古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

煕煕攘攘たる祭に[x]は踊るものである(後編)

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第六章

 

「文乃ーーーっっっ!!!どこだーーーっっっ!!!」
 俺の大声に周囲の人たちがぎょっとしてこちらを見やる。
「……ぜえっ、ぜえっ……」
 相当走り回っているので、息も切れ切れだ。俺、唯我成幸は、天花大学の学園祭で、大切な彼女である古橋文乃を探し回っているところだった。
「……あっ、と……」
 足がもつれて、倒れ込んでしまった。日頃の運動不足を呪うほかない。
「あの、大丈夫ですか……?」
 若い女性二人組が、心配そうに声をかけてくれた。
「はい、すいません……ぜえっ……あ、あの、この女の子、見ませんでしたか?身長は160センチちょっと、長い黒髪で、目の大きい子なんですが……」
 俺は息も絶え絶えに、携帯で文乃の写真を見せる。二人はお互いに顔を見合わせると、首を振る。
「美人さんですね。でもこの人の数だから、とてもわからないです……ごめんなさい」
「……ありがとう」
 何度か声をかけているのだが、みな同じような反応だ。ある意味しょうがない。とはいえ、それは俺があきらめる、ということとはまったくつながらない。
 ふう、と大きくため息をつく俺に対して、
「見つかるといいですね!」
と、そう声をかけてくれた二人組。俺はぺこりと頭をさげて、違うエリアに向かうべく、再び走り始める。

 なぜ、こんなことになっているのか、といえば。

 

 

 俺は、文乃と一緒に食べるべく、学園祭のずらりと並ぶ模擬店の中でも、特に美味しいとされている料理をめぐって歩き回っていた。
 しかし、どういうことか、うまくいかない。結局、4種類入手しようとしたもののうち、一つも手に入れることはできなかった。
 とどめには、背後にはどうやら俺のことを快く思っていない人たちがいることを示唆するような出来事(俺の不幸を願うメッセージが刻み込まれた真っ黒に焦げた星形ピザを渡されている)まであり。少しばかり、放心してしまっているのだ。
「どうするかなあ」
 お昼に向けて、道行く人はさらに多くなっているだ。残念だが、文乃がチェックしていない、入手しやすそうなものを買うしかないかもしれない。
そう思ったとき。
「あの、先ほど古橋さんと一緒にいた唯我成幸さん、ですか?」
「……?はい、そうですが」
 天花大学の学生だろう、文乃が今日着用していたのと同じ、学園祭実行委員会のTシャツを着た男性が声をかけてきた。年齢はそう変わらないだろう。身長は俺と同じくらい。だが、足が長く、細身。いわゆるモデル体型だ。顔立ちも整っていて清潔感もある。声も柔らかく、現代に王子様がいるとすれば、こういう人かもしれない、と思うほどだ。中学時代からの友人である、小林を少し思い出した。
「天花大学の瀧です。唯我君、君に急いでお伝えしたいことがあって。これ、見て下さい」
「......?」
 男子学生が差し出された携帯の画面を見る。
「なんだ、これ……!!!!!」
 それは、短文投稿SNSのものだった。そこには、画質がかなり粗いものの、文乃とわかる写真が投稿されていた。さらに、文乃を狙っている(どういう意味かはわからないにせよ、嫌悪感しか湧かない……!!)という趣旨のことをいくつか呟いていて。極めつけは、今日この学園祭の舞台にきている、という趣旨の投稿をしているのだ。
「おっと」
「文乃は……古橋文乃は、今どこにいるんですか……!?」
 俺は反射的に彼の両肩をつかみ、前後に揺さぶる。
「……実は、先ほどまで天津先輩がフォローしていたみたいなんですが、今はぐれてしまったらしくて。関係者が慌てて探しているみたいですよ」
「……っ!」
 俺は唇をかみしめる。じっとなどしていられない。いてもたってもいられず、文乃を探しに行こうとした俺だったが、男子学生から、ちょっと待ってと引き留められる。
「この地図、見てください。このエリアはいま天津さんが中心に探しています。だから、そこと重複しない、ここと、このエリアを中心にさがしたほうがいいと思いますよ」
「……なるほど、ありがとう!」
 確かにあてもなく探すよりも、そっちのほうが見つけられる可能性も高まる。俺は彼にお礼をいいながら、そのエリアに向かって走り出したのだった。

 

√√√√√

 

 例の"彼"は、手元にあった模擬店の商品だろうか、それが邪魔であることに気づき、その場にいた赤い腕時計をした存在感の薄い男性にそれを押し付けて、これあげるよ、食べて!といいながら走り去っていった。
「行きましたか。彼女を必死で大切にする、いい彼氏ですね」
 そう、穏やかな笑顔で瀧と名乗った男子学生は呟く。
「恋は盲目。それがゆえ、コントロールも極めてしやすい。お嬢様の理論の実験に、これほどふさわしい"ネズミ"はいない」
と、かなり厳しめのことを付け加えつつ、にっこりと笑う。
『瀧、全体の進捗度はどうなっているかなっ?』
 彼の耳元に装着されていた超小型のイヤホンから、セリフが漏れ聞こえる。小声ですぐに応答している。
『首尾は上々です。"デコイ"は操作中。"スリーピング・ビューティー"との接触のための手筈ももう少しで完成。"王子様"も、"虎"も、別の場所に誘導済です』
『了解。あとはそれで"スリーピング・ビューティー"がどんな魔法を見せてくれるか、だねっ』
『はい。面白いものが見れるといいのですが』
『ふっふっふっ。ボクのカオス理論と、彼女の不運へのレジリエンスのぶつかりあい。面白くないわけがない、だろっ!じゃ、舞台のセッティングを引き続き頼むよっ、瀧!』
『かしこまりました、お嬢様』
そうして、早歩きで彼は別の場所へと向かう。優しい笑顔はそのままで。人によっては気づくかもしれない。彼は、不自然なほどに、ずっと笑顔であることに。

