古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

春本招きたる諍いに[x]は翻弄されるものである(前編)

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【古橋文乃の場合】

 

「喧嘩〜?文乃ちゃんと、成幸君が?」

 

「……はい」

 

天花大学の研究室の、天津先輩から、今日元気ないけど大丈夫?と言われて。

 

天津先輩は、大雑把な美人に見えるけれど、その実気遣いや人間観察がすごいので、いつも通り振る舞っているつもりのわたしだったが、見抜かれてしまったようだ。

 

ここじゃ話しにくいかもね、ということで、天津先輩は大学の近くの銀星珈琲に誘ってくれ、冒頭のやりとりになったのだ。

 

「文乃ちゃんのことはよーく知ってるし、成幸君も何度かあったからわかるけどさ。君たち、いつでもラブラブじゃない。めずらしいよね」

 

「そう、なんですけど……」

 

「はい、ホットコーヒー2つ。なんだい、美人がふたりでどんな悪巧みだい?」

 

そこに、銀星珈琲のマスターが注文の品を運んできてくれる。天津先輩もわたしも、この人とは仲良しなので、よくおしゃべりもするのだ。

 

「違う違う。今日は、文乃ちゃんのお悩み相談」

 

「お悩み、ねえ。まあ、今日は天気もこれだし、客も少ないからゆっくりしていくといい」

 

そういってマスターは笑いかけてくれ、奥へと戻っていった。ちらり、と窓に目をやる。季節は春。でも、雨、だ。憂鬱なわたしの気持ちを空が映し出したみたい。

 

「それで。なにがあったか、教えてくれる?」

 

そう促されて、わたしは昨日のことを思い出していた。

 

 

4月で、大学四年生になった。いよいよ、最終学年である。とはいえ、わたしは大学院に進学するつもりなので、まだ学生気分なのだが。一方、彼氏の唯我成幸くん(彼氏!嬉しい響きだ!)。先生志望の彼は、まさに勝負の年。教育実習が春にあり、夏にはいよいよ教員採用試験もある。これまで以上に成幸くんは忙しくなるだろうから、一緒にいる時間は少なくなるだろう。でも、成幸くんの夢を叶えるための応援はなんだってしなくっちゃ。そんな心構えを持っていた。

 

そんな春先のある日。今年から一人暮らしを始めた成幸くんの家に、顔を出すことになっていて。成幸くんは、アルバイトが長引いてしまい家に戻るのが遅くなってしまうらしく、先に入って待っててくれ、というメッセージを携帯にもらったのだ。

 

彼女なので合鍵をもらっていたわたしは(彼女なので!大切なことなのでもう一度言う)、はあい、待ってるよー、という返信をした上で、先に上がらせてもらったのだが。

 

「意外。結構、散らかってるなあ」

 

忙しいからだろう、わりと綺麗好きな成幸くんにはめずらしく、とっちらかっている。服が脱ぎすてられたままベッドにぽんと置かれているし、勉強用のテキストが乱雑に置かれている。

 

よし、とわたしは気合を入れる。

 

成幸くんの応援をすると決めたのだ。彼女として、できることをせねば。ということで、部屋のお片付けをしようかな、と思い立ったのだ。最近、水希ちゃんに掃除の仕方を教わっていたこともあり。そうして、とりかかりはじめようとしたときのことだった。

 

とある本が、ベッドの枕の下からひょこっと出ているのが目に入る。なんだか、隠されていたような気配もあり。抜きとってみた。

 

その本は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もっと!たわわな小悪魔♡鷹元えりか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こ、これは。

 

パラパラとめくって、わたしは瞬間湯沸かし器のように、ぼんっ、と顔が一気に真っ赤になったのを自覚する。

 

際どい水着を着た、胸の大きな可愛い女の子が、いろんなポーズをとっている。扇情的で、あんなポーズやこんなポーズも。ソフトクリームを舌を出して舐めとっていたり、フランクフルトを頬張っていたり。性的なことも連想させられるものだ。

 

わたしも流石に子供ではないので、こういう本が、男の子にとってどんな『使い道』なのか、くらいは、なんとなあく想像がつく。

 

成幸くんだって、男の子だ。しょうがない、のだ。それは、わかるのだけれど。胸がざわついてしまう理由が、大きく2つ。

 

一つ目。この女の子の胸が大きいこと。成幸くんは、やっぱり胸が大きい女の子が好き、なの?

