古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

或る人は[x]に在りし日を重ね追憶するものである(後編)

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第三章

 

薬の匂いが混じった空気を、鼻から感じた。嗅ぎ慣れた珈琲の香りではない。確か、店で開店の準備をしていて、そして……。そうか、とそこで目をうっすらと開けてみようとする。眩しい、薄目になる。ゆっくりと目を開けると、そこはいわゆる、死後の世界ではなさそうだった。
「……死に損ねたか……」
掠れた声でひとりごちる。だが、その実、あたしは一人ではなかった。
「よかったあっ……!大丈夫ですか、意識はありますか?」
そこには、古橋の姿があった。なぜここにいるのか、と問いかけようかと思ったが、わからないことが多すぎるシチュエーションで情報を増やされても疲れるだけだね、と思い、とりあえずあるがまま、受け入れるだけにしようと思う。
「天津先輩がお店で見つけて、ここの病院に連れて行ったんです……!今売店に買い物に行っていたはず、呼んできますね!」
それだけ一気に話して、古橋はあたしが落ち着きなよ、と言う前にばたばたと走って病室を出て行ってしまった。ふう、とため息を一つつく。
「大袈裟なもんだ。年寄りがひとり倒れたくらいで、若者が慌てるもんじゃないよ。……あんたは、そう思わないかい?」
よっと、身体をゆっくりと起こす。大丈夫ですか、と声をかけられるが、右手をあげて問題ないことを伝える。そこには、もうひとり知っている人間が残っていた。唯我成幸。古橋との会話に時たまにあらわれる、「成幸くん」だ。店にもたまに来ていたので、顔はわかるし、話もしたことがある。あまり多くないやりとりではあるが……いい男だ。古橋は男を見る目もある、と思うくらいには。そうそう、彼氏から、今は夫、になったのだった。
「大袈裟にもなりますよ。天津さんにとっても、文乃にとっても、貴女は大切な人なんですから」
そう、正面からたしなめられる形になる。ただ、それが嫌味に聞こえず、純粋に言葉通りの意味として伝わるのは、目の前の青年がまっすぐ誠実に生きているならだ、と思った。
「……人はいずれ死ぬものだ。運命だからね。避けられるものじゃない。あたしの旦那はそういって、逝ったよ。潔かった」
唯我は、寂しそうな笑みを浮かべていた。あたしの言葉を受け止めつつ、言葉を返される。
「俺は、父親を。文乃は、母親を、お互い幼い頃に亡くしているんです」
「……!そうかい。それは悪いことを言ったかもしれないね」
ふむ。そんな背景を知っていたら、もう少し言葉を選んだかもしれないが。だが、唯我はそこにひっかかったわけではなさそうだ。
「いえ。文乃は、初めて出会った頃から、亡くした母親のことを、ずっと大切にしていました。そして、その気持ちは、夢への原動力にもかえていたんですよ」
「文乃は……自分の周りから大切に思う人がいなくなる怖さは嫌と言うほど知っているから。やっぱり、今日、マスターが無事で、心からほっとしていると思いますよ」
「ありがたい、と感謝したほうがいいかい?」
少し嫌味な返しをしてみる。あたしが捻くれているからだ。唯我は、苦笑いしながらゆっくりと首を横に振る。
「文乃は、自分の心配を、心配している相手に伝えたいなんて絶対に思いません。自分が心配なら、ただ、その人のために何をすれば結果的に助けになるのか。そんなことしか考えません。損するタイプかも、しれないですけどね」

そう、小さく笑いながら目の前の「成幸くん」は言葉を続けた。


「俺は、そんな文乃を尊敬してるんですよ」


「……」
あたしは、自分の言葉を反芻していた。古橋に、結婚で大切なことは結婚相手へのリスペクトだ、と伝えたことを。唯我は、パートナーである古橋を、つくりものでなく、本心で尊敬しているとさらりと言ってしまうのだ。
「……あの子は幸せだね、本当に……」
そうあたしは、目の前の青年に聞こえないよう、小さな声で呟く。その時。
「廊下を走らないでくださいっ!」
看護師だろう、そんな注意の声とともに、強い足音が部屋へと飛び込んでくるのと同時に、天津が飛び込んできたのだった。

