古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

或る人は[x]の先達なるも出藍の誉を見出すものである

 

【はじめに】

 

「古橋文乃です、よろしくお願いします!」

 

うちの研究室に、新人がきた。性格もきさくでなにより美人、という事前情報だけは嫌というほど聞かされた。不思議なのは、同性からも悪い話を聞かないこと。あっても、それはたぶんやっかみだな、ということがすぐわかるものばかりで。まあ、会ってみなけりゃわからんか、と思ってはいた。

 

彼女に目を向ける。

 

シンプルな白いブラウス。小さなリボンがあしらってある紺色のフレアスカート。ワンポイントで、薄い水色のスカーフをしていた。悪くないセンスだ。ちゃんと、自分にどんな服が似合うのかわかっている感じ。化粧は薄めのようだ。それでも、顔立ちが整っていることは隠しようがない。きりっとした美人だと言われる(自慢ではなく、事実として、ね)、あたしも羨ましくなるくらいだ。目が大きくて形も綺麗、鼻筋もすっと通っていて。スタイルも細身で(胸はない)、肌の色も白い。いわゆる女の子らしい、正統派の美人である。同性で羨ましくない子はいないんじゃないの、そこまで思ってしまう。

 

そんな考え事をしていて、ふと気づくと、研究室メンバーの紹介になっていて。


研究室の教授があたしに話を振る。


「この人は、天津 星奈(あまつ せな)さん。うちの研究室のとりまとめ役、みたいなもんだ。何か困ったことがあれば、天津さんに相談すればいい」
そう紹介され、あたしは軽く頭を下げる。

 

その子はあたしに対して緊張しているようだった(あたしの一見きつそうな印象からめずらしいことではない、残念ながら)。

 

まあ、徐々に慣れてくれればいいや、と思う。

 

そんな中、あたしは、この子についてある人と交わした会話を思い返していた。

 

【第一章】

 

「おはよう、麻子さん」


「ああ、あんたかい。それにしても、名前呼びはやめてほしいもんだね」


「いいじゃん、ほかにお客さんいない時だけなんだから」

 

あたしは、行きつけの喫茶店である、銀星珈琲に来ていた。朝の早い時間で、誰もいない。

 

在学生の中では古株の部類だと思う。いま、博士課程の3年生で、入学して以来、週に一度は、必ず来ている。麻子さんというのは、店主の名前だ。宇多 麻子(うた あさこ)さん。とてもかっこいい、おばあさんなのだ。少し小柄なのだが、背筋はいつもぴんっ、としていて。きれいな銀髪で、一括りで結んでいることが多い。あたしが通い始めたばかりの時には旦那さんがいて。物静かな人だった、麻子さんとは静かな愛情が感じられて。いいご夫婦だな、と初対面で感じたことは忘れない。

 

いつものね、と言って、あたしはお気に入りの席にどかっと座る。麻子さんは、すぐにエスプレッソを出してくれた。そこで。


「今度、あんたのところに有名人がくるんだろ?例のあの子」


少し面白そうな顔で麻子さんが問いかける。


「さすが、情報通だね」


「見たことは?」


「遠くから少しだけ、ね。その子についての話を聞いたことはたっくさん!」


うんざりなのだった。同じ研究室にその子がくるということで、馬鹿な男どもがもう無駄に目を輝かせながらあたしにいろんな話を持ちかけてくる。①その子がどんなに素敵なのか熱弁、②ぜひ話がしてみたいのでとりもってほしい、飲み会とか、③付き合いたいがどうすればいいか、とか。①は無視、②も無視、③も無視、だ。特に③。自分で気持ちを伝えられもしない男など、男でいる価値はない。睨みつけること多々。

 

あたしは元々キレやすく、『(天花大学で最も怒らせると怖い)大虎系美人』、というわけのわからないあだ名があることもあり、すぐにあたしの周囲からそんな期待に胸を膨らませたやつらはいなくなったのだが。

 