 

 

「はあ、はあ……っ」
 俺は膝に手をつき、大きく息をついていた。あれから10分ほど走り回ったのだが、一向に文乃を見つけられる気配はない。
 あきらめるという選択肢はあるわけはないのだが、文乃によくないことが起こる可能性が迫っている中でこのていたらく。自分の無力さに腹がたつ。ぎゅっとこぶしを握り締める。
 ……とまっている場合では、ない。顔をあげて、進もうとした時だった。
「おかあさん……どこ……???」
 きょろきょろと、人ごみの中あたりを不安そうに見渡している3歳くらいの女の子が、目に入る。おそらく、まだ大きな声で泣いているわけではないので、周囲の人間はそれほど気にも留めていないようだったが。
 一瞬、文乃のことが頭をよぎる。今の俺の一番の目的は、文乃を探すこと、だ。……。だけど、きっと、同じ状況で、文乃なら……。俺は小さくうなずいた。そして。
「こんにちは。君、迷子かな?」
 俺は、その子のところに向かい、人ごみから少し離したところに連れて行くと、目線の高さを同じにして精一杯優しく声をかけた。
「……!」
 その女の子は、首を縦に大きく2回降ると、大きな目に涙をいっぱいに浮かべる。やはり、不安だったのだろう。
「俺が、お兄さんが、絶対君の親御さんのところに連れていく。だから、大丈夫だよ」
 そういって頭をぽん、ぽん、とたたくと、ほっとしたように涙目のまま、笑ってくれた。
 文乃でも、絶対にこうしていたと思う。お互いが大切なのは間違いない。だけど、お互いのこと『だけ』しか考えられないのだったら、それはたぶん、いい関係ではないのだから。
 俺はその子の小さくて暖かい手をつないで、はぐれないようにしながら、彼女がたどたどしく教えてくれたはぐれた場所や親御さんの特徴を聞きながら、そこに向かう。

「本当にありがとうございましたっ!!」
 幸いなことに3分もせずに、その女の子を探していたお母さんとすぐに出会うことができた。お母さんはこちらが申し訳なくなるほどにぺこぺこと頭をさげてくれた。
 姉妹なのだろう、横にはもう一人小さい女の子がいて、姉妹同士で抱き合って喜んでいる。
「同じタイミングで娘がふたりともいなくなってしまって、どうしようかと思っていたんです……!」
「真希ね、このおにいちゃん、すき!とってもやさしかったの!」
「真衣はね、きれいなおねえさんにたすけもらったの。ながーいかみをふたつずつにむすんで、めがおっきくて、やさしくって、いいにおいがして、おひめさまみたいだった!」
 ……本当に、なんとなくの、勘だった。俺は、迷子を見捨てられなかった。そうすべきだと思ったし、その理由の一つには、優しい文乃にふさわしい、ちゃんと向き合える彼氏でいたいから、だ。もしも、文乃も同じようなことを考えて、そして、同じように行動をしているのだと、したら?
「そのお姉さんって、この人?」
 俺は携帯の写真を見せると、その子は大きくうなずく。ビンゴだ!
「おねえさんはね、真衣をおかあさんのところにつれていってくれたあと、真希をさがしにあっちのほうにいったんだよ」
「えっと、どこにか、わかるかな??」
 そこでお母さんが話題を引き取ってくれる。
「まだこの辺りだったら、人目や実行委員会の学生さんが見回りをしているから少しは安心だけど、向こうの古い講義棟のあたりだと人気がないから危ない。そういって、走っていきましたよ?」
「……!!ありがとうございます!!」
「おにいちゃん、このおねえさんのおうじさまなの!?」
 女の子ふたりが、きらきらした目で俺を見上げてくれた。
「うん。助けに、いってくるな!」
 俺がそう、まっすぐに答えると、ふたりはわあ~と言ってぴょんぴょんと飛び跳ねてくれる。
「おにいちゃーん、がんばって~!!」
 そういって、俺はようやく文乃がいる可能性が高い場所の手がかりをえて、その場に向かって走り出すのだった。

 

第七章

 

「真希ちゃーん!!どこかな~っ??」
「お母さんと真衣ちゃんがまっているよ~!!」
 わたし、古橋文乃は、大いに賑わっている学園祭で迷子になってしまった女の子を探しに、メインの会場から少し外れた古い講義棟の周辺にきているところだ。人の流れもなく、準備に使われているサークル棟や新しい教室のある建物から少し離れているので、さきほどの賑わいが嘘のようだ。