 

⭐️

 

俺はマスターとのやりとりが嫌いではない。少し捻くれているようで、そこには人間性を正しく評価してくれる目が隠れていると思っている。なぜそんなことを思えるかといえば、答えは単純。文乃が好きになったマスターなのだから、悪い人なわけはないのだ。そこに、
「麻子さんっ!!よかったよ……!もうう、本当に心配したんだからっ!」
まさに文字通り、天津さんが部屋に飛び込んできた。
そう出会い頭に天津さんはいい、そのままマスターの手を掴むと、強い握手をするようにぶんぶんと振る。
「いたいいたい……生きてるよ、まったく」
そこに少し遅れて、文乃も息を切らしながら戻ってきた。そこには、一緒に医師と看護師が2名ほどついてきていて。
「患者さんの容態も確認したいですし、少し話もしたいので、外してもらってもいいですか?」
そう言われて、俺と文乃、天津さんは渋々と一旦病室を離れて、同じ回の休憩スペースに移動をする。そこには自販機があり、俺と文乃は二人で一本あたたかいお茶を買って、天津先輩はホットコーヒーを買い、一息つく。
「……あたし、おばあちゃんっ子でさ。家族の中でも一番仲が良くて、面倒もみてくれていたんだ。東京の大学に行きたいって親に相談したときに反対されてね。でも、おばあちゃんだけはあたしの夢を応援してくれた」
天津先輩がそんな話を始めた。ただ、それは俺と文乃に話したいから、というわけではなくて。天津先輩が、自分の気持ちを整理して落ち着かせたいから、そうしているような。そんな気配があった。
「結局、親を説き伏せてあたしは東京の大学、天花大学にいくんだけど、はいってすぐに、おばあちゃん死んじゃったんだよね……」
「東京に来てよかったよ。住んでいた福岡は、おばあちゃんとの思い出ばかりで、いたら辛くなっていただろうから」
「そんな時、麻子さんにあった。背筋がいつもぴんとしていて、かっこよかった。福岡のおばあちゃんとは似てるわけではないんだけど、すぐに仲良くなれて、どれだけ救われたか……」
そこで、天津さんは鼻をかんだ。
「……だから、よかったよ。麻子さん、無事で……」
そうしんみり話す天津にかける言葉がすぐに俺には見つからない。それは文乃も同じようで。その時そこに、看護師が来た。マスターの病室に来ていた人だ。
「宇多さんですが、17:00までならお話しできますよ。容態も安定しているので。どうされますか?」
文乃と俺は頷き合うと、
「天津先輩、それじゃあわたしたちは一旦帰りますから。宇多さんのこと、よろしくお願いします」
そうぺこりと文乃が頭を下げた。
天津先輩は頬をぽりぽりとかく。
「文乃ちゃん、相変わらず気を遣いすぎだよ……。ま、ありがたく遣われますか。唯我くんも、ありがとうね」
「いいえ。大事にならなくて、よかったですよ」
天津先輩はにこっと笑って、あとは任せて、という。
「唯我くん、文乃ちゃんのこと、よろしくね〜!」
そう声をかけられて、俺と文乃は病院を後にしたのだった。

 

第四章

 

