古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

彼等は駆け抜ける彼女に[x]を重ねるものである(後編)

 

第二章

 

暑い夏の夜のことだった。わたしと成幸くんが初めてキスをしたのは。その日は、久しぶりのデートだった。付き合ってからそんなにデートをたくさんしたわけでもなかった(時間的にできなかった!)ので、わたしは何かしら恋の進展があるといいな、と期待していた。しかし!プールでは、うるかちゃん、りっちゃん、小美浪先輩に桐須先生までいて、成幸くんとふたりきりの甘い時間を過ごすというわけにはいかず。その後の、ボーリング、カラオケ、カフェ、海の見える公園、映画館と……いずれも知り合いにことごとく遭遇してしまい、ゆっくりといちゃいちゃすることなど全然できなかったのだった。

最後に、偶然立ち寄ったのが縁日だった。……ここでは、成幸くんと手を繋げたのだ。以前は離れ離れになってしまっていたけれど、今は違うよ、と成幸くんが行動で示してくれたのだった。そうして、ベンチに座って休憩をしている時のこと。成幸くんが買ってきてくれたレモン味のかき氷を食べた時、氷のかけらが顔についてしまったのだ。それを成幸くんが拭い取ってくれて。その手が、わたしの頬にそっと添えられる形になった。2人の視線があって、お互い、考えていることは伝わったのだ。

 

そしてわたしたちはキスをした。

 

そうだった。その夜ら初めて成幸くんはわたしのことを「文乃」とも呼んでくれもして。わたしたちの距離はさらに縮まって。それはもう、大切な思い出なのだった。

 

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「文乃せんせー?随分ニヤニヤしてるけど」
「ああ、ごめんごめん」
ふと我に帰り、慌てて謝るわたし。
その時だった。
「おーい、文乃、橘さん」
「成幸くん!」
「悪い、バイトが長引いちゃってさ」
成幸くんに声をかけていたことをすっかり忘れてしまっていた。2人で絵馬ちゃんを労おうと言っていたのだ。カフェオレください、と成幸くんは店員さんに告げて、空いている椅子に座った。
「唯我せんせー、文乃せんせーと初めてキスをした時のこと、覚えてる?文乃せんせー、たぶん今思い出して余韻に浸りまくってるから教えてくれなくてさー」
絵馬ちゃんは半分わたしをからかいながら、そんな言い回しをしていて。
「ち、違」
「顔が真っ赤だよ、文乃せんせー。やれやれ、だよ!」
と笑われてしまう。
「いきなりな話題だな……」
と成幸くんは苦笑している。話してもいいか、と成幸くんがわたしに視線を向けて確認してくれて、わたしはうなずいた。
「付き合って四ヶ月くらいの時かな。文乃と俺、なかなかデートする機会がなくて。……正直、あせってたよ」
と成幸くんが笑う。あせり?なんだろう。
「もっと、恋人らしいことがしたかった。距離を縮めたかったんだ」
照れながらそんなことを言ってくれた。そう、だったんだ。
「まあ、色々あってさ。1日何事もなく過ぎちゃって。夜に、縁日にいったんだ」
「……文乃の頬に、偶然手のひらを添えたんだ。文乃と目があって、これはチャンスかもしれない、と正直思った」
「その時、知り合いの声が聞こえちゃってさ。一瞬、2人の動きはとまっちゃったんだけど」
「それで、それで、どうなったの!!」
絵馬ちゃんの食いつきっぷりがすごい。
「俺から、キスしたよ」
文乃せんせー、嬉しかった!?と目をきらきらさせながらこっちを見る絵馬ちゃんに、わたしは大きくうなずいてこたえる。多分、わたしの顔は真っ赤だ。
「衝動を止められなかったし、さ。男として、頑張りたかったんだ」
「男として?」
絵馬ちゃんは、不思議そうな顔をする。それはわたしもだ。そんな2人に対して。
「古臭いんだけど……そういう時は、男が相手の気持ちを汲んで、背伸びして、頑張る、というのかな……相手を大切にしたい気持ちを行動に移すべきだと思うんだよ」
「唯我せんせー、昔の人だね……」
「いやあ、そうかもな……」
と、苦笑いしながら成幸くん。
「あたし、キスを待ってるんだよ。何かアドバイス、ないかな?」
俺の考えでよければ、成幸くんは断ってから、
「彼氏のタイミングを待ってあげてほしい、かな。慎重なのは、彼氏が橘さんのことを大切にしたいからだと思うんだ。いつかきっと、形にしてくれるから」
と、上手なフォローをしていた。
「そっか。そっか」
絵馬ちゃんは納得したのか、嬉しそうで。あとは、彼氏さんに「頑張って」ね、と伝えたい気分だ。
「唯我せんせー、ありがとう!」
「そうそう、ずっと、聞きたかったんだけど」
「聞かれてばっかりだな」
「文乃せんせーのどこが好きなの?美人だから?」