 わたしはいま、何を考えているのかよくわからない人に狙われている可能性もあるようで。学園祭の実行委員会メンバーでもあり、頼りがいのある天津先輩に連れられて、今日会場に来ている彼氏の唯我成幸くんのところに向かっているところだったのだが。
 天津先輩に次々に連絡が入ってきて、何事かが起きているらしかったのだ。その時、人ごみの中で、涙目になってあたりを不安そうに見渡している女の子が目に入った。
 今、自分も誰かに狙われている、かもしれない。それでも、それは目の前の女の子の不安をそのまま引き換えにするほどの話かといえば、わたしの中では全く釣り合わない。きっと、成幸くんが同じ立場でも、そうするだろうから。
 ということで、その女の子、真衣ちゃんに話しかけて、落ち着かせた。わたしは学園祭のスタッフなど知り合いも多いので、子供を探しているお母さんがいなかった?と聞いて回ると、案外すぐに見つけることができて。お母さんと真衣ちゃんは、無事に合流することができたのだった。ただ、もう一人のお嬢さん、真希ちゃんも同時に迷子になってしまったそう。あたりにいたスタッフに、会場の中で真希ちゃんらしき女の子を見つけたらすぐにお母さんのところに連れてきて、とお願いはした。
 だが、小さい子が人気のないところに迷い込んでしまって、万が一何かに巻き込まれると危険だ。
 いてもたってもいられず、思い当たるところへと走り始める。来る途中で、何人かのスタッフから「天津先輩たちが探していたよ!!」と慌てて声をかけられたのだが、「すぐに戻るから!」と走りながら言葉を背中にぶん投げて、ここまできた、というわけだ。
「ふう」
 少し大きめに息を吐きだす。かなり無理して走ってきたので、いつの間にか呼吸が少し苦しい。
「もっと運動しなきゃなあ」
 とつぶやきつつ、違う場所に移動しようとする。その時だった。

 

 

「あんた、フルハシフミノさ~ん?」
「……!!」
 背中のほうから声をかけられてゾッとした。ねっとりとした、まとわりつくような声。なぜわたしの名前を知っているのか、ということよりも、この声でわたしの名前を呼んでほしくない!という生理的な嫌悪感が何よりも強く反応して、鳥肌になっているのが明らかにわかる。決して声の主を見たいわけではなかったけれど、次のアクションを起こすためには相手を視界にいれないとしょうがないので、体を反転させ、正面に見据えた。

 ずいぶんと大柄な男がそこにいた。年齢は30代くらいだろうか。背が高く、180センチ以上はある。そして、体重もずいぶんとありそう。腹部がかなりだらしないことになっているし、半そでのTシャツから見える二の腕もたるんでいるからだ。
「短文投稿のSNS、見てくれたか~い?会いたかったぜ~?」
 男がわたしとの距離を少しずつ詰めてくる……!逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ……!!それなのに、わたしの体はいうことを聞いてくれずに、あろうことか腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。

 こわい、こわい、こわいこわいこわい……!

「いや~、運命だよな~!"協力者"がいてくれたとはいえ、俺とあんた、出会えたんだからさ~!」
 ひっひっ、という気持ちの悪い音。にやにやしながら笑っているのだ、と遅れて頭が理解する。
「警備もいたみたいだけどよ~、ほかのやつらが犠牲になってくれたんだってさ~!俺とあんた、やっぱり結ばれるべきだぜ~!」
「……いや……こないで……!」
 腰が抜けたまま、少しでも距離をとろうとずりずりと後ろへ下がるのだが当然そんなに早く動けるわけではなく……。
「ほら、これ、何かわかる~?スタンガ〜ン!これももらいものなんだけどさ〜」
 男が右手に取り出したのは、テレビのリモコンくらいの大きさの黒い物体だった。
「これですこ~しだけ痺れておいてもらうからね~。その間……ひっひっ」

「きもちい~いこと、しようぜ~!!」

 黄ばんで欠けた歯を見せつけながら、満面の笑みを浮かべる男。意図していることが、女性にとってどれだけ魂を傷つけることなのか、この男はわかっているだろうか。いや、絶対にわかっていない!
 もう二人の距離は3メートルくらいしかなくて。助けを呼ぶんだ、叫ぶんだ!そう脳が必死に指令をだすのだけれど……恐怖にしばられたからだがいうことをきかない。
 ぎゅっと目をつぶる。そこには、世界で一番大好きなひとの姿が浮かぶ。

「ひとまず服をはぎとってあげ……!?!?!?」

どんっっっ!!!!!

 鈍い大きな音がした。

 

 

 慌てて目をあけると、先ほどの男に別の男性が馬乗りになって必死で押さえつけている。絶対絶命のわたしを助けてくれたその人は……。

「成幸くんっ!!!!!」

 わたしの恋人、唯我成幸くんだ!!どうしてここに、ということは一切思い浮かばない。彼は、いつだってわたしのヒーローなんだから!

「文乃、立てるかっ!?」
 成幸くんの登場で、呪いが解けたように、いつの間にかわたしは体が動くようになっていることに気づく。そのことを成幸くんもわかったようで、
「逃げろっ!!」
 そう鋭い声で続ける。
 一瞬躊躇したけれど、わたしが残っているよりも助けを呼んだほうが事態は好転する。それに、成幸くんが今体を張ってくれているこの瞬間を生かさなければ!
 だが、そこで。
「なめるな~!!」
「ぐっ!」
「成幸くん!!」
 下にいた男が成幸くんを殴りつつはねのける。力は相当にあるようだ。
「ふざけやがってふざけやがって!!!バイト先のやつらもSNSのやつらもみんなで俺を馬鹿にしてるんだ……!!!」
 男の脳裏には、愉快でない記憶が次々によみがえっているらしい。血走った目をしていて、わたしと成幸くんをにらみつけ、スタンガンを振り回し始める。
「も~うゆるさん!二人とも、こいつで体を麻痺させてやるよ!!」
 つっこんでくる男に対して、殴られた痛みがあるはずなのに、成幸くんがすかさずわたしの前に両手を広げて立ちはだかり、そこに男が突っ込んでくる。
「文乃、何があっても俺がおまえを守るからな!」
「うん!」
 不思議だった。さっきは一人で何もできなかったけれど、いま、二人なら、ピンチなのにきっと乗り切れてしまうはずだという、無敵な気持ちになっているから。
 その時、視界に起死回生の一手になり得る人物が目に入る。これなら、きっと。そのために、一瞬でもいい、こっちに向かってくる男の足止めを……!
「あ、空から三つ編みの女の子が落ちてくる!!」
「!?」
 わたしは大声をあげるながら、視線と指を上空に向け、え、と成幸くんも男も一瞬上を向く。それだけ稼げば、あとは十分!