冬の夜だ。冷たい空気が、肌をひりつかせる。ちらりと、空を見上げた。雲ひとつない夜空には、今日もたくさんの星がちらばっていた。街中を歩いているとはいえ、見事なものだ。
「寒いな。大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ほら!」
成幸くんが心配してかけてくれた言葉に対して、わたしは握り合っているわたしの左手と成幸くんの右手をぐい、と持ち上げた。
「今日はせっかくお休みとってデートの予定だったのに、ごめんね」
そう、成幸くんは久しぶりにお仕事をお休みしてくれて、デートで映画とお食事に行く予定だったのだけれど。天津先輩から宇多さんが倒れた!との連絡を受けて、慌てて病院へと向かったのだった。
「いやいや。それより、駆けつけられてよかったよ」
と、成幸くん。
「無事で、よかったな」
「……うん」
わたしは、とあることを考えてしまい、言葉を選ぶ。成幸くんは、それに気がついてくれて、わたしを待ってくれていて。静かな夜だ。わたしは、口を開く。
「宇多さんと、旦那さんね。すごく仲がよかったみたいで。だけど、旦那さんに先立たれた後でも、宇多さんは思い出をプラスのエネルギーに代えて、かっこよく生きてると思うんだ。思い出に縛られているのとは、違うの」
少し、覚悟をして続けることにする。決して、楽しい話ではないから。でも、真面目に伝えたい、聞いてほしい話ではあったから。
「……もし、ね」
「うん」
「成幸くんが、わたしより先に、そういうことになっちゃったら、わたしはどうするのかなって、考えてた」
「……うん」
たぶん、予想していたのかもしれない。成幸くんは、返す言葉に特に揺らぎをみせないまま、受け止めてくれている。
「少し前のわたしならね。悲しくてどうすればいいか、わからないよって言っていたと思う。だけど、今は少し違うの」
わたしは、少し間を置く。気持ちを込めたい言葉を続けるから。


「成幸くん、あなたを愛したい。一瞬、一秒でも惜しんで……愛し続けたい」


「……文乃」


「後悔しないくらい、あなたをずっと、ずうっと愛して。そして、わたしも愛してもらえたら」


「きっと、振り返りながらじゃなくて。前を向いて生きていける。そう思うんだ」


「成幸くんも、それを望んでくれるだろうから。恋人から、夫婦になることができてね。わたし、少し変われたかも」


一生懸命話してみたものの。やっぱり聞きようによっては、悲しくなる話だったかもしれない。あわあわと、わたしは慌てて付け加える。
「もちろん、わたしは成幸くんと、ずっと永く、添い遂げるつもりだからね!お互い、長生きするんだから」
「そりゃ、そうだよ」
成幸くんはふうっと息を吐き、少しかたくなってしまっていた表情が、ようやく少し柔らかくなる。
「文乃は、強くなったよ。驚いた。……俺は、怖くて、今はとても考えられない。よっぽど、臆病だ」
弱音を吐く成幸くん。愛しくてたまらず。わたしは、ぎゅうっと成幸くんを抱きしめた。成幸くんの頭を、ゆっくりと、優しく撫でる。
「……文乃がいなくなったら、いやだ」
だだをこねる子供のように、成幸くんはいやいやと首をふる。成幸くんが、こんなに弱るとは思わなくて、わたしは悪いことしてしまったな、と感じつつも。申し訳ないことに、嬉しくもあった。だって、こんなに、求められているんだもの。
「ずっと一緒に決まってるじゃない。わたしはあなたを離さないに決まってる。ね?」
成幸くんは、うん、うんと、首を縦に振ってうなずいている。ふふ、可愛い。星がまたたいた。まるでわたしと成幸くんのやりとりを見守りながら、あらあら、とお母さんみたいに笑ってくれているようにも、思えたのだった。

 

おわりに

 

一週間がたった。宇多さんは経過観察と療養を兼ねて、ということで、その間入院。ようやく退院したと聞いてほっとした、次の日のこと。研究室で、英語の論文と睨めっこしていると、天津先輩にちょいちょい、と手招きされた。なんだろう。
「文乃ちゃん、今夜空いてる?」
「はい、特に予定はありませんけど」
「麻子さんが、夜お店にこられないかって。あたしと、文乃ちゃんに」
「なんでしょうね?でも、宇多さんに会えるのは嬉しいです!いきます」
わたしは二つ返事だった。天津先輩も何の用事かはわからないようではあったけれど。兎に角、呼んでもらった19時ごろ、わたしと天津先輩は、銀星珈琲に向かうのだった。

