古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

その兆しは[x]に新たな星を与えんとするものである

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第一章

 

「文乃が倒れた!?文乃は大丈夫なんですか?いま、文乃はどこに……!」
『落ち着いて。念のため救急車を呼んで、ちゃんと大きな病院に搬送してもらった。今は病室で安静にしているよ。大丈夫』
「どこの病院ですか!?」
『だから落ち着きなって……。場所は、池袋の第二中央病院。タクシーよりも地下鉄で来た方が早いかもね』
「わかりました!すぐに向かうようにします」
俺、唯我成幸はそこで電話を切った。俺は、とある小学校で教師をしている。その日の午前中も、いつも通り授業をして、お昼にさあ弁当だ、と思って食べかけていた矢先だった。電話が鳴り、妻、唯我文乃かなと思ったが、天津さん、と表示されていた。文乃はいま、天花大学理学部天文学専攻の博士課程に進んでいた。彼女の夢、天文学者への道をしっかりと歩んでいて。そこで所属している研究室の先輩が、天津さんなのだ。俺も面識があるけれど、そこまで日頃連絡を取り合う中ではない。平日の昼間になんだろう、なんとなく良い電話じゃないだろうな、と思っていたら案の定、冒頭のような内容だったというわけだ。

「唯我先生、奥さん大丈夫なんですか?」
「午後の君のクラスの授業はなんとかしておくから、すぐに行きなさい!」
廊下での俺の声が響いていたのだろう、職員室まで聞こえていたらしく、教頭、また、同僚の先生たちにわらわらと囲まれつつ、妻のもとへ行ってあげて、と背中を押されて。
「すいません……それじゃあ、あとはおまかせします!」
そうして俺は皆に頭をさげると、とるものとって学校を飛び出した。一応、落ち着け、落ち着け……とは思いつつ。悠長に歩いていられるはずもなくて、駅まで走り始める俺なのだった。

 

⭐️

 

文乃は、とある病気を患っている。

 

急性白血病。一種のがんだ。

 

俺がプロポーズしようとしていた直前のこと。その頃体調を崩しがちだった文乃が精密検査を受けた結果、わかったのだが。文乃はそのことがわかると、苦渋の決断をして俺と距離をとりかけたものの、俺が最愛の人、文乃を離せるはずがない。追いかけて、追いかけて、追いかけて。そして、つかまえて。永遠に一緒にいることを誓いあったのだ。病気は、かなり初期段階にみつかったのだ。なので、基本的には定期的な通院と服薬で大丈夫だと聞いてはいたのだけれど。もしも、これの関連であれば、決して楽観できるものではない。文乃に何かあったら……。考えてもしょうがないけれど、不安を打ち消せるだけの根拠もまたあるわけではない。かつて、親父が亡くなったことが頭をよぎる。その比ではないくらいに、俺は絶望するはずだと思う。いずれにせよ、一刻も早く、文乃に逢いたい。一駅一駅律儀に停まる地下鉄に急いでくれよ、と思い、俺は焦りを募らせるのだった。

 

第二章

 

最近、身体の調子がおかしい。いま治療している白血病の症状とも違う気がしているのだが。まずは頭痛。これまでそんなに経験したことはないのだけれど、その頻度が急に増えてきたのだ。やり過ごすしかないものなので、結構辛い。この間、とても勉強などできないわけだから。次に、嗅覚。特に、揚げ物の匂いが最近辛くなってしまった。自宅近くのお肉屋さん。毎日、揚げたてのコロッケなどを売っているのだけれど、とてもいい匂いを漂わせているのだ。いつもその匂いを嗅ぎながらお腹をすかせる(時には買っちゃうこともある)のだが、最近はそこを通る時には息をとめるほどだ。極め付けは、眠気。残念ながら、わたしといえば居眠り!というイメージをお持ちの方もいるかもしれない。文学の森の眠り姫という名称もあったことは知っている(わたし本人がどう思っているかはノーコメント)。ただ、高校三年生の頃から、「わかる」勉強は楽しくなって。もちろん、その頃から好きだった成幸くんのおかげもある。なので、勉強で眠くなる、ということはなくなっていて。天文学で眠くなることなんて、もっと考えづらい。ずっと夢中になれるものはそんなもの吹き飛ばしてくれていた、のだが。最近は、夜どころか、日中も抗えない眠気に、襲われがちで、つまりは、居眠りにつながってしまい。うまい対処法が思い浮かばず、困っているのだ。成幸くんにも相談したのだが、お互いにうんうん唸るばかりで。ただ、いつものように優しい、大好きな彼はわたしのことを心配してくれているから。無理しないこと。たくさん食べて、たくさん眠る。いつもの頑張りかたを半分くらいに抑えてみる。そんなことでどうだ、と言ってくれて。交互でつくりあっていたご飯も、最近はもっぱら成幸くんがやってくれているのだ。彼も忙しいので、申し訳なくて。コントロールできない身体に、ため息をつく、わたしなのだった。

 

⭐️

 