 

 

「動くなあっっっ!!!」

 虎が吠えている、と言っても過言ではない、裂ぱくの気合とびりびりと空気を伝わってくる怒りの声。
 男がびくっして動きを止めたその1、2秒の間で、声の主の女性が10メートルほどもあった間合いを詰める。
男がようやくその動きに反応しようとしたが、動きの質の差が違いすぎる。
 近づいたその人へのリアクションとして、慌てて男が右手を振り回すが、小さな動きで躱される。
「こ~のっ!!」
 男は顔を真っ赤にしながら、スタンガンを持つ左手を突き出してその人に当てようとする。それに意を介さず、彼女が男の懐にすうっと踏み込みながら、手首に触れたような気がした瞬間。

ずどんっっっ!!!

「がはっ……!!!」

 男の体がぐるりと回ったかと思うと、地面へとたたきつけられていた。声の主は手際よく男を地面へと押し付け、右手を背中のほうへひねり上げてると、いわゆる組み伏せる形になった。
「ふう……ごめんね、文乃ちゃん。遅くなった」
「ありがとうございます、天津先輩!!」
 そこには、天花大学最強の女子学生であり、頼りになりすぎる姉御肌。そして、『大虎系美人』のあだ名のとおり、美人な分一層印象を残す獰猛な笑みを見せている、天津星奈さんがいたのだった。

「噂には聞いていたけれど……天津先輩、無茶苦茶強いんだな」
 感心するというよりも、もはやあきれ返っている成幸くん。
「合気道の有段者だから!でも、わたしも生で見たのははじめてで……すごかったね」
 あれ、どうやったんですか?と聞いてみると、力業で手首をひねり倒したわけではないそうだ。所詮女の力で、体重差のある人間を簡単に投げ飛ばせるわけはない。
 だから、"崩す"のだ、とのこと。
 一つは呼吸。息を吸う、吐く、のタイミングを瞬時に見極めて、呼吸を相手と合わせる。すると、相手が素人であれば、次の動きをなんとなくコントロールできる……乗っ取れる、のだそうだ。
 一つは体。相手の手首を握った瞬間に、軽く右にひねろうとする。すると相手は左に戻そうとするわけで、その動きを、少しだけ極端にさせる。そして、そのまま左に戻す力に、自分のエネルギーも加えて、ぽんっと突き飛ばすイメージ。通常、関節が不自然に動かされるとき、体は関節を守るように動くようになっている。なので、不自然なまでに左にエネルギーの指向性を向けてやれば、支点を一瞬固定しておくだけでぐるっと相手を倒せるんだよ、とこともなげに言っていた。
 投げた男の人の体重が重く、受け身をとるセンスもなかったようなので、そのまま地面にたたきつけられた時のダメージがもろに身体にいったらしい。追い打ちをかけずにすんだよ、残念!と冗談なのかどうかわからない言い方をしていて、つられて笑うしかなかった。
 その天津先輩は、てきぱきと指示をだして、この現場にやじうまが集まらないようにしつつ、実行委員会の関係者が割かれて全体の警備が手薄にならないように手配をしているようだ。
 わたしと成幸くんは、少し離れた場所で放心していた。はあ~、と成幸くんが大きくため息をつく。
 どうしたの、と聞くと。
「文乃が無事で……本当によかったよ」
 そう、心底ほっとしたように言ってくれた。
「あ、そういえば!」
 わたしは成幸くんの頬を見る。そうすると、少しずつ青あざが濃くなっている。さっき男に殴られた部分だろう。
「これ、大丈夫…??」
「ん?ああ、まあ、ちょっと痛いけど……。文乃を守れたんだ、名誉の負傷だな」
 そういって、にっこりと笑ってくれた。
「なりゆ……」
 胸がいっぱいになり、愛しい彼の名前を呼び終わったら抱きついてしまおう。そう思った、その時。

 

🐯

 

 ほどなくして、同じ警備隊の子たちや警察も駆けつけてきた。警察に男を引き渡し、小さく息を吐く。
「さすが天津先輩ですね!」
「ほんと、かっこいい!」
「いや、武道の心得がない人間でラッキーだったよ」
 男からターゲットになっていた文乃ちゃんを守ることができた。場の緊張感はいったん途切れている。あたしも、未熟にも、一瞬気を緩めていた。
そこで。
「!」
とあることに気づいた。その男は赤いリストバンドをしているものの、赤い腕時計はしていない……!!
「あんた、腕時計は!?アカウント名はスズヒロじゃないの!?」
「俺はスズヒロなんかじゃねーよ!!腕時計だってしらねー!!」
「!!」
 わたしは慌ててあたりを見渡し、最も守られるべき女の子、古橋文乃ちゃんを探す。
 彼女をすぐに視界にとらえた、しかし、そこへふらふら、と近づく線の細い人間がいる。手首には、赤い腕時計!!
 本人、文乃ちゃんも含めて、誰も気づいてない……いや、ただ一人、彼女の"永遠の恋人"がとっさに庇って、そこへ物体が突き出される!
 どっ、と大きな音ではないものの、不吉すぎる音があたりに響く。

