古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

或る人は[x]に在りし日を重ね追憶するものである(前編)

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はじめに

 

あたし、宇多麻子は喫茶店「銀星珈琲」の店主だ。といっても、一人でやっているので店主もなにもあったものではないのだが。店の名前に「星」がついているのは、死んだ連れもあたしも星が好きだったからだ。そんな縁もあり、天文学で有名な天花大学の近くで店を出して、40年以上になる。多くの学生が店にくる。新しい客が、少しよく見る客になり、馴染みの客になり、そして、名残惜しそうに卒業して去っていく客になる。その繰り返しだ。大きくはふたつ。覚えておきたい客か、それ以外か。冷たいと思われてもしょうがないが、全員のことをしっかりと覚えておかないといけない義理はない。あたしは所詮喫茶店の店主でしかないので、やりたいようにやらせてもらうのさ、と割り切っている。さて、覚えておきたい客。あたしの厳しい、勝手な条件はいくつかあるが、一番大きいのは、美人であること。美人というのは、容姿のことではない。男女のべつもない。内面から光る何かを持ち、それに安穏とせず磨き続ける努力をする人間かどうか、ということだ。まあ、ほとんど、この条件でたいがいの学生は振り落とされていく。ここ最近でいえば、ふたり、だろうか。

 

天花大学理学部天文学専攻第一研究室のいまや若き准教授となった、天津星奈。そして、同研究室の博士課程一年の古橋文乃。

 

天津は一見派手な美人だ。長身で細身だが筋肉質だ(それをからかうといつもうるさいのだが)。動物でいうとネコ科の様相で、大きく開いた目ではっきり物申す様は迫力がある。それでいて、気遣いもできて繊細さもきちんとあわせもっているのだ。誰にでも見せるわけではない、もいうのがまたよい。いい女になれる素養しかない、あたしの期待の星だ。そう言ったことは一度もないけどね。恐ろしさも加味して、だろうが、大虎系美人、とあだ名されているのはうまいと言える。

 

一方、古橋。この子は、正統派の美人だ。顔立ちが整っていて、目は大きく、まつ毛は長い。唇や耳の形も綺麗で、バランスがよい。色白で、すらっとしたスタイル。胸は大変控えめ(これをいうと本気で怒るのだ。おもしろい)なのだが、それを補ってあまりある、ひとを惹きつける華がある。特に、その内面だ。優しさがあり、誰かのために骨を折ることを惜しまない。それでいて、芯の強さもある。自分の夢を追い続ける、簡単なようで容易ではないその道を、しっかりと歩き続けているのだから。この子の面白いところは、ずっと恋をしていること、だ。付き合って5年以上は経つ彼氏との仲は、周囲からしてもおそろしいレベルで良好らしい。あの天津が、恐れ入った、また惚気られたよ、なんなんだろうね、とぶつぶつ文句をいってくるほどだ。古橋は、自分に向けられているその愛を、上手に自分の力に変換できているのだと思っている。愛している男に愛されている女ほど、強い人間はいないからね。

 

あたしも客商売なので、基本的に差をつけて応対することはしていないのだが、この2人に対しては、ついいろんな表情をしてしまうのだった。

 

第一章

 

ある冬の日のことだった。空は快晴だったが、その分気温まで吸い取られていったようで、都会の真ん中にありながら暖房はつけているものの、底冷えする。とはいえ、こんな寒さが嫌だ、というわけではない。星が好きな人間の常として、冬は星が空に最も美しく映える季節だからでもあり、やはり夜が楽しみだからだ。週末は久しぶりに遠出をして星を見に行ってもいいかもしれない、そんなことを考えながら開店の準備を進めて、「開店中」の札をドアノブに掛けようと店の外に出る。その時だった。
「おはようございます!」
「……おはよう。早いじゃないか」
古橋が、相変わらずいろんな人間を惹きつけるいい笑顔で挨拶をしてくれた。
最近とある噂の中心にいる、この子。
「ゼミの準備で朝早く来たんですけど、コーヒーで体をあたためようかな、と思って」
「ふむ、立ち話してる間に体を冷やしていたらお笑い草だ。早くお入り」
あたしはそう促す。古橋は一つ頷き、おはようございます、と言いながら店の中に入っていく。というわけで、本日最初の客を招き入れることになったのだった。