わたしはびっくりしてしまう。そんなストレートなこと、聞いちゃう?
「それもあるけど……というのは冗談で」
「出会った頃から、綺麗な女の子だとは、思っていたよ。でも、その頃はまさか付き合うことになるなんて思ってもなくて」
「好きなところは、笑ってるところ。怒ってるところ。泣き虫なところ。好きなことに夢中なところ。……文乃の全部なんだ」
おおー、と目を丸くする絵馬ちゃん。わたしは嬉しいやら恥ずかしいやらで下を向いてしまう。いつまでも、こんなにわたしを思ってくれる成幸くんの彼女でいられる。なんて幸せなんだよう。
「文乃せんせー、愛されてるね……聞いてるこっちがどきどきしちゃう」
「でもさ、唯我せんせー」
「文乃せんせー、胸ないけどそれはいいの?」
「おいコラ」
反射的にわたしは反応してしまう。
「あはは!」
絵馬ちゃんが、弾けるように笑って。3人で、おしゃべりはさらに盛り上がったのだった。

 

第三章

 

わたしと成幸くんは、絵馬ちゃんと別れたあと、一緒に帰っているところだ。
「橘さん、いい子だな」
「だよね。妹みたいに、可愛いんだよ!」
「そうか」
今だって、成幸くんは、優しい笑顔をわたしに、向けてくれる。好きになってしまう。何度でも、だ。
「橘さんもそうだけどさ、アスリートってかっこいいよ。すごいと思う」
少し、成幸くんが遠い目をした。きっと思い出している。……わたしと、成幸くんの共通の大切な友達。絵馬ちゃんみたいに、まっすぐで素直で、周囲にパワーを与えてくれる、女の子。

 

武元うるかちゃんのことを。

 

会話が途切れたまま、並んで歩き続ける。沈黙がしばらくあって、成幸くんが切り出した。
「うるかのことを、考えていたんだ」
わたしは、どうしてだろう、びくっと体を少し震わせてしまった。予測していたはずなのに。

「中学の時からずっと……元気を与え続けてくれた、かけがえのない、大切な人だった」

「最後の大会の後だったかな。団体戦で、チーム内でミスがあって勝てなかっんだよ。『泣くならやれること、全部やりきってから思いっきり泣くの』そう言って笑ってたよ。すごいやつだよな……」
「今や、オリンピックで大活躍してるんだから、本当に夢を叶えて、立派だよ」


わたしは、うまく返事ができないでいた。……うるかちゃんの夢はそれだけじゃなかった。わたしはそれを知っている。うるかちゃんは、ずっと、ずっと、ずうっと、成幸くんのことが好きだった。そんな彼女を、わたしは当初から応援できていたはずなのに。いつからか、その歯車は、うまく回らなくなってしまった。わたしもまた、成幸くんを好きになってしまったのだから。

 

最後の最後だ。りっちゃんに、戦ってこそ友人だと諭されたわたしは、ようやくこのことについてうるかちゃんと向き合った。そして、成幸くんに気持ちを伝えて、今、幸せな関係に至ってはいる。でも……。

 

「うるか、勉強のモチベーションがすごい低くて困ったよ。文乃や緒方のおかげだった」

 

懐かしそうに当時のことを話す成幸くん。こんなにうるかちゃんのことを喋るのはめずらしい。もちろん、他意はないのだと思う。わたしだって、きっと、いつもであれば一緒に談笑できるはず、だ。

 

……いや、嘘だ。わたしはそんなにいい子ではない。怖いんだ。わたしとうるかちゃん、2人とも、成幸くんが好きになって。2人とも気持ちを伝えた。そして、わたしの気持ちに応えてくれたのだ。その事実は変わらない。成幸くんの気持ちを疑うわけじゃない。それでも。今も成幸くんの心のどこかに、「そういう対象」としてのうるかちゃんのスペースがあるのなら。いつか、わたしへの気持ちが薄れてしまうんじゃないかって。

 

わたしはどこまで強欲なのだろうか。嫌になる。人の心にそこまで求めてしまうのか。それが恋人のものだとしても、あんまりにもひどい思考だからだ。

 

「……文乃、大丈夫か?顔が真っ青だけど」
「あ、ごめん、考え事。大丈夫大丈夫!」
と、わたしは不自然なくらいに、明るい声で返事をした。
「……そこにさ、楠本公園がある。ちょっとベンチで休んでいこう」
わたしは小さくうなずいた。ふと空を見ると、いつも通りの星空のようではあった。わたしの心境を慮るからのように、控えめに光っているようにも、思えたのだった。

 

第四章

 