「なりゆきくんっっっ!!!なりゆきくんっっっ!!!!!」

 追跡者はすぐさま周囲の人間に取り押さえられたものの、倒れてすぐには起き上がらない唯我くんに、文乃ちゃんが必死に声をかけている。救急車を急いで呼んで、隣にいた実行委員会の人間に言い放つと、あたしは彼らの場所へと急いで向かう。文乃ちゃんのあまりに悲痛な声に、あたしの胸は張り裂けそうになるのだった。

 

第八章

 

「とと……文乃、そんなにくっつかなくても。大丈夫だよ、足をくじいただけなんだから」
「だめ!!成幸くん、無理しちゃうから、怖くて……」
 時刻は、17:45。学園祭は終わったのだが。ここからが、ある意味第二部。学園祭に参加した天花大学の学生たちだけで慰労しあう、後夜祭が始まっているのだ。そのメインステージ周辺にて、ぎゅうっと、文乃ちゃんが唯我君の右手にしがみついているのを、あたし、天津星奈は見守っていた。彼女たちは、惚気たいわけではないのだ。彼女の真剣な表情から、それは明らか。
「そりゃ、文乃のためなら必死になるよ。一生支えるって、約束したんだから」
「そうだけど……。兎に角、しばらく絶対離れないからね!」
「……ありがとう」
 唯我君はうなずくと、文乃ちゃんの頭を優しくなでる。それにしても……。いい雰囲気である、とかそういうレベルではない。結ばれるべくして結ばれた二人が、今もなお、絆を強くし続けている。そのまっすぐな途中経過を、垣間見ているわけだ。
 少なくともあたしは、嫉妬、という感情はわかない。しいていえば、羨望、に近いと思う。
「まいったね」
 苦笑してそうぼやくほか、ない。

 スタンガンは不発だったのだ。スイッチが入っていなかったそうで。唯我君は、相当無理な体制で文乃ちゃんをかばった。そこに打撃を受けた形になり、変な姿勢で倒れたので、足を軽くくじいてしまった、というわけ。その程度で済んで、本当によかったのだ。もちろん、その時点でそれが不発だ、なんて誰一人予想できない中で、唯我君はスタンガンを持っている相手に素手で立ち向かった。その勇気たるや、"ホンモノ"だ。現に。
「優しいだけじゃなくて、彼女のために身を投げ出せるなんて、かっこよすぎるよね」
「古橋先輩がべったりなのもわかる~。そんな人、めったにいないもん」
「いいな~、私もそんな彼氏が欲しい!」
「だよね~!!」
 そんな話を、女子学生がしている。唯我君の株は爆上がりで、女性陣から、熱い視線を向けられているわけだ。無論、付き合いたい!ということではまったくなく、身近な男たちに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいのだと思う。同感だ。
 そもそも今の唯我君と文乃ちゃんを見て、2人の中に割って入ろうという人間はいないだろう。
 会場の隅では、学園祭を機に文乃ちゃんとお近づきになれるのではないか、という楽観的に過ぎた、というか、夢を見すぎていた男たちが沈んだ面持ちでアルコール片手に慰めあっていた。やれやれ、だ。

 しかし。気になることは、たくさん残っている。今日、輝星祭に現れた狼藉者たち。口をそろえて"協力者"がいた、と言っていた。短文投稿SNS上で仲良くなり、自分を信頼してくれたのだ、さらには、この世で唯一の理解者だったとまでいうやつもいた始末。おだてられて、自尊心をくすぐられ、そのうえで手筈を指示されて、事に及ばさせられたようだ。最初の4人は、あからさまな"囮"だった。警備のリソースを一気に割かせて、本命の人間に注意が払われないようにした。あの大柄な男は、自分が本命だ、という役割を信じていたようで、シチュエーション的にあたしたちも完全に引っかかって。本当のカードは、最後の最後まで伏せられていたわけだ。
 それぞれの"協力者"は、異なるアカウントで、それぞれ接し方を調整していたらしい。ずいぶん手間をかけるもの……いや、かけていたものだ、か。一様に、アカウントはすでに消されていたからだ。それにしても、あきれることに、今回の狼藉ものたちは、自分たちは罪に問われないと思っていたのだ。その"協力者"から、でたらめな理由付けをされて罪には問われないとそれらしく言いくるめられ、何かあれば弁護士もいる、だから問題ないのだ、と。自分で少し考えることができる頭さえあれば、そんなことはありえないとすぐに気づけると思うのだが……視野狭窄にすぎる。
 模擬店付近で強引なナンパの末に暴れた4人は、軽犯罪法の要件を満たしうる。その場合、拘留または科料に処される。
 大柄な男は、暴行罪の要件を満たしうる。その場合、2年以下の懲役、もしくは30万円以下の罰金または拘留・科料。
 最後の男は、傷害罪の要件を満たしうる。その場合、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処される(警察の見立てで暴行罪になる余地もあるようだが、罪を犯したことにかわりはない)。
 いずれも、落とし前はきっちりつけてもらう。しかし、大がかりだった。この件に黒幕がいることに間違いないのだが、そいつがどこのだれで、どんな目的があるのか、今のところなんの手がかりもない。
 今日、幸いなことに、文乃ちゃんは無事だったのだが……あきらめるとは、思えない。
 どこかのど元に魚の小骨が刺さったままのような気持ち悪さは残っている。
「天津先輩、何しているんですかー!」
「今日くらいはほめてくださいよ~!!」
「ん?はいはい」
 なんとか無事に輝星祭をやり通して、高揚している実行委員会の後輩たちがこっちこっちと呼んでくれている。今少しだけ、祭りの後の独特の雰囲気に触れさせてもらうかなと割り切って、あたしはそちらに向かうのだった。