その日は、最高クラスに体調が悪かった。朝、家を出る時には普通だったのに、電車にのり、大学の最寄駅に着いたときにはすでに怪しく。ここまできたのだから、研究室に到着したら少しソファで横にさせてもらおう。そう思いながら、なんとかたどりついたのだが。
「おはよう、文乃ちゃん……。って、顔真っ青だよ!?大丈夫?」
研究室に到着し、最初に出会った仲良しの天津先輩。ぎょっとされた。自分では気づかず、手鏡で顔を見てみると、
「あー……結構、ひどい顔ですね」
と小さく笑う。
「……?あ、すいません、ちょっと……」
急激にひどい目眩でとても立っていられなくなり、思わず座り込んでしまう。そして、意識も少しずつ薄れていきながら。
「文乃ちゃん!?文乃ちゃん!……誰か、救急車呼んで、119!」
流石天津先輩、今日もテキパキしてるな、とのんきなことを思いながら、わたしはそのまま気を失ってしまったのだった。

 

第三章

 

目を覚ます。うっすらと薬の匂いがさる、独特の空気。ここは……。少しずつ目を開ける。やわらかい照明が目に飛び込んでくる。病院、のようだ。首だけ動かしてわたしが横たわっているベッドの横を見ると、お医者さんと看護師さん。
「唯我文乃さん?」
と、優しそうなお医者さんに尋ねられる。
「……はい」
久しぶりに自分の声を出したからだろうか、その感覚に少しびっくりしてしまう。
「意識はしっかりしているようですね、よかった。おそらく、貧血が原因だと思います。最近、このほかに身体の不調は何かありましたか?」
「えっと、頭痛が増えました……。それに、嗅覚が少し変になっていて。平気だった匂いがダメになったりしてしまったり。あとは、眠気もひどいんです。寝不足ってわけじゃないと思うんですが……」
そこで、お医者さんと看護師さんが顔を見合わせた。少し、不安になる。
「あの、わたし、大丈夫なんでしょうか……」
力のこもらない、弱い声になってしまう。白血病のこともあるからだ。
「あとで、簡単な検査をしましょうか」
そう返事をされる。なんだろうか……。ふと、成幸くんの顔が脳裏に浮かぶ。わたしの愛しい旦那様。心細くてしょうがなくて。
「成幸くん、逢いたいよ……」
そう、小さな声で呟くのだった。

 

⭐️

 

時刻はちょうど15:00になろうとしていた。俺はようやく病院に到着する。何号室かはわからなかったので、端から端まで見てやろうと思いかけて、落ち着かなきゃと、気づき、受付カウンターに駆け寄った。
「あの……ぜえぜえ……唯我、文乃は……何号室でしょうか……」
最寄駅から、5分ほど全力で走ってきたので、息も切れ切れのまま尋ねる。
「唯我文乃さんですね……。はい、204号室です」
「ありがとう……ござい、ます」
俺は早歩きでその部屋まで急ぐ。

そこから5分とかからず、204号室に到着した。文乃と、天津さんの笑い声が聞こえる。ということは、そこまでシリアスな状況ではなさそうで、胸を撫で下ろしつつ、部屋に入る。


「文乃!」


そこには、逢いたかった俺の最愛の妻、文乃が上半身だけベッドから起こしているところだった。


「成幸くん!」


文乃は笑顔だ。彼女もまた、俺の顔をみて安堵してくれたようだ。文乃のところに駆け寄ろうとしたその時。女性の手がにゅっと出てきた。
「あー、感動の再会のところ悪いんだけど。あたしのこと、相変わらず君達2人でいると見えなくなるよねえ」
と、呆れた顔の天津さん。まったく、こんな美人がいるってのにさあ、と不満も漏らしつつ。
「まだ、基本は安静にしておく必要があるみたいだから。あたしがいなければ、抱きしめかねない勢いだったじゃない」
苦笑いとともに釘をさされ。俺は頭をかく。事実、天津さんの存在は頭から消えていて、文乃を抱きしめようとしていたのだから!
「とはいえ、この場に居続けるほどあたしも野暮じゃあない。邪魔者はとっとと去るけどね。文乃ちゃん、ゆっくり休んでね。また研究室で待ってるよ」
「はい、天津先輩!今日はありがとうございました!」
ぺこりと文乃と一緒に頭を下げる俺に、目でじゃあねと伝えて、文乃にも手を振って天津さんは部屋を出ていった。俺は、天津さんと入れ替わる形で、文乃のベッドの横にある椅子に座る。改めて、目の前の大好きな人、文乃と見つめ合う。
「大変なことには、なってないんだな?」
「うん。白血病ともあまり関係はなかったみたいだしね。今日だけ念のために入院してしたら、明日は帰っていいって」
はー、と深く息をつく。ほっとした。
「文乃はずっと頑張ってきてるからさ。たまにはゆっくり休みなさいってことこもな」
「うん……」
そこで文乃は一度下を向く。そして、深呼吸して顔をあげると、真剣な表情で俺をみた。


「成幸くん。大切なお話があるの」


なんだろう。俺は、文乃の言葉を受け止めるべく、居住まいを正すのだった。

 