 

二つ目。これはもっと深刻。この女の子。わたしの大切な友達に、少し似ている。水着が似合って。目が大きくて吊り目で。小麦色に日焼けしていて。唇がセクシーで。成幸くん、もしかして、うるかちゃんのことを考えながら……?

 

相当、わたしは悶々とし、段々、腹もたってくる。

 

ベタベタな怒りの根源。

 

わたしという彼女がいながら!!

 

「ごめん、文乃!遅くなって……」

 

そこに、タイミングよく、なのか。なんというのか。成幸くんが部屋に入ってくる。

 

「……成幸くん。少し、座ってくれるかな……?」

 

「……?あ、ああ……」

 

自分でも、暗黒のオーラを身に纏っていることがわかりながら。わたしはにいっこりと引き攣った笑顔を浮かべ、それにぎょっとする成幸くんと、向き合うのだった。

 

【唯我成幸の場合】

 

「成幸くん。この本のことなんだけど、ね?」

 

「あっ!」

 

血の気が引くとは、まさにこのことだ。彼女、古橋文乃が俺の部屋で手にしていたのは、なんというのか、うん、その、まあ、いわゆる、えっちな本というやつで。

 

気まずいことこの上ない。

 

「いや、その……」

 

春先でまだそんなに暑いわけがないのに、だらだらと次々汗が滴り落ちる。これはまずい。

 

文乃は、怒っている。

 

いつも通り、綺麗だし、ぱっと見笑顔なのが、とても、とても、とっても、怖い。

 

頭をフル回転させて、それらしい切り抜けられそうな理由(という名の言い訳)を考えてみる。

 

①大森に借りたもの。俺のものではない。
②やましい気持ちで持っているわけではない。美術の授業用。
③教育実習で使う。

 

………………く、苦しい。苦しすぎる。

 

一番何が苦しいのかといえば、この本の目的が、本来のそういう目的のたまに買ったものであることに他ならないからだ。

 

「成幸くんさ。やっぱり、おっぱい大きい方が、好きなんだね?」

 

もう、文乃の怒りのオーラがすごい。すさまじいことになっている。

 

「い、いや、そういうわけでは……」

 

背中も嫌な汗でベタベタだ。

 

「それにね。水泳やってる人、好きなのかな?うるかちゃんのこと、思い出したり、するの?」

 

「ま、まさか。うるかは友達だけど、そんなことは、なくて……」

 

おろおろするしかない……。

 

うるかが俺の人生に元気をくれた人であることに変わりはない。俺のことを好きだとも言ってくれた人だ。

 

だけれども、文乃のことが好きなことは、もちろん変わるはずもない。文乃のおかげで今の俺があるわけで。これから先だって、文乃さえよければ、ずっと一緒にいられる未来を心の底から望んでだっている。

 

「浮気……なの?」

 

なんと、文乃は怒りながらも、少し涙目にもなっていて。

 

「そんなわけない、俺は文乃を……!」

 

一転、悲しそうな文乃がかわいそうで、慌てて俺は追い縋ろうとするも。

 

「……今日はもう、帰るね」

 

そういって、とりつく島もなく、文乃は部屋を立ち去っていったのだった。

 

 

「……ってことがあってさ。それから、電話にも出てくれないし、メッセージも返信してくれないんだ……。小林、どうすればいい?」


「成ちゃんと古橋さんが喧嘩、ねえ。久しぶりに成ちゃんが連絡くれて何かと思えば、大変だ」


そういって、小林はくっくっと笑っている。


「笑い事じゃないんだ、勘弁してくれよ……」


と俺は困り果てていた。

 

駅近くの喫茶店に、俺と小林はいた。経験豊富でこの手の悩みに乗ってくれそうな小林に、急で悪いけれど、と頼み込んで、直接会って話を聞いてくれることになったのだ。

 

「実際。その本はさ、つかっちゃったの?そういうことに」

 

「……ま、まあ」

 

恥ずかしいことではあるけれど、相手は小林だ、正直に話すほかない。

 

「成ちゃんは、どうして普段あんなに優しい古橋さんがめちゃくちゃ怒ってるのか、わかる?」

 

「……え?それは、俺が文乃以外の女の人を見ながら、そういうことに、使ったからだろ?」

 

小林は苦笑いをしながら、違う違う、と首を振る。

 

「その女の子。似てたんでしょ、武元に。それは、やっぱり、武元のこと考えながらしたの?」

 

「そんなわけ、ないだろ!たまたま手にとった本がそれだっただけで、そういう意図はないんだよ。本当だ」


慌てて俺は否定する。うるかのことは大切な同級生であることは間違えけれど、そういう対象ではない。

 