 

 

 俺と文乃は、なぜか7、8人の女子学生に囲まれて質問責めにあっているところだった。どこで出会ったのか、いつからお互い意識するようになったのか、どちらから告白したのか。付き合ってから仲良くできるコツは、お互いの好きなところは、今日男から庇ったそうだが怖くなかったのか、などなど。どうも、いま交際相手がいない子だけでなく、今彼氏がいる人もなぜか俺たちに興味があるらしい。やはり人に話すのは勇気がいる。ましてや、これだけの人数であれば、余計に、だ。とはいえ。皆、相当に真剣な表情なのだ。どうしようか、と文乃と顔を見合わせて、お互い苦笑い。折角のお祭りの後なのだ。皆が高揚しているこの場のノリに、身を委ねるか、ということ。基本的には文乃が答えて、適当に俺が付け加える形にした。しかし、やはり……。恥ずかしい!
「えっと、たぶん、好きになったのはわたしの方が早かったと思うな。はっきりと意識したのは、出会ってから半年くらい、秋くらいから、だよ」
「へえ〜!彼氏さんは?」
「えっと、俺は冬だな。バレンタインを過ぎた頃くらい」
「どれくらい意識してたんですか!?」
 本当に皆興味津々だ、真剣な目そのもので。
「正直、自分でもコントロールができなくて。朝起きても、飯食ってる時も、勉強してる時も。何をしていても、えっと、彼女のことを、考えてました」
『きゃー!!』
 一斉に嬌声があがる。みんな隣同士で興奮して言葉が飛び交っている。流石に顔が真っ赤になりながらの受け答えだ。隣を見ると、文乃も同じ。
「ストレートすぎるよ、もう」
とのこと。それでも。
「ふふふ。わたしに夢中だったんだ」
「そうだよ。まあ、今もだけど」
 嬉しいよ、の言葉の代わりに、文乃は俺の膝の上の手に、自分の手を重ねてくれた。二人で微笑みあった、その時。

 ドドド……とすごい音がする。なんだなんだ、と思っていると、質問してくれていた女の子たちを押しのけて、20人以上の男子学生が押し寄せ、彼らに俺と文乃は囲まれてしまう形になる。その先頭にいたのは……。
「あ、アメフト部の模擬店の……」
 そう、キャプテンと呼ばれていた彼。ガタイがよくて、表面上は親切にしてくれた。しかし、渡されたのは焦げたピザという、真意不明の人だったのだが。
「唯我成幸くんっ!!!」
「は、はいっ!」
「すまなかった!!」
『すいませんでしたっ!!!』
「!?」
 キャプテンが頭を下げて、その後一糸乱れずに、20名以上の男の子たちが続けて一斉に言葉と動作を重ねて謝られてしまう。
「え、え、何かありましたでしょうか……??」
 思い当たる節がなさすぎて、思わず敬語になってしまう。すると、俺は目を疑う。ばっと、キャプテンが俺の手を取ると、男同士で手を握りあう形になったからだ。そして、なんと彼は瞳を潤ませているではないか!
「我々は、プリンセス・ガーディアン!人知れず、天花大学のプリンセスを見守る、由緒正しい集まりだっ!」
「は、はあ」
 ツッコミどころがたくさんあるが、真剣さに気押されてしまう。
「プリンセスナンバー28、古橋文乃姫」
 妙な言い回しの中で不意に名前を出され、文乃は不信感全開の表情。それはそうだ……。
「彼女には愛する殿方がいるという噂は知っていた……」
 そこで、キャプテンは遠い目をする。
「だが、我々はそれはデマだと思っていたのだ。弱みを持ち無理やり交際している体を装っている悪漢に違いない。いつの日か、成敗しなければ、と」
「それが、今日だったのだ。我々は、一致団結し、君を懲らしめるべく、対抗させてもらった」
 ぴん、ときた。
「あー!もしかして、模擬店で俺がなかなかご飯を入手できなかったのって……!」
 悲しそうにキャプテンはうなずいた。
「そう、あれが我らなりの制裁だった。しかし、だ!!!!」
 ぎゅうっとさらに強く汗ばんだ手で、俺の手を握りしめてくれる。嫌だ。
「君は!素手にも関わらず!武器を持った相手に立ち向かったと聞いた!古橋姫を守護るためにっ!!」
 何かに感極まってしまったのか、ついには彼は涙を流し始めてしまった。
「素晴らしい……まったくもって、素晴らしい……!なあ、諸君!!」
 メンバーに同意を求めると、皆が賛同の声を次々にあげる。
「イグザクトリイ!」
「その通りです!」
「まさに、栄光の騎士、ですな!」
「ついては、だ!贖罪をさせてほしいのだっ!!」
 そういうと、見覚えのある模擬店の店員が、それぞれ手に品を携えて俺の目の前に並ぶ。
「ああ、これ!!」
 そこには、俺が入手しようとかけずりまわったものの、ことごとく失敗してしまった、逸品たちが並んでいるではないか!!
 山岳部の『銀河お好み焼き』。具が大きめに切られてはみ出ている。間違いなく通常の大きさではない。ソースとマヨネーズ、かつおぶしもたっぷりだ。
 数式研究会の『激烈火炎放射ホットドック!!』。通常1本のはずのソーセージが、豪華にも2本使われている。そして、ただでさえ辛そうなマスタードの量もたっぷりだ。
 カヌー部の『天の川焼きそば』。湯気が出ていて、いままさに作り立てなのだろう。食欲を引き立てるソースの香りが胃に直接伝わってくる。
 そして、アメフト部の『THE一番星ピ座』!通常の大きさの5倍はある。トッピングも見るからに豪華だ、チーズやサラミ、アンチョビにコーン、照り焼きチキンが惜しげもなく載せられている。
 どれも2人前ずつ用意してくれている。俺と、文乃の分、ということだろう。そういえば、ちゃんとご飯を食べていないままだ。ぐー、とおなかの音が鳴ってしまう。
「当然お代はいらない!遠慮なく食べてくれたまえ!」
「それは悪いですよ!」
「いやいや、君の男気に我ら感動しているのだから、気にすることはない!さあ!」
『さあ、さあ、さあさ、さあさ!!』
「じ、じゃあ、遠慮なく……」
 圧力にも負け、食欲にも背中を押され、俺が並んでいるごちそうに手を伸ばそうとして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ちょっと待って、成幸くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ふみ、の……?」