 

⭐️

 

閉店中の札がドアにはかかっていたものの、お店の光はついていた。天津先輩がドアを念のためにノックすると、
「空いてるよ、はいったはいった」
と元気そうな宇多さんの声だ!わたしと天津先輩は顔を見合わせると、にっこり笑い合い、ドアを開けた。

「わあっ!」
「おお〜!」

ひとつのテーブルの上に並ぶ、ごちそうの数々!大きな花びら模様のように飾られているローストビーフに、大皿に載ったペスカトーレ、山盛りのポテトサラダ、香草の素敵な香りのアクアパッツァなどなど。そして、ワイングラスが3つ並んでいる。
「この前は助かったよ。ささやかだけど、御礼をしたくてね。久しぶりに頑張ってみたら意外と楽しかったよ」
そう言って快活に宇多さんは笑う。
「え、全部自分でつくったの?麻子さん、こんなに大変だったんじゃない!?」
驚く天津先輩。わたしもこくこくうなずく。
「あんたたちと食べたいと思ってつくると苦じゃなかった」
宇多さんから、不意に、そんな嬉しくなる言葉をかけてもらって。天津先輩もわたしも言葉がでない。
「ありがとう、天津、古橋」
「!」「……!」
わたしも天津先輩もびっくりして顔を見合う。麻子さんが、お客さんの名前を呼ぶのなんて、初めて聞いたからだ。仲良しの天津先輩さえ、ずっと「あんた」だったのだから。
驚かれている理由がわかっているのか、宇多さんが照れながら付け加えた。
「今は、業務時間外、プライベートだからね」
「嬉しいよ、ありがとう、麻子さん!」
「わたしも……!」
宇多さんはにっこり笑う。
「さあ、年寄りが寿命を削って料理をつくったんだ。若者の責務だよ、たくさん食べて」
と、いうことで。テーブルのご馳走を3人で囲んで、宇多さんの退院お祝いの会は楽しく始まったのだった。

 

⭐️

 

「じゃあ、本当に重い病気とかじゃないんだね?ね?」
「天津、そう言ってるだろ。過労だと言われたよ。まあ、年だからね。無理はするな、ということだそうだ」
「はむはむむしゃ!」
わたしは無理しないでください、と言いかけたが、ちょっと口に放り込みすぎていて。
「文乃ちゃん、口に詰め込みすぎ……」
「はっはっは!大食いだとは聞いていたけど、これは見事にだね」
そう明るく宇多さんにほめてもらった。宇多さんのつくってくれたご飯は、どれも本当に美味しくて。一度はコックを目指したというエピソードを聞いて、なるほどさもありなん、と思ったり。たくさん、たくさん、おしゃべりをしている。いつも聞き上手な宇多さんが、今日はいろんなお話をしてくれて。美味しい珈琲の淹れ方。コーヒー豆の選び方。アップルパイの作り方。これらはかなり真面目な話題。男から口説かれるための方法。いい女の条件。憧れた女優さん。etcetc……。それに、天津先輩だっているのだ。この人もまた聞き上手で話し上手。盛り上がらないはずがないのだ!
「で、古橋。あんたの旦那はどこで捕まえたんだい?」
「あ、麻子さんそれ聞いちゃう?もー、甘々でいやになっちゃうよ〜」
「えへへ。えっとですね、」
わたしもワインで口が軽やかになっているし、大好きな成幸くんのお話しなので、意気揚々と語り始める。

女3人、かしましく。楽しく、長い夜は、まだまだ始まったばかりだった。

 

(おしまい)

 

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