第四章

 

「わたし、妊娠してるんだって」

 

……!?目を見開く。言葉をうまく認識できない。そこで、ふっと文乃は表情を緩めた。いつもの文乃らしく、ふわりと柔らかい優しい、俺の大好きな笑顔で。

 

「わたしと成幸くんの赤ちゃんが……おなかの中にいるんだよ」

 

「!!!」

俺は文乃の両手を、自分の両手で包み込むと、ぶんぶんと上下に振る。
「ありがとう、文乃!!」
「成幸くん、声が大きいよ……!」
「だってさ……!」
それ以上、俺は言葉が続かない。嬉しい、嬉しい、嬉しい……!言葉にするよりも、身体の反応のほうが素直で、雄弁だった。頬を、熱い涙が伝いはじめていた。
「えへへ……。……っ……ぐすっ……」
文乃も、綺麗な笑顔のまま、涙を流していた。

 

「俺さ」「わたしね」

 

『幸せ』

 

見つめ合いながら、同じ言葉が重なる。愛する妻がいるだけで、毎日がありえないくらい輝いているのに。その人との間で、新しい命を授かろうとしている。こんなに恵まれていいのか。大袈裟でなく、そう思う。

 

今までよりも、だ。文乃を大切にして、もっともっともっと、愛そう。そう誓う、俺なのだった。

 

⭐️

 

念のため、その日わたしは一泊だけして、次の日すぐに退院することができた。学校を休んで迎えにきてくれた成幸くんが、病院の始まる時間ぴったりに部屋まで駆け込んできてくれた。朝にくるとは聞いていたけれど。
「ふふ、早すぎるよ」
と、可笑しくて声をかけた。
「文乃にすぐにでも逢いたかったんだ」
と、笑いながらいってくれる彼。……もう、馬鹿……と思う。この人は、ずっとわたしを愛してくれているまま、だから。いつも、まっすぐに愛を伝えてくれるのだ、こんな風に。こんな愛しい人の赤ちゃんがわたしの中にいてくれる。改めて……幸せだ。

 

成幸くんの右手と、わたしの左手。つなぎながら、帰路につく。気持ちのいい、青空だ!少しだけ雲が浮かんでもいて。ふと目についた雲たち。大きいものが2つと、小さいものがひとつ、くっついていくようで。ゆっくりと、ひと固まりでぷかぷかと浮かんでいた。まるで家族みたいで、ほっこりとする。
「成幸くん、あれ見て」
空を指差しすと、
「おおー!家族みたいだな」
と成幸くん。わたしを見て、にこっと笑ってくれた。いつも、いつでも、わたしたちは、同じ景色を、同じ視点で、共感しあいながら見ている。不思議なくらい、仲良しなのだ。そのあとも、たくさんおしゃべりは続いた。いつもよりも、だ。妊娠すると、生活がどう変わるのか。何を変えた方がいいのか。がんばるところはどこで、がんばらなくてもいいことは何か。などなど、話は尽きないけれど。
「一緒に、お父さんとお母さんになろうな」
その一言は、心の底から嬉しかった。決して、わたしはひとりではない。2人で乗り切ろう、そういう気持ちを、成幸くんはいつでも持っていてくれているからだ。

 

⭐️

 

一緒にベッドで並んで、わたしと成幸くんは横になっていた。あ、眠れそうかな、と思ったとき。視線を感じて横をみると、成幸くんと目が合う。
「あ、悪い。起こすつもりはなかったんだ」
「いいよいいよ。どうかした、成幸くん?」
「ん……。なんでもないんだ」
成幸くんの嘘くらい、わたしには簡単にわかるのに。少し意地悪な顔をしてみて、聞く。
「嘘。考えていること、教えて?」
成幸くんは、もごもごと口の中で何かを言う。歯切れが随分と悪い。
「な・り・ゆ・きくん?」
と聞き返して、ようやく聞こえるくらいの声で成幸くんは答えた。
「……我慢しなきゃ、いけないなと思って」
「……我慢って……なにを?……ああ!」
ぼっと顔が赤くなった自覚がある。よく見ると、成幸くんもそうだ。確かに、いわゆる「そういうこと」もしばらくはできないだろう。わたしは成幸くんの頭を撫で撫でしてあげて。

 

ちゅっと、軽く口づけをして、笑いかける。


「当分、キスまで、だね」


「……はあ。だよなあ……」
割と本気で落ち込む、可愛い旦那様なのだ。わたしはぎゅっと抱きしめてあげる。成幸くんの背中に手を回して、彼の体温も逃さないようにしてあげるのだ。決して、寂しい思いをさせないように。
「甘えん坊さんが2人になるね」
「だってさ……」
抱き合いながらなので、表情が見えるわけではないけれど、口を尖らせる成幸くんの様子が伝わってきて、可笑しい。可愛いんだから、まったくもう。

 

これから先は未知の世界。大変なこともたくさんあるだろう。それでも、成幸くんとならどんなことだって乗り越えていける。そう確信している、わたしなのだった。

 

(おしまい)

 

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