 それまで沈黙していた文乃が、俺にいったんストップをかける。俺は彼女の名前を呼ぼうとして、ようやく異変に気付いた。
「あの、プリンセスなんちゃらの皆さん」
「はい?」
「この人はわたしの大切な彼氏です。だけど、その前に。この輝星祭を楽しみにしてくれていた、お客さんでもあるんです……」
 文乃が怒っている。それも、尋常じゃなく。ゴゴゴゴ……と空気が震えて、場がピリピリと緊張しはじめていた。
「その人に対して……一人か皆さんか知りませんけど、私情を挟んで、意地悪をした。そういうこと、ですよね……?」
「いや!いやいや!そういうことではないんでござるよ、古橋姫!!」
 文乃の瞳が、ごくまれに見ることのある、親父さん譲りのめちゃくちゃ冷たい視線に代わっていた。
「かかわった皆さんのお店。実行委員会の反省会で顛末は報告します。そして、来年度の"適否審査"にかけさせてもらいます」
 あっという間にキャプテンの顔が真っ青になる。
「"適否審査"……!?出店できるかどうかの妥当性を判断され、失格だと4年間追放されるという…・・!!」
『!?』
 どうやら、かなりの大事のようだ。プリンセスなんちゃらがざわつき始めている。
「いや、古橋姫、それは少し厳しいのではないかな?ほら、我々と唯我君は和解をしたのだし!なあ、唯我君!!」
「えっと……」
「今わたしはあなたと話しているんです。彼を巻き込まないでもらえますか。だいたい、どうして言い訳をするんですか?男らしくないです。それでプリンセス・ガーディアンズを名乗るんですか?ありえないですよね。そもそも、誰かを嫉妬して、嫌がらせをするような人たちに一方的に認定されて、慕われても、嬉しい女の子なんているわけがありません。あなたたちの存在価値、ミジンコ並……いや、そういうとミジンコに失礼か。靴の裏に張り付いたガムみたないものです」
 そこにいる誰もが、文乃の怒気と言葉のあまりの辛辣さに驚き、凍り付き、固まってしまっている。高校三年生で出会ったばかりのころ、確かに毒舌気味だったことはあったけれど。今、奇麗な女性になってからの冷たい氷で切り刻むような言葉の破壊力はすさまじいものになっている。
「新田ァ」
 キャプテンの名前なのだろうか。苦い顔をして天津先輩が現れる。
「あんたらのごっこ遊び。迷惑をかけない範囲でならいいかな、と女性陣見逃してきたが……。文乃ちゃんを見て、わかるよね?一線を越えてしまったんだ。それなりのペナルティは受けてもらうよ」
 がくっとうなだれるキャプテンこと、新田氏。そして、プリンセス・ガーディアンズのメンバーたち。俺は何かしら声をかけたほうがいいのか、と思いつつ、文乃と天津先輩の怒りを目の当たりにしているので、おいおいと半端な同情はしないほうがよさそうだ。
「文乃ちゃん。こいつらからの料理はさ、しっかり食べてね。許す、許さないとは全く違う話だよ。唯我君が本来受け取るべき対価なんだから」
 そういって、天津先輩はウインク一つ。どこまでもかっこよくて気を配れる人だ。文乃もようやく厳しい表情を緩めてくれた。俺と文乃は、ようやく美味しい逸品たちを手に入れることができ、二人で楽しくおしゃべりをしながら、舌鼓をうつのだった。

 

 

「それでは、輝星祭のフィナーレです!恒例の、"スター・プレゼント"!それでは皆さん、ご一緒にカウントダウンをお願いしま~す!」
 マイクで拡大された陽気な女子学生の声があたりに響くと、あちこちで歓声が沸く。
「なんだなんだ?」
「ふふふ。お楽しみ、だよ」
「10!」「9!」「8!」「7!」「6!」「5!」「4!」
 数字が減るにつれ、唱和する声が増えていく。俺もそれに乗っかってみたくなる。横を見ると文乃もうなずいてくれた。
「3!」
「2!」
「1!」

「ゼロ!!」

ポンッ!ポンッ!ポンッ!!