「麻子さんも見たことあるんでしょ?どんな印象?」


「あたしが客について話すわけないだろ」


麻子さんはそっけない。


「たまーに男の子とこのお店にくるらしいじゃない?彼氏?」


「さあね」


「……はっはっは!」


急に麻子さんが笑い出した。


「あんたが逆にここまで気にしてるのが不思議だよ。周囲がどうだろうと我が道を生き続けているあんたが、ね」


とたんにバツが悪くなる。たしかに、あたしが怒っていたやつらと同じことをしてしまっているわけだし。


「簡単じゃないか。あんたの後輩になるんだから。可愛がってやんな」


そう麻子さんはにこっと笑うと、奥へ引っ込んでしまった。


「ま、そりゃそうなんだけど、さ」

 

小さい声で独り言。


いつもよりも少し苦いな、と思いながら、あたしはエスプレッソを飲むのだった。

 

【第二章】

 

「昨日も紹介されていたけど、念のため名前言っとくよ。天津星奈だ。博士課程の3年生。とりまとめかどうかはわからないが、まあ、学生たちの年長者だから、それなりにいろいろわかってはいるつもり」

 

少しお話ししようか。まあ、新人のオリエンテーションみたいなもんだよ。気楽に、気楽に。そう言われて。

 

天津さん。いや、天津先輩、になるのか。

 

天津先輩とわたしは、向き合っていた。

 

かっこいい女性、という第一印象。白いシャツにジーンズ。でも、そのシンプルな装いが似合う。長い足を組んでいる。切れ長の目。目力が強い。美人だけど怖い人だよ、といろんな人は言っていたけれど。

 

「は、はい。よろしくお願いします」

 

そこで、ふ、と天津先輩が肩の力を抜いたように見えた。

 

「あなたのことは、そうだね、古橋ちゃんって呼んでもいい?」

 

「あ、はい」

 

「古橋ちゃんさ。好むと好まざるに関わらず、あなたは有名人だ。天文学で言えば……そうだね、白鳥座Xー1みたいなもんかな。いろんなものを引きつけてしまう」

 

「あの、ブラックホールの候補になっている星ですね」

 

「そう。だけど、確実ではなく、将来覆される可能性もまだあるんだよ」

 

あのさ、と天津先輩は続ける。強い視線のまま、だ。

 

「率直に言っておく。あたしは、自分で見たもの、聞いたことしか信じない。星は昔から好きだったけど、いろんな星座のあらましを知るたびに、自分の力で確認したい、そして、自分の血や肉にしてやる」

 

「だから、ここにいる」

 

「古橋ちゃん。あなたについても、いろんな話を聞かされた。でも、そんなものはどうでもいい。直接、聞かせて欲しい。あなたが、星を好きだ、と。この研究室で学ぶに足る人間だと。証明できるかい?」

 

「死ぬほど聞かれてることだろうから。でも、表面的な話が聞きたいわけじゃない。あなたの言葉で、教えて」

 

厳しい試され方だ。たぶん、何を言葉にしても、このお話はそこで終わるだろう。でも、その言葉の内容如何で、天津先輩のわたしへのファーストインプレッションは変わってしまう気がして。

 

人によく思われたいわけじゃないけれど。直感的に、この人は好きだった。だから、逃げずに正面から話そう、そう思って。

 

「北極星ってありますよね」

 

「うん」

 

「りゅう座のトゥバン。こぐま座のポラリス。そして、ケフェウス座のアルデラミン」

 

「皆が、そこに居続けてくれると思っている星も。移り変わるものです」

 

わたしは、少し肩に力が入っていることを自覚しつつも。伝えたい言葉を、選びながら話していた。

 

「わたしには、大切な恋人がいます。彼は、わたしにとっての北極星なんです」

 

天津先輩は驚いたみたいで、目を少し見開いている。

 

「わたしは、笑ってしまうくらいできないことが多くて。数学もそう。家族との向き合い方もそう。友達が恋敵になったときもそう」

 

