【古橋文乃の場合】
お昼過ぎ。夕方が近くなってくる時間帯にさしかかりつつあった。
あんなに鳴っていた成幸くんからの電話やメッセージがパタリとこなくなった。
一瞬、不安になる。ならないといったら、それは嘘だ。
それでも、きっと成幸くんなりの考えがあるんだと思う。
「よし」
と小さくつぶやいて気合いをいれる。頭を切り替えて、次の講義に向かおうとした時だった。
「文乃ちゃん、今からちょっと付き合って欲しいんだけど」
天津先輩に、不意に声をかけられる。ジーンズに白シャツ。今日もシンプルな装いだけど、それがかっこいい。
「でも、わたし講義が……」
「大丈夫大丈夫、教授には話をつけてあるから。あ、寒くなるからコートも忘れずにね。さ、いこいこ」
そう言う天津先輩にわたしは半ば強引に手を引かれる。わたしは???をたくさん頭に浮かべながら、ついていくしかなかった。
「これ……バイク?」
ついていった先は駐車場で、わたしの普段の生活とはかなり縁のない乗り物、バイクがあった。かなり大きい。まったく知識がないけれど、当たり前だが、速そうだ。重量もありそうで、女性がとりまわせるのかしら、倒れたらどうするんだろう、みたいなことが頭に浮かぶ。
「あたしのだよ。あんまり興味ないだろうけど、少しだけ補足すると、あたしが一番好きなメーカーの大型バイク。排気量っていう、エンジンのパワーみたいなものは1000ccっていう表示に近いんだけど、最高クラスだよ。加速すると、もう、世界が変わる感じで、楽しいんだ」
「昔から乗ってるんだよ。最近は少しご無沙汰だったんだけどね……。文乃ちゃんと、ドライブしたくて、さ。はい」
そこで、バイクのヘルメットと、ライダースジャケットというのだろうか、肩や肘がゴツゴツした結構重い、本格的にバイクに乗る人が着るようなジャケットを渡される。
「連れていきたい場所があるの」
真剣な表情の天津先輩。
いつもとは違う経験ができそうで。シンプルに、楽しそうで。わたしはこくりとうなずいたのだった。
⭐️
「はやい、はやい、はやーい!すごいですね!」
「ん〜?よく聞こえないけど、嬉しそうなのはわかったよ!」
叫ぶわたしに、天津先輩が叫び返す。
バイクに乗るのは初めて……。でも、面白い!天津先輩の後ろにおっかなびっくりで乗って、しっかりつかまってててよ、といわれてぎゅっと抱きついているのだが。
スピードがすごい、特に加速がすごい。風になったみたい、というのはありふれた表現だが、それ以外に言葉は見当たらない。カーブを曲がるたびに車体が傾くのも、最初は怖かったけれど徐々になれてくる。まるでジェットコースターだ!