「あ……」
「わあ!」
「こっちにきてー!!」
「風で流されているな、あっちだ!」
 校舎の屋上からだろうか、空中に何かが次々に打ち出されている。皆が指を指して追いかけ始めていて。あれは……。
「パラシュート?」
「そう!実は、中にはね……あ!」
 ふよふよ、と一つ、ちょうどよく俺と文乃のところに流れ落ちてくるものが一つ。ちょうど俺の膝の上にゆっくりと落ちてきた。球形のプラスチックケースがついている。
「成幸くん、開けてみて?」
「うん。……お、なんだこれは……青い、星??」
「え、あ、あれすごい!」
「ええ、生で初めてみたよ!」
 そこには、ちょうど手のひらに乗っかるくらいの大きさの立体物。

「少し見慣れないかもしれないけど、ダ・ヴィンチの星っていうの!正多面体の各面に、側面が正三角形の正多角錐を貼り合わせた立体でね。あのレオナルド・ダ・ヴィンチが考えたとされてるんだ。これが、パラシュートごとにひとつついてるんだけど……」

 周囲がざわついていて、文乃も興奮気味だ。
「これはね、青、赤、緑の三色があるんだけど、青は一番レアなの!」
「へえ……!じゃあ、かなりラッキーなんだな」
 そういわれると、俺の手に収まっている青い星が、とても立派なものに見えてきた。人間とは現金なものだ。
「ジンクスがあるの。青い星に願いをかけると、叶うといわれていてね。幸せになった先輩たちがたくさんいるんだって!」
「そうか。じゃあ……文乃は、どんな願いごとにしたい?」
「成幸くんが決めて?今日のゲストなんだから」
 そういって文乃はにこにこしている。俺は笑いながらうなずく。

「俺は、すぐに願い事はできるよ。ある女の子と出会ってから、ずっと変わらない」

 俺は小さく一呼吸してから、言葉を続ける。
「古橋文乃さんと、ずっと一緒にいられますように!」
 文乃は恥ずかしそうに下を向く。
「やっぱり……」
「ん?」
「えへへ。願い事、わたしも同じだったから。わたしも、唯我成幸くんと、ずっと一緒にいたい!」
 俺は、左側に座っている文乃の右手に、自分の左手を重ねた。体温を伝えあいたくて。文乃が、重ねた手と手の指を絡ませてきて、俺もすぐに反応した。
 お互いの気持ちは高まっていて。溢れた気持ちは、一つの言葉に収れんする。

 

『愛してる』

 

 重なった言葉は、お互いに同じ熱量で、同じ瞬間に伝えたいものだ。顔を真っ赤にしながら笑いあう俺と文乃。俺は彼女と想い合えている奇跡のようなこのことを、あらためて大切にしようと思うのだった。

 

終わりに

 

「フーリエちゃんっ!おつかれさま!」
「フーリエ、がんばったよね、私達!」
 文乃が実行委員会の仲間と一緒に、フーリエ、すなわち、輝星祭実行委員長の由風梨恵のところに集まっていた。
「ほら、フーリエが好きなラムネ!」
「むむ、これはボクが愛してやまない、古き良きやつじゃあないかっ!ありがとうっ!」
「また打ち上げ本番の調整はするけど、今日も有志で少人数でやろうかと思ってるんだ~。フーリエは、どう?」
「お誘い感謝っ!でも、さすがに少し疲れてるかなっ!打ち上げのときに、ボクはしっかり盛り上げさせてもらうよっ!」
「そっかそっか。じゃあ、ほかにも声かけてこようっと。あ、古橋は参加しなくていいからね?今日は愛しのダーリンと一緒にいてもいいからさ」
「きゃ~!」「彼氏いいなあ」「古橋の彼氏さんは、特別だから!」
「もう、全く」
 からかわれて、文乃は顔を赤くしつつ苦笑いだ。
「しかし今日は、フルハシ君になにごともなくて、本当によかったよっ!」
「フーリエちゃんや、天津先輩のおかげで、なんとか」
「それと、キミの王子様もだねっ!素敵なカップルじゃあ、ないかっ!」
 照れる文乃。その時、友人たちに呼ばれ、またあとでね!と言って、文乃は向こうに走っていく。
 誰一人視線が自分に向いていないことを確認し、フーリエの表情が消えた。
「スタンガンを直撃させられなかった。実験はやり直しだねっ!瀧にもお仕置きが必要かなっ!」
「真に人望を集める"ホンモノ"に、取り返しがつかないくらいの不運が起こった後の"復元力"。それが観測できなければ、成功とはいえないからねっ!」
 そこで、彼女はにっこりと笑みを浮かべなおした。
「Un malheur ne vient jamais seul」
 そして、フランス語でとある言葉を呟いた。
「不幸は決して一つでは済まない、だよっ!」
 文乃の口癖を意識して使っているのだ。フーリエは、早速脳をフル回転させ、次なる"実験"を考え始めるのだった。

 

(おしまい……?)