅきゅっと布が擦れる小気味のいい音。花枝さんに手際良く帯をしめてもらっているのだ。
「あたしのお下がりで申し訳ないんだけど……」
「そんなことないです、この朝顔の柄、とっても素敵で……!」
事実。姿見に映っている浴衣は、とっても素敵なのだ。薄いブルーの大輪の朝顔が、白地にバランスよく配置されていて。青が基調なので、爽やかでかつ可愛らしい印象なのだ。淡いピンクの帯も女の子らしくて好き。古いものだとは全然思えないデザインだ。
「うふふ。こんな美人に着てもらって、この浴衣も喜んでるわよ」
「まだ成幸が生まれる前、亡くなった主人とこの浴衣を着て夏祭りにいったのよ〜」
「……そんな大事な浴衣、わたしなんかが着ても、いいんでしょうか……」
今更ながら恐縮してしまう。
「いい、文ちゃん」
そんなわたしに、そう花枝さんが切り出した。
「これまでの思い出を守ることよりも、これからの思い出をつくるほうが大切なんだから。この浴衣も、主人も、そう思ってるからね!」
「未来を生きる、あなたたちに、まかせたってわけ」
「さ、成幸!開けていいわよ」
おずおず、そんな感じで静かに戸が開けられる。
そこには、同じく浴衣を着ている成幸くんと、むすっとした顔の水希ちゃん。
「……文乃、やっぱり、浴衣似合うよな。今日の柄も、可愛いよ」
「あ、ありがと。成幸くんこそ」
成幸くんは、紺の無地に白帯だ。シンプルだが、それゆえまっすぐな彼によく似合っていた。
「お父さんの浴衣も引っ張り出してみたけど……成幸、意外といい男ね」
と、花枝さんも褒めている。
わたしと成幸くんは、ふたりで目を合わせて、照れながらもにっこり笑いあう。
「あー、はいはい仲の良いのはわかりましたから!さっさとお祭りにいってきてください」
と、割り込むのは水希ちゃんだ。
「これ以上我が家で惚気られても困っちゃうよ、もう」
そういう水希ちゃんと、
「成幸、今夜はお泊まりでも可よ〜!もう大学2年生なんだからね〜!」
という花枝さんに見送られて、わたしと成幸くんは、夏祭りに向かうのだった。
【第二章】
「すごい人だな」
「お祭りの醍醐味でもあるけど、すごいねえ……」
鈴鳴りというのはこういうことなのだろう。
会場の中心に向かうにつれて、人の数が増えていく。少しいつもよりは慣れない格好なので歩くペースが遅いのだが、成幸くんはそういうのにはよく気づいてくれるし、何より優しいから、しっかりとわたしの歩調とあわせてくれてはいるのだ。しかし、それでもこうも人が多いと……。
『あのさ……』
続く言葉が重なり、お互い吹き出す。
考えていることは同じで。
わたしは両手で持っていた巾着を右手に持ち帰る。そっと左手を差し出すと、成幸くんが右手でそっと引き寄せてくれて、手を繋ごうとした、その時だった。
「あ、成幸くん。あの子……」
「迷子、かな?」
「ええーん、おとーさーん、おかーさーん!!」
3歳くらいだろうか、小さな女の子が、雑踏の中で所在なさげに立ちすくみながら泣いている。
わたしと成幸くんは目を合わせると、うなずきあって、すぐにその子のところに駆け寄った。
「あの、大丈夫、かな?」
わたしは近づくなり、しゃがんで目線をその子に合わせる。子供用の浴衣と、金魚の入ったビニール袋を持っていて。とてもかわいらしい。
「ひっく、ひっく……」
「よしよし。そうだな……確か、夏祭りの事務局のテントがあるはず。そこで迷子も預かっていたから、そこに行ってみようか」
「お父さんとお母さん、一緒に探してあげるから、安心して、ね?」
そうして、わたしと成幸くんは、真っ先に事務局のある場所へと向かうことにしたのだった。
「まきちゃん、赤い金魚さんは林檎が好きで、黄色い金魚さんは蜜柑が好きなんだよ〜」
「まき、りんごがすきだよ!おかーさんはね、いちごがすき!」
「そっかそっか。お姉さんはねえ……どっちも好きかな!」
「え〜、ふたつはずるいよ〜」
「あれ、そうかな?えへへ」
いつのまにか、だ。泣いている女の子と、二言三言交わして、文乃とその子が手を繋いで歩いて少しすると、あっという間に仲良くなってしまっていた。人柄、なのだろう。俺も小さい子と仲良くするのは決して苦手ではないのだが、こんな簡単には打ち解けられない。
「ねー、おねーちゃんとおにーちゃんは、ふーふ??」
ゆっくりと歩きながら、それらしい場所をようやく見つけ、文乃に目で合図をしようとしたとき、その子のそんな台詞が耳に飛び込んできた。マセてるなあ、と苦笑いしつつ。文乃はなんて答えるのかは、少し興味があった。
「あのね、」
文乃が答えていた瞬間だった。
【第三章】
ど、ぱーん!!!ぱらぱらぱらぱら……