赤信号でとまる。
どっどっ、と猛るエンジン音が響き、振動もすごい。まるで獣のようだ。
「いまから首都高速にのるよー。あのさー、文乃ちゃん」
「はい」
「バイクに乗って叫ぶと、気持ちいいよ。はっきりいって、誰も何言ってるかわからないと思うし。だから、成幸くんに言いたいことあれば、思いっきり叫ぶといいから、ね」
「それは……いいかも、です」
信号が変わり、また一気にわたしと天津先輩が乗ったバイクが加速して、巨大な血管のように入り組んだ首都高速道路へと乗り込んでいく。
高速の流れに乗って、よりスピードに乗って鉄の獣はつき進む。
わたしは、大きく息を吸い込んだ。
「なりゆきくんの、ばかーーーっ!」
急カーブ。
「どうせおっきい胸が好きなんでしょ、ばかーーーっ!」
さらに加速。
「誰にでも優しくしちゃうんだからっ!ばかーーーっ!」
前の車を追い越して、もっと、速く。
「わたしのことだけ、見ていてよーーーっ!」
長いストレートを、流れ星みたいに、光のしっぽをもっているくらいの速度で。
「でも、好きなんだからーーーっ!ばかーーーっ!!!」
わたしの言葉を風が散り散りにするのが面白くて。わたしは、抱えていた気持ちを、思いっきり、吐き出すのだった。
⭐️
スピードを少しずつ落として、バイクがとまる。そこは、ぎりぎり都内にある、大きな大きな観覧車で有名な臨海公園だった。
夕焼けが、丸くて、大きい。
「この公園、夕日も有名なんだよ。向こうに、海辺があるから、そこまでいこうか」
「はい!」
わたしはかなりすっきりしていて。目の前の美しい夕焼けで、いっそう楽しくなってしまっていた。
苦笑する天津先輩のあとをついていく。
歩きながら、天津先輩に話しかけられる。天津先輩は足が長いので歩く速度が少し早い。わたしは気持ち早足だ。
「夕暮れ時だ。『黄昏時』って知ってる?」
「ええと。一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のこと、ですよね?」
「さすが、文乃ちゃん。そう、もうすぐその時間に差し掛かる」
「あたしは結構好きなんだ。幻想的じゃない?あの世とこの世が交錯する瞬間、という人もいるね」
「そんな大袈裟ではなくても、さ。人と人が、互いに向き合って、苛まされていたマイナスの気持ちを解き放つには、いいきっかけになるんだと思うよ」
「お互いの顔が見えないことも由来の一つなんだ。でも、そうであれば。本音をぶつけられやすいだろうから」
いつのまにか、海辺の近くまできていて。天津先輩の視線が、海辺に立つある人影に向けられる。
「さ、文乃ちゃん。あなたのことが恋しくてたまらない男の子が待ってるよ。行ってきな」
そこには。
わたしが逢いたい人がいる。
唯我、成幸くんだった。
【唯我成幸の場合】
会えなくて、言葉を交わすことのできなかった時間は、実際はたいした長さではない。でも、俺にはそれは永遠みたいに感じられていたのだ。
目の前に、いる。
逢いたくて、謝りたくて、伝えたくて、伝えなくちゃいけない言葉がある、彼女。
古橋、文乃さん。
『あのっ……!!』
お互いまったく同じタイミングで話しかけて、声が重なる。
いつかのことを思い出した。
俺と文乃が、結ばれた夜のことを。
心の中に灯がともる。あたたかく、優しい、大切な記憶だ。
しかし、何から話せばいいのやら。さんざんシミュレーションしていたのだが、思考があちこちに飛び散ってしまっている。背伸びをしても、しょうがない。そう割り切った。お互い、あわあわしながら見つめ合っていたが、俺から口を開く。
「日が沈んだ後の空を見上げたらさ」
そういって、空を見上げる。まさに、燃えるような色の夕日が沈み始め、空の際から、夜の静かな紺色がせり出してくるところだった。
「……星が見え始めるだろ」
「一番星から、少しずつ増えていく。広がっていくんだよな、ばあーって」
「……同じなんだ」
「同じ?」
文乃が不思議そうに聞き返す。俺はこくり、とうなずいて、話を続ける。口調を少し変える。
「俺は、ある時からあなたが好きになりました。この世界にたくさんいる女の子の中から……あなたを、見つけたんです。一番星みたいな、あなたを」
「あなたが、一つの星になって……俺の心の中を照らしてくれる光になりました。その光は……毎日、ずっと、もっと、広がり続けています」