 

⭐️

 

「はい、モーニングね。今日のブレンドと、トースト」
「ありがとうございます〜!あー、おなかぺこぺこ。それにしても、今日、冷えますよね?」
「そうだね、年寄りには堪えるよ」
「今度、長野県の高原に行くんです。冬の星空をゆっくりと見に行きたくて」
「いいじゃないか。研究室でいくのかい?」
「いいえ、プライベートで、成幸くんと。研究室でいくと、絶対今書いてる論文のこと思い出しちゃうから、単純に趣味です」
他の客がほとんどいない時だけ、天津や古橋とあたしは少しだけ話すことがある。常に、というわけではなく、あたしが少し話してもいいかな、というタイミングは見計った上で、だ。そこらへんは2人とも見事に弁えている。若いのにたいしたものだと思う。ちなみに、成幸くん、というのは、古橋と長く付き合っている彼氏のことだ。うちの店にも、昔は月に一度は古橋と一緒に来ていた。今は夢を叶え、学校の先生になったようで、忙しいらしく店には顔をださなくなったのだが。うちのアップルパイをかなり気に入っているらしく、たまに古橋が持って帰って一緒に食べてはいるようだ。そのことをよく嬉しそうに話してくれるので、そんなことまで知っているのだ。

そんな仲睦まじい彼女と、「成幸くん」。その関係に、少し、いや、大きな、か。変化があったようだ。

 

左手の薬指に、シンプルなデザインの指輪が光っていた。おそらくは、そういうこと、なのだろう。この子はまだ博士課程だ。まだ学生の身分であり、一般的に、収入が安定しているわけでは当然ない。そうなると二の足を踏んでしまう、というカップルはよく見てきた。だが。彼女については、そんなことはあまり障害にはならないのだろう、ということはよく知っている。あたしにたくさん惚気話をするから、ということではない。自分からこの子がそういった話をしてくることはないのだ。ただ、断片的に会話に出てくる「成幸くん」の名前を出す時の、幸せそうな雰囲気だけでも、いかに女として男を愛しているのか、そして、それが女として男から愛されているが故の帰結であるのだ、ということだけでも十分わかる。まあ、たまにお店にくる2人の雰囲気というものを見れば、どれだけ鈍い人間でもふたりの絆の強さ、割って入る隙などないこと、よくよく伝わるはずだ。

天津からもそれとなく、聞いていた話でもあった。
「あたしの大切な後輩が幸せになったよ」
そう、さらりと言っていたのだ。だが、直接言葉にして伝えないのは天津らしい気配りでもある。直接は本人から伝えたいだろうから、ということだ。

「あ、実はわたし、結婚しました」

タイミングよく、というか。古橋があたしに直接教えてくれた。祝福してくれと押し付けるような言い方では、決してない。仲の良い人間に、事実として伝えつつも、幸せですと声のトーンで上手に教えてくれる、そんな素敵な言い方だった。

「そうかい。おめでとう。いつかとは思っていたが……よかったね」
あたしも大袈裟な言い回しはせず、お祝いの言葉をシンプルにいう。
「はい!」
笑顔で応える古橋の笑顔は、これまでよりも一層輝いていて。幸せな結婚とはやはりよいものだね、と素直に思えるような。しかし、天津の気持ちもわかる。こんなカップルは世の中にそんな多くはないだろう。周囲の人間も心の底からお祝いしたくなるカップルがたくさんいてはたまらない。

 

第二章

 

からんからん。

他の客が入ってきた。常連でこの時間にくることが多い男性教授だ。寒い寒い、と手を擦り合わせながらだ。あたしは古橋にごゆっくり、と伝えて、応対に移った。いつもの、と注文され、ブレンドを用意する。その時、店にひっそりと飾っている、旦那とあたし、2人で写っている写真が目に入った。いつもは空気のようなもので、意識することはほとんどないのだが。結婚の話を直前にしていたから、だろう。あの時の、あの場所での、あのことを、思い出した。

 

⭐️

 