「好きな人に気持ちを伝えることすらも、臆病でした」

 

「だけど」

 

「彼がいたから、わたしは変われた。前に進めたんです」

 

「シリウスは、かつて、連星でした」

 

「片方のシリウスβは白色矮星になってしまいましたが、それでもシリウスαとβは寄り添っています」

 

「今も夢を頑張っている彼に負けないために、一緒にいられるために、わたしは、星を学びたい。学び続けたい。そして、変わり続けたいんです」

 

話終わってから、わたしは何を、と途端にあわあわし始めた。どんなリアクションに、なってしまうのだろうか。

 

【第三章】

 

「あっはっは!」

 

あたしは思わず声を上げて笑ってしまった。研究室中に響いたようで、みながぎょっとしたようにこちらを目をやる。

 

「たしかに、あなたの言葉だったよ。生半可なものだったら、たぶん聞き流してる」

 

「でも、あそこまで正直に言ってくれるなんてね。まいったよ、あたしの負けだ」

 

あたしは両手を宙にあげる。

 

「気に入ったよ、古橋ちゃん」

 

そう言って、あたしはとびっきりのウインクをしたのだった。

 

彼女、古橋ちゃんは研究室のメンバーと打ち解けるのもはやかった。気さくで良い子。コミニュケーションも上手だ。特に同性ともすぐに仲良くなって。

 

何より、見た目と違って、泥臭くやるのだ。勉強の話。遅くまで残るのは当たり前で。集中力がすごくて。質問魔でもある。面倒見のよいやつが多いこの研究室は彼女にぴったりだと思う。こんな姿勢を続けられるのなら、きっともっと伸びると思う。

 

あたしにも、すぐに懐いてくれた。まー、怒りっぽいあたしの地雷を全然踏まないのだ。女の子には比較的優しいあたしだが、それにしてはよく人を見ている。心の機微にも聡いのだろう。でも、それが無理していてあたしに媚びている感じはまったくなくて。

 

あたしが、古橋ちゃんから文乃ちゃん呼びになるのに、そんなに時間はかからないのだった。

 

【第四章】

 

「で。あなたは、文乃ちゃんのどこが好きなわけ?」

 

はじめまして、もそこそこに、天津先輩は成幸くんに直球すぎる質問をぶん投げていた。回りくどい言い回しは大嫌いな天津先輩らしいな、と思いつつ。

 

ここは、都心のベルギービールが美味しいお店。天津先輩のいきつけのようだ。店員さんたちと仲良し。

 

文乃ちゃんの北極星、見せてよ。ある日、天津先輩にそんなことを言われて。成幸くんに聞いてみると、わたしがしょっちゅう話題にだす天津先輩に会ってみたいな、少し緊張するけど、とのことで。

 

とんとん拍子に話は進み。3人でこのお店で飲むことになったのだった。それはよいのだけれど。

 

冒頭の、いきなりの天津先輩のアタック。成幸くんどうするのかしら、と少しハラハラ。

 

ええと、と少し戸惑いつつも、成幸くんは口を開いた。


「優しい、ところです。周囲への気配りもうまいし」


「心の機微にも敏くて。俺のことも、いつもよく気づいてくれて、悩んでいてもすぐばれてしまいます」


「頑張り屋です。一度こう、と決めて、そのための積み上げ方がわかっていたら、もう突き進んでいきますけど、清々しいんですよ」


「でも、文乃は不器用でもあって。自分のことで、損しがちなんですよ。自分を優先できないところがあるから。優しいことの、裏返しです」


そこで、成幸くんは少し照れ笑いをする。


「文乃は、ずっと俺の心の真ん中にいます。俺は、文乃にずっと寄り添いたい。連星っていうんですかね。そんな、星みたいに」


「全部が、大好きなんですよ」

 

成幸くんは、あ、本音で語りすぎた、と思ったのか、顔が真っ赤だ。

 

それは、わたしも同じ。嬉しいけれど、ね。

 