「文乃」
「……?はい」
成幸くんが、名前を呼んでくれた。いつもなら、すぐに嬉しくなるのに、今は気分が沈み込んでいるからかそうにはならない。意図を掴み損ねたこともあり、ただ反射的に返事をした。
「付き合って長いけど、文乃にいってないことがあるんだ」
きっとうるかちゃんのこと、なんだろう。直感だった。
「高校三年生の時、初めて女の子を好きになったんだ。後にも先にも、一人だけ。その子だけだ」
「……!」
「大変だったよ。その子のことを考えるだけで胸がドキドキしちゃってさ。眠れなくなるんだ。身近に一緒にいることが多い子だったんだ。だから、それまで意識してなかったのに、だ」
「目があうだけで嬉しくて。声が聞こえると振り向いて。名前を呼んでもらえると緊張して。……偶然でも身体が触れちゃうとそれはもう、びっくりするしかなくて。笑っちゃうだろ?」
「用事なんて、何もないのに、電話をかけようと思ったことが何度もある。メッセージをしようと思ったことも何度もある。臆病だったから、そんなアプローチもできなかったけどな」
……わかる。成幸くんの、話はよくわかる。わたしだって、そうだったから。
「誰に相談するにも、わからなくて。でも、女心の師匠が俺にはいたからさ。その人に聞いてみたんだ。今の俺のこの気持ちはなんでしょうか……って」
「断定されたんだ。それは恋だ、って」
「文乃」
「はい」
わたしは、名前を呼んでくれた成幸くんの声に応えた。さっきよりも、ずっと素直な気持ちだった。
「文乃は、今のままでいいんだよ。誰かになる必要なんて絶対にないんだから。……いや、少し違うな」
わたしは、成幸くんをみていた。もっと言えば、成幸くんを、彼の心ごと、受け止めようとしていた。
「文乃『が』いいんだよ」
「他の誰かじゃ絶対にダメなんだ。文乃は、文乃のまま、俺は好きなんだ」
成幸くんの独白を聞き終えて。つうっと、一筋の涙がわたしの頬を伝っていく。自分でもわかった。成幸くんが、慌ててハンカチを貸してくれて涙を拭う。

 

成幸くんは、何度だってこんなふうにわたしを見つけてくれるのだ。わたしを、認めてくれる。無数にある星の中から、たったひとつ、時には自信なさげに輝く小さな星みたいな、わたしのことを。これ以上に、愛されている証明が、必要だろうか?いや、まさか。わたしは……大好きな人に、大好きだと伝えられている。だから、信じなければ、信じることができなければ、相手の気持ちが嘘だと言っているようなもので。そんなに失礼なことはない、とわたしは反省した。今夜みたいな落ち込み方は、よくない。もっと、成幸くんの『彼女』として、強くならなくては、いけない。

 

ところで、気になったことがあって。少し間を置いて、成幸くんに問うた。
「わたしが不安になっていたのが、ばれてたの?」
「まあ、な。文乃、最初にいっただろ?付き合って長いって。顔色みてたら、それくらいわかるよ。「彼氏」なんだから」
成幸くんはにっこりと笑いながら、さらりと男前なことを言ってくれた。
「女心の実践問題。結構解けるようになっただろ?」
いたずらっぽく、成幸くんは、付け加えてくれた。もう、わたしは出題者としては、失格らしい。問題をつくる前から、答えられてしまっては、立つ瀬ががない、というか。相手はとっくに、合格ラインを越えていたのだから。

わたしは、右隣に座る成幸くんの肩に、こつんと頭を預けて、身体を寄り添わせる。何度となくしている気持ちの伝え方、だ。初めてした時から、伝えたい気持ちは変わっていない。好き、好き、好き、『好き』、だ。
「しばらく……このままでいさせて」
わたしは、小声で告げる。成幸くんは、微笑んでくれた。そして。
「その前に……さ」
「……?……!」
そっと、柔らかに、丁寧に、キスをしてくれた。気持ちがすごく込められていて。嬉しくなって、幸せになって、身体に熱が隅々まで伝播していくようだった。
「言葉よりももっと、伝えたいこと、あるだろ?……俺が我慢できないよ。好きな人を、もっと好きになってるんだから!」
成幸くんは、はにかみながらそんなことを言ってくれた。愛しい、愛しい、愛してる。わたしはそんな想いで胸がいっぱいになる。そして、わたしからまたキスを求めて……。

空の星が、そんなわたしたちのことを、やれやれ、と少しあきれながらも、良かったね、と笑ってくれたようにも、思えたのだった。

 

おわりに

 

あたしは、昼間のことを思い出してニヤニヤしていた。お似合いすぎてびっくりだ。文乃せんせーと、唯我せんせー。いまだに、ラブラブなんだもの。そんな話を彼氏にしようと、携帯に手を伸ばした時に、着信だ。ちょうどいいタイミング、彼氏からだった。
「もしもし?うん、電話、大丈夫だよ。うん、うん……」
嬉しいよね。好きな人と心が通いあってるって。いろんなことがあるんだろうけど、お互い好きで尊重しあっていれば、なんだって平気なんだ。憧れのカップルであるふたりのことを考えながら、そんなことを思った。だけど、指をくわえたまま、その差が広がるのを黙って見ていられる性格ではないから。追いかけて追いついていつか追い抜いてやろう。もちろん、あたしの彼氏と一緒にね。あたしの『レース』は、まだまだこれからなのだった。

 

(おしまい)

 

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