湖の淵、いわゆる湖畔にあたしたちは
いた。夜だ。季節は冬だ。だが、星がよく見えるその季節だ、とそれを考慮したとしても。空には、恐ろしいほどの星の数だ。比喩ではなく、星降る夜。さらに、広大な湖が隣にはあり。湖面にも、空と同じだけの星が映っているのだ!!圧倒されるほか、ない。いろんな場所で星を見てきた。ひねくれもののあたしだが、こんな景色はただ素直に称賛するしか、なかった。
「綺麗……」
柄でもないけれど、最短で称賛する言葉をついつい口にしてしまうほどには、あたしは感動していた。
「素直な麻子さんは珍しいね」
あたしの隣には、男がいた。少し含み笑いをしている。よほど乙女なあたしが意外だったらしい。ひょろっと背が高く、よくいえば優しい、悪くいえば優柔不断な、あたしの彼氏だ。
「これだけ圧倒されたら……素直にもなるわよ」
そう、照れ隠しで組んでいた腕を軽くつねって反撃する。
いたた、とたいして痛くもないくせにいっていた。静かだ。風が湖の水面をなでて波が起こる瞬間の音さえも聞こえそうな、そんな夜だ。
「星の数だけ人が生まれ、星の数だけ人は死ぬ。生まれる時はひとりだけど、死ぬ時はふたりでいたい」
「……どうして?」
とあたしは応じる。静かに、次の言葉を待つ。
「ふたりなら、ひとりでは見つけられない星もみつけられるかもしれない」
その時、あたしの視界の隅で一つ星が流れていき、すぐに視界から外れてしまった。
「流れ星だ」
そう思わず言葉にする。
「ほら、ね。僕は見逃しちゃったよ。でも、ふたりだから、みつけられた」
次にかけてくれる言葉を……あたしはなんとなく察しつつ。

 

「麻子さん、結婚してくれないか」

 

「嫌だ、といったら?」

嬉しいくせに、ひねくれたあたしらしい返し方をしてしまう。こんな時に、と我ながら思うものの、性分だからしょうがない。だが、言葉ほど尖った言い回しにはならない。なるはずがなかった。好きな男にこうも言われては。

「本当に嫌なら、僕はとっくに殴られているよ」

あたしは見透かされていた。よくわかってるじゃないか。言葉で返すには照れくさかったし、癪にさわったので、あたしは唇を彼氏に押し付けた。軽く抱きしめられる。
「……大切にする」
「当たり前」

結婚の話をなかなか持ち出さずに、それで優柔不断だという言葉は、この夜、撤回した。やることはやってくれたからだ。

そんな昔のことをふと思い出したのだった。

 

⭐️

 

古橋と会計の時、そんなことを思い出したからだろうか。言葉をかけた。
「月並みだけどね。あたしは連れと死に別れるまで大切にしてもらったよ」
「結婚で一番大切なのは、相手へのリスペクト、敬意を払い続けることだ。そう、あたしは思ってる」
あたしのその言葉を、古橋は真面目な顔で聞いてくれていたのだった。人生訓を語ることなど、滅多にしないのだけれど、つい、この子の幸せに役立ちたいとは思ってしまうのだった。古橋の背中を見送りつつ、あたしは知らなかった。まさか、自分にあんなことが降りかかることなになろうとは。一寸先は闇であるとは、年を重ねてもなかなか気づけないもののようだ。

 

そして転換点

 

次の日の朝。開店の札をかけたものの、焙煎機の調子が悪く、何度か様子を見ていて。
「お互い年寄りだからねえ」
そんなことを独り言でぶつぶつ呟いている時。あ、と思った瞬間、視界が揺れ始める。これは危ないね、と直感で思い、膝をついて体を落ち着かそうとする。今日は開店の札を臨時休業に変えたほうが良さそうだ、と頭の片隅では考えるのだがまったく身体がいうことをきかない。視界が暗転する。
「……ちょっと!麻子さん!麻子さん!!しっかりして!」
この声は……天津、だ。消えていく意識の中で、そんなことを考えたながら、すっと身体中の電源が強制的に消されていくのだった。

 

(後編に続く)