「星空みたいに、永遠に」
「あなたが、好きなんです」
「一番最初に好きになって……そして、俺のことを見つけてくれたあなたのことが、大好きなんです」
「だから……ごめんなさい」
そして、俺は頭を下げる。瞳を潤ませている文乃を見て、余計に胸が締め付けられた。
「……不安にさせて、ごめん」
「そうだよ……成幸くんの、ばか」
文乃の声は、小さくて、でもはっきりしている。
「……わたしはあなたの一番星、だよ」
「絶対に、誰かが代わりになんかならない。誰かにわたしの代わりなんかさせない」
「成幸くんは、わたしから目を離しちゃ、だめなんだから」
そう言って、文乃は俺をまっすぐに見つめたままだ。俺も、彼女を見つめたまま。一歩、二歩と文乃に近づいて。
繊細で壊れやすいガラス細工を触るように、そっと、そうっと、抱きしめる。
「ばか。成幸くんのばか。ばか、ばか、ばかあっ……」
「ごめんな……」
だんだんと涙声になる文乃に、一晩中、いや、永遠に、寄り添ってなくちゃ。そう、俺は決心して。
文乃が泣き止むまで、いつまでも、いつまでも、そうしていた。
⭐️
文乃と身を寄せあいながら海辺に座り、星空を眺めている。
天津先輩が、やれやれ、あとはうまくやってよ男の子!と言い残して帰っていった後のことだ。
「綺麗、だね」
「そうだな。けっこう、贅沢な景色だよ。夜景も、星空もいっしょのフレームなんて」
少しの沈黙のあと。文乃が口を開いた。
「……わたしと連絡とれなくて、寂しかった?」
「当たり前だろ」
隠せるわけもないしそのつもりもない。かっこ悪いが、言葉の通りだった。
「そっか。……そっか」
文乃は嬉しそうだ。
こつん
右隣に座る文乃が頭を俺の肩に預けてくれる。俺は文乃の左手をそっと握り、文乃も優しく握り返してくれた。
「初めての喧嘩だったね」
「うん」
「……じゃあ、これは、初めての仲直りのしるし、だよ」
そう言って、文乃が俺のほっぺに軽く口づけをする。愛しくてたまらずに、俺は文乃とキスをしようとするが。
文乃に、立てた人差し指を唇に押し当てられた。
「これ以上は、お預け、だよ」
「なんだ……意地悪だな」
俺は心底ガッカリしながら言う。
「わたしとのキスは、とっても貴重なんだからね。これまでより、もっと、もーっと、大切にしてくれなきゃ。ふふふ」
と、文乃は言い。
「……抱きたいよ、文乃」
俺はもう、弱々しく本音を漏らすしかない。文乃は頬を赤らめながら、でも、嬉しそうで。
「……じゃあ。帰ってから、わたしの部屋で、しよう?」
とも、言ってくれたのだった。
星に見守られている。降ってくるような、たくさんの星に、だ。星の数ほど人がいて、出会いも、別れも、無数にある中で結ばれた俺と文乃。隣で笑顔でいる愛しい彼女を離せるわけがないと、心底思うのだった。
【天津星奈の祝福】
「そっか、仲直りできたか〜!よかったよ」
「はい、おかげさまで。いろいろと、ありがとうございました!なんだか、成幸くんの相談にものってくれてたみたいで」
「ん〜?まあ、少しだけね。場所の指定はされていたんだよ。連れてきて欲しいとは言われたけどさ。ストレス発散が絶対にいるって言って、バイクに乗ってもらったってわけ」
文乃ちゃんは、幸せそうなのだ。たぶん、昨夜はたくさん愛しあったんだろうな、と邪推してしまうくらい。
「恋人だって、ふたりなんだ。喧嘩だってしないわけがない。喧嘩も仲直りも、経験だよ」
「とはいえ。あなたたちの仲直りを、あたしは心底祝福するよ」
そう言って、あたしは文乃ちゃんにウインクをし。文乃ちゃんは、笑いながらあたしに一礼してくれたのだった。
【古橋文乃の回想】
こういうことを思い出すのは恥ずかしいのだけれど。昨日の夜は、本当に、幸せだった。たくさん、たくさん、たっくさん、愛してもらったから。
いつもは優しい成幸くんが、激しくわたしを求めてきてくれて。わたしだって、負けずに成幸くんを求めて。数え切れないくらいキスをした。
一晩中、ほとんど寝ずに、いちゃいちゃしていたから。お互いに寝かさなかった感じで。一瞬さえ、惜しくて。
恋を燃やしてくれるのならば。たまには喧嘩と仲直りもいいのかもしれない、なんてことさえも考えてしまう、わたしなのだった。
(おしまい)