【はじめに】
秋の空は、どこまでも青く、広がっている。気持ちのいい風が秋桜の優しい香りを拾ってくれていた。
古橋家の墓。その、墓前。
「…静流、おはよう」
『零侍くん、おはよう!』
「今日は、報告がある。文乃の…なんだ、彼氏というか。仲の良い男がいるんだが」
零侍くんは少しだけ苦笑している。表現ぶりに困ったようだ。
『うんうん、唯我成幸くんだよね?知ってるよ、いい子だよね。文乃はベタ惚れだもの』
「あらためて、きちんと話をしにきたいそうだ」
『え、それって…もしかして!?』
「…私にも、さすがにわかったよ。そろそろ、という気もしていたしな」
『…そっか。文乃にとって、節目の日なんだ。それでわざわざ来てくれたんだね。ありがとう』
少し、零侍くんは年をとった。目尻にこれまでなかった小さなシワができた。でも、その分。あの小さかった文乃も、年齢を重ねて。素敵な女性になっている。たまに覗きにいくけれど…。わたしに似て…いや、それは冗談だとしても…随分、綺麗になった。その一番の要因は、よーくわかってる。愛している人がいて。愛している人に愛されているから。奇跡のような出来事だ。わたしだってそうだった。愛している人、いま目の前で静かに微笑んでくれている零侍くん。たくさん愛してくれたから。
「さて、そろそろ行かなくては。夕方には、彼と文乃、2人で家にくるそうだ」
「またな、静流」
『うん、またね、零侍くん』
あの零侍くんでも…少し緊張しているように見えた。
『わたしも…見に行くしかないよねっ!』
そして、少しだけ、文乃の節目を眺めにいくことにしたのだった。
【第一章】
文乃の様子を見にいく。唯我くんと、輸入食品が豊富なお店にいた。
「お父さん、お酒はそこまでだけど…今夜は、飲みたいと思うから。ワイン、どれがいいかなあ」
「親父さん、この前飲んだ時はチリ産のは安いがうまいって言ってたけど…高いやつの方がいいかな?」
2人並んで一緒にお酒を選んでいる姿は、本当に素敵なカップルだ。思わず、微笑んでしまう。
「いつも値段はあまり関係なさそう、かな。単に好みみたい。だから今夜は…この白ワインでどうかなあ。成幸くんも飲むでしょ」
「そうだな…これにしよう。あとは、おつまみのチーズとか、サラミか。晩ご飯は大丈夫なのか?」
「うん、今日は軽くでいいみたい。さ、行こう行こう!成幸くん、お父さんと仲良しなんだから、大丈夫大丈夫!」
心なしか、文乃はいつもより明るい。そりゃ、まあ…嬉しい夜だから。女の子なら、誰だってそうかもしれない。もともと零侍くんは、お酒はそこまで飲まない。わたしが死んだ時は…。やけになっていて飲む量が増えてしまい。だいぶ精神的にもまいっていて。わたしも…辛かった。
だけど今は。静かにお酒を楽しめているみたいで。ほっとする気分は、ある。さて、2人は古橋家に向かうようで。いよいよ、今夜のクライマックスだ。
【第二章】
「ただいま、お父さん!」
「お、お邪魔します」
「文乃。おかえり。君も、よく来てくれた。まあ、どうぞ」
唯我くん。やはり緊張しているようで。少し表情がかたい。可愛い。見慣れたダイニングテーブルに、零侍くんと唯我くんが座って。文乃は、やっぱり軽くおつまみをつくるようで、キッチンに立っている。
「親父さん、どうぞ」
「ん、すまんな」
買ってきたワインを2人で飲み始めている。
「仕事はどうだ。慣れたか?」
「はい、もうすぐ一年と少しですけど…ちょっとは、慣れてきました」
「人に教えるというのは、難しいだろう。最近の学生は特にそうだ。この前のレポートもひどかったよ」
「そうですか。俺も、この前の体育の授業は散々でした。人のことは言えないですよ」
大学教授をしている零侍くん。
学校の先生になった成幸くん。
教えること、という共通点があり、意外と話が盛り上がるんだよね。不思議な気もする。もともと零侍くんは人付き合いが上手ではないから、娘の彼氏とはいえ、ここまで普通に話す相手、というのはめずらしい。
「はい、ポテトサラダだよ!」
「ありがとう、文乃」
文乃も机を囲む形になる。わたしも、空いている椅子にそっと座った。どこからでも見えるんだけど。ねえ、大切な日だから。
そこで。一つ零侍くんが咳払い。
「唯我成幸くん。話というのは?」
目に見えて、唯我くんが緊張していた。
【第三章】
空気が少し引き締まった中で。
「あの。お嬢さん…文乃さんと、結婚したいと思っています」
「…」
少しの沈黙。
「結婚、か。娘…文乃を幸せにできることを、いま論理的に君は証明できるのか?」
零侍くんの顔が、少しだけ、険しい。
「ちょっと、お父さん…」
「文乃、いまわたしは彼と話している」
「いいんだ、文乃。大丈夫だから」
唯我くんがそう言うと、文乃は少し落ち着く。でも、結構意地悪な質問だ。彼は、どう返事をするつもりなのだろう。
「俺、文乃さんとお付き合いさせてもらってから、ずっと幸せなんです」
唯我くんは、零侍くんをまっすぐに見ている。言葉を続ける。
「親父さんがいて。お袋さんがいて」
思わず、わたしへの言及もあり。少し驚く。
「お二人の愛情があったからこそ、今の文乃がいてくれる」
「優しくて。少し不器用で。笑顔が素敵で。たまに怒って。明るくて。…俺のことを好きだと言ってくれて。そんな文乃が、大好きなんです」
もう、恥ずかしくなってしまった。こんなストレートに、親の前で、娘を好きだと宣言しちゃうなんて。文乃も顔を赤らめている。
「だけど、足りないんです」
「毎日、もっと好きになる。そんな文乃と…一緒に幸せになりたいんです」
少し間があき…零侍くんが口を開く。
「…レポートの回答としては、不合格だな。全く論理的ではないからだ」
そんな、と文乃が言う前に、零侍くん。
「…だが。途中の証明が説明できずとも、ある答えだけを目指し続ける姿勢はよくわかった」
そこで。零侍くんが…笑った。静かに、だけどわたしの目の前以外では珍しくて。文乃も、唯我くんも、そのことに驚いていて。
「もともと、証明など必要はないんだ」
「文乃は。私と…静流の、自慢の娘だ。そんな娘が選んだ君だ。答えは一つだけだった」
わたしは、そこで涙が一筋溢れる。
「唯我成幸くん。娘を、よろしく頼む」
零侍くんと並んで。
わたしも、深々と、唯我成幸くんに向かって、頭をさげた。
【終わりに】
あの日。
あのあと、大変だった。
文乃が大泣きしてしまい、成幸くんと零侍くんがお手上げになってしまったのだ。時間のおかげで解決できたようだけれど。でも、人のことは何も言えない。わたしも、文乃と一緒に号泣していたから。
わたしが早くにいなくなってしまって。文乃には随分と寂しい思いをさせてしまった。零侍くんとの関係も、常に良好だったわけではないし。
だけど。唯我成幸くん。
彼が、文乃の運命を変えてくれたのだ。あの夜、みせてくれた、一途さと、優しさ。素晴らしいものだ。
まだ、確たる未来なんてあるわけではないけれど。零侍くんとわたしは大いに期待している。
愛している娘の幸せを、心から願い…祈っている。
(おしまい)