天津先輩はといえば。

 

がん、と頭を机に押し付けている。どうしたかと思えば、くつくつ、と笑っていた。

 

顔を上げるなり、

 

「参ったよ!!!」

 

そう、宣言する。

 

「初対面のあたしに、文乃ちゃんは君の話をするし。君は文乃ちゃんのことを好きなわけをつらつらと話せてさ」

 

「あなたたち、お似合いよ?」

 

そう、天津先輩はとてもよい笑顔を向けてくれた。

 

「一つ、お話を贈ろうか」

 

「唯我君、スピカって、知ってるかな?はい、文乃ちゃん、説明してあげて」

 

「あの、おとめ座で一番明るい星、なんだよ。おとめ座アルファ星っていうの。春の星、だよ。21個ある一等星の、一つなんだ」

 

「そう、そのスピカ」

 

「春の大三角形がある。そのスピカと、うしかい座のアークトゥルス、しし座のデネボラの3星でできるものだ」

 

「うしかいは、おとめに恋をしていた。でも、おとめの気持ちはわからない。うしかいは、ししに聞いてみた。おとめは自分のことが好きだろうか、と。ししは浅い眠りのまま、適当に答える。おとめはうしかいなんか好きじゃないよ、と。うしかいは、腹をくくった。好きだと思われていなくとも、おとめに気持ちを伝えなきゃ、って」

 

「うしかいは、おとめに伝えたんだ。好きだ、と。おとめは、涙を流す。うしかいは、驚いてしまう。そんなに、嫌われていたのか、と。肩を落としてその場を去ろうとしたとき、おとめによびとめられた。ありがとう。私もあなたが好きでした、と」

 

「男と女が結ばれるためには、偶然が必要なこともある。ししが、適当なことを言ったように、ね」

 

「でも、うしかいが行動しなければ、なにも変わらなかったんだよ。結局のところ。それが、偶然を必然にしたんだ」

 

「あたしは、あなたたちを見て、思ったよ。ただ、結ばれるべくして結ばれたわけじゃない。2人の想いが、気持ちを、身体を突き動かして、偶然の出会いを必然の結びつきに変えたんだって」

 

「あなたたちの幸せを、祈ってるよ」

 

そういってくれる天津先輩の笑い方は、いつになく優しくて。わたしは少し、泣きそうになってしまった。お話もとても素敵で。

 

 

「今夜は、あたしの奢りだ。たくさん飲め、とはいわないけれど、ほどほどに飲んで、楽しい気分になってさ。惚気てちょうだいよ、お姉さんをにやにやさせて」

 

そうもいってくれて。

 

思わず顔を見合わせた成幸くんとわたしも、笑顔になり。

 

「「「乾杯!!」」」

 

そうやって、天津先輩と、成幸くんと、わたしは、この夜を、心の底から楽しんだのだった。

 

【おわりに】

 

「すごく楽しい人だったな」


「でしょ?わたし、大好きな先輩だよ」


わたしと成幸くんは、お店から手を繋いで帰っている。

 

お互い、ほろ酔い、くらい。

 

天津先輩はお酒は大好きな人だけど、周囲に無理に飲ませるようなことは絶対にしないのだ。自分の中での絶対線がすごくしっかりしている。

 

お話もとても上手で、それなのに聞き上手でもあり、わたしも、成幸くんも、高校生の頃のお話しから、最近のデートのことまで、たくさんたくさん話すことになってしまった。

 

ふと、成幸くんの横顔を見る。

 

わたしが星を学びたい気持ちを後押ししてくれて、わたしがもっと頑張る理由をくれた人。

 

わたしは、だから、ここにいるのだ。

 

少しだけ、握る手に力を込めた。

 

「文乃、また今度、星を見に行こう」


「うん、いいねえ!」


はにかむ彼の笑顔を見ながら。独り占めできる幸せを、想いあえている奇跡を、感謝するのだった。

 

(おしまい)

 

 

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