「古橋さんは、成ちゃんが、武元のことを好きだったんじゃないか。武元のことを今でも思い出してるんじゃないか」

 

「それで、すごく不安になったんだと思うよ」

 

「まさか……」

 

俺は笑い飛ばそうとして、でも、目の前の小林が真剣な顔をしているので俯いてしまう。

 

「成ちゃん。最近、古橋さんに、好きだって伝えてる?例え言っていたとしても、上辺だけになってない?」

 

「うーん」

 

耳が痛い話かもしれない。ここ一ヶ月くらい、たしかに文乃とゆっくり過ごしたことはあまりない。電話やメッセージで、甘いセリフをいうことはないわけではないし、もちろん本当の気持ちではあるけれど、心からできているか、と言われるとその自信はない。

 

思えば、お互いが両思いであるこの環境になれてしまっている、ということはあるかも知れず。

 

「成ちゃん。彼女はさ、常に安心させてあげないと、ダメだよ。自分の中で常に一番なのは君だって、言葉ではもちろん、態度でも、行動でも、示し続けなきゃ」

 

「……大変だな」

 

「彼氏っていうのは、そういうものだよ」

 

「古橋さんにどうすれば成ちゃんの気持ちがもう一回届くのか。残念だけどそれは俺にはわからない。成ちゃんが、考えなきゃね」

 

厳しい。ただの友人じゃなく。本当に頼りになる友人だからこその、厳しい、セリフ。だけど、よおく、身に染みた。

 

 

その夜、やはり文乃は電話にも出てくれず、メッセージにも返信はなく。

 

それでも、めげている場合ではなかった。

 

俺は、思い出していた。文乃が、俺に好きだと言ってくれたこと。その言葉を聞くたびに俺を包んでくれた幸福感を。俺が好きだと言うたびに、恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに笑顔になってくれていたことを。

 

必死で朝まで寝ずに考えていた。

 

どうすれば、文乃に気持ちを伝え直せるのか、届けることができるのか。そのことを。

 

【古橋文乃の憂鬱】

 

「どうしよう……」

 

わたしは、困り果てていた。

 

あの日。すごく怒っていたし、取り乱しもして。少し、混乱もしていたかもしれず。立ち去るしかなかったものの。

 

振り上げた拳の降ろし方が、わからないのだ。

 

成幸くんから、何度も電話をもらうし、メッセージももらっているのだが、どう対応すればいいか、決めあぐねている。

 

気持ちは落ち着きつつあるものの、怒りと悲しさと嫉妬と。そういう気持ちがないまぜになったものが、たまに湧き上がってしまい、そのたびに自己嫌悪に陥る。

 

矛盾極まりないことはわかってるのだが。喧嘩をしているのに。成幸くんの声が聞きたいし。逢いたいし。抱きしめてほしい。

 

でも、どうすれば仲直りできるのかが、わからないのだ。

 

天津先輩のアドバイスを思い出す。

 

「うーん。ほっとくしか、ないね」

 

「ほっとく?」

 

「悪いのはね。成幸君だよ。その場というよりも、怒らせる素地をつくってしまっていた、彼が悪い」

 

そう、天津先輩は断言する。

 

「最近、デートとかしてないんじゃない?」

 

「……お互い、忙しいですから」

 

「文乃ちゃんは、我慢しちゃってるからね。心が、寂しがってることに気がつかなくて、だから、爆発したんだと思うよ。文乃ちゃんの怒りは、正当なものだ」

 

「成幸君の、度量が試されるね。彼がこれから文乃ちゃんに対してどう行動するのか。それは、成幸君の責任でされるべきもので、文乃ちゃんはそれを受け止めるかどうするか、決めればいい。でも、文乃ちゃんから行動しちゃ、ダメだよ。我慢して」

 

「だってさ」

 

「成幸君のこと、文乃ちゃんは、信じてるでしょ?」

 

その天津先輩の問いかけに、わたしは心から、素直にうなずいたのだが。

 

何か、きっかけがほしい。

 

いろいろと悩んでいるうち、朝になる。

 

早く成幸くんの隣にいたい。そんなことを思う。わたしが謝ればすぐなのだろうけど。

 

「……我慢、か」

 

天津先輩のその言葉を反復した。

 

成幸くんを心の底から信じているからこそ、そのスタンスを守るべきなのだろう。

 

わたしは、成幸くんを待つことに決めたのだった。

 

(後編に続く)