花火があがった。1発、2発、3発。
紅の光。蒼の光。黄色の光。入り混じって地上を照らし出す。夜空をキャンバスとして彩る、夏の華たち、だ。
大勢の人々が空を見上げながら、
おおー
という声をあげている。
不思議な光景だ、花火の音や光が、みんなを一つにしているような錯覚を起こす。
わたしがまきちゃんに答えた、成幸くんとの未来について、多分に願望と、でも100%の本音を織り交ぜた言葉は花火の音にかき消されてしまった。
「たーまやー!」
まきちゃんは目をキラキラさせながら空を見上げている。花火の大きな音は、怖くはないらしい。その様子に癒されつつ。
きっと、まきちゃんのご両親は花火どころではなく、この子を必死に探しているはず。そんな当たり前のことを思い返し。急がなきゃ。
そして、わたしと成幸くんは、花火がはじまり動きが鈍った人混みを、今のうちにだとかき分けて、なんとか迷子を預かっている場所にたどり着いたのだった。
本当に幸いなことに、まきちゃんのご両親がその場所にいた。この人混みで、ちょっとした隙に離れ離れになってしまって、あわててまずここに立ち寄ったそうだ。こちらが恐縮するくらい、感謝してもらってしまい。
「本当に助かりました、この人出なのでそろそろ警察にいこうかと思っていたんですよ……」
「よかったです。まきちゃんとお祭り、楽しんでくださいね」
人の良さそうなまきちゃんのご両親とそんな話をしていると。目の端では、まきちゃんが成幸くんに何事かを話しかけ、成幸くんが笑顔で返事をしているようだった。その中身まではわからない。
ただ、まきちゃんがご両親のところに帰れたことはとても安心した。なんというか、お父さんお母さんと一緒になれて気が大きくなったのだろう、なきべそはどこかへ行ってしまったようで。もう平気だもんね、という表情をしているのは微笑ましい。
おねーちゃん、ありがとー!そういって大きくばいばいしてくれるまきちゃんに手を振り、
「それじゃあ、失礼します」
そう声をかけてその場を去ろうとした時、わたしはまきちゃんのお母さんから、とある情報を教えてもらったのだった。
【第四章】
どぱーん!!
「うわあ〜!」
「すごいな〜!たーまやー!」
俺と文乃は、とある場所のベンチに座りながら、花火を見上げていた。文乃のリクエストもあり、たこやき、かき氷、りんご飴、定番の食べ物は一通りある。
この穴場的なところは、文乃が、まきちゃんのお母さんに教えてもらった場所なのだ。
「少し離れたここなら、ベンチでゆっくり花火を見られるかもって。本当だったね!」
「ラッキーだよ。知らなかったなあ」
ひゅるるるるるる……
ぱーん、ぱーん!!
空にあがり、散り、地面を照らす。嬉しそうな文乃の表情が、美しい。
やっぱり。
文乃は、きれいだ。
嬉しそうに空を見上げる、浴衣姿の彼女をみて、惚れ惚れとする。
胸の鼓動が、早くなり。
あらためて、俺は、文乃が好きで好きでたまらないのだ、と再確認した。
まきちゃんに、返した言葉がある。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、ふーふなの?」
「お姉ちゃんは、俺のお嫁さんになる人だよ」
迷いなどない、即答したその言葉を聞いて、まきちゃんはにっこり笑ってくれたのだ。
「……文乃」
愛しい人のその名前を呼ぶ。なあに、とこちらを見て柔らかく笑う文乃と見つめ合う。文乃の大きな瞳は、少し濡れていて。
そっと顔を近づけて、彼女に口づけをしようとする。その時、優しく文乃の人差し指が俺の唇にあてられて。お預けさせられてしまう。
「いいムードだから、少し、甘えさせて」
「今すぐじゃなくていいから、いつかわたしを、成幸くんの、」
ど、ぱーん!
ひゅー、ど、ぱーん!ぱーん!
かき消されてしまう、文乃の言葉。言葉にして伝えれなかったことが残念そうな表情になる。
しかし、花火の炸裂音が小さくなり始めた瞬間に、俺は文乃の言葉を引き継いだ。
「文乃は俺の『お嫁さん』だ、離さないぞ」
そう伝える。
文乃は、驚いて目を見開く。そして、嬉しそうに笑顔を見せてくれて。唇に添えた自分の指をひっこめると、文乃から、そっと唇を押し当ててくれた。
優しいキス。
愛しい恋人との未来を思い描きながら、俺と文乃は、花火からも祝福されるように照らされている。
でも、だ。キスが、足りない。全然、足りなかった。お互いのその想いは、唇の熱が訴えていて。情熱という名の炎が、俺と文乃を突き動かす。優しいキスから、強いキスヘ。
夏の夜は長い。
幸せな思い出を積み重ねる夜は、始まったばかりだった。
(おしまい)