古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

やまない雨は[x]を癒やす音である(中編)

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第四章

 

『……27日夕方、世田谷区の横断歩道で車が横断中の27歳の男性と接触し、男性が重症を負いました。

 

27日午後17時50分ごろ、世田谷区桜台3丁目付近の横断歩道で、車が道路を横断していた歩行者と接触する事故がありました。

 

この事故で歩行中だった小学校教員の唯我成幸さん(27)が頭などを強く打ち、病院に搬送されました。

 

警察は、車を運転していた世田谷区のアルバイトの男(35)を過失運転致傷の現行犯で逮捕しました。

 

警察によると男は事故当時、勤務先から自宅に向かう途中だったということで、雨天で視界が不明確だったので運転操作を誤ったなどと供述しており、警察の調べに対し大筋容疑を認めています。

 

警察は付近の防犯カメラなどから詳しい事故の原因を調べています……』

 

時刻は20:00を過ぎていた。少し前に運ばれて一通り処置を終えた患者に関するニュースがあり、一通り確認する。私はやれやれ、と思いながら椅子から立ち上がると、近くにいる看護師に話しかけた。

 

「307の唯我さんの奥さん、落ち着いた?」

 

「あ、先生。そうですね、今は落ち着いてますよ。さっきお部屋を覗いてきたら、静かに旦那さんを見守ってましたから」

 

交通事故にあってしまい、病院に緊急搬送された患者の家族が、タイムラグがありつつ駆けつけた時、当たり前だが、そのほとんどが血相を変えて医師に聞いてくる。容体は、助かるのか、どうして、なぜ。

 

答えられることと、答えられないことがある。答えられるのは、今の容体と、事実としての見通しだけ、だ。助かるのかどうか、私は決して楽観的な見方は付け加えない。

 

そして、どうして、や、なぜ、には、答えられない。私は神ではないからだ。事故にあった人間が、善良な市民なのかそうでないのか。家族がいるのかいないのか。家族仲は良好なのかそうではないのか。いま幸せなのかそうではないのか。はっきりいって、そこに共通点は何もない。ただ、事故が起こり、巻き込まれた人間がいる。その事実しか残らない。

 

私の仕事はある意味シンプルだ。人命を助けるためにベストを尽くす。それだけだ。尽くした後どうなるかは、わからない。わからない、そう思わなければ、医者の仕事は人間の精神力でやれる職業ではない。命に関わる全ての責任を負えるほど、ひとりの人間のハートは頑丈ではないのだ。

 

今回も、同様だ。

 

成幸くんは、主人は助かるんですかっ!?と必死で食いつく、冷静さをほとんど欠きかけていた患者の妻に、事実だけ伝えたのだ。

 

「身体の擦り傷は大なり小なりあります。ただ、それは実の所大したことではありません。問題は、頭を強く打っていることです。幸い、目立つような脳の損傷は見られませんでした」

 

「だが、意識が戻っていません」

 

「戻って、いない?」

 

目の前の彼女は、今にも心が折れそうな表情で私を見ている。決して楽しい話題ではないが、続ける。

 

「いつか戻るかもしれない。でも、戻らないこともありえます。申し訳ないが、確実なことは何も言えない」

 

「ひとまず安静にさせて、様子を見るしかない、というのが現状です」

 

「つまり、あと我々にできることは、信じて待つ。これに尽きるということですよ」

 

彼女は一瞬呆然とすると、大きな目からぼろぼろと涙がこぼれ始める。たしか患者の名前だろう、成幸くん、成幸くん、と呼びながら顔を両手で覆い、泣き崩れてしまう。看護師数人が駆け寄りなぐさめ、落ち着くよう声をかけているのを見て、その場を任せたのだが。

 

今度の患者は、よほど愛妻家かつ妻にも愛されているのだろう。

 

「……」

 

信じて待つためには何より、愛は絶対条件だ。そのことだけでも、助かる見込みはあると言える。残る十分条件は……奇跡、という名前なのかもしれないのだが。

 

第五章

 

「……ここは……?」

 

俺は目を覚ますと、ある部屋のベッドにいた。身体を起こし、ベッドや部屋を見渡す。布団やシーツ、枕は白。壁も白。

 

インテリアは何もなく、窓すらもない。

 

同じく真っ白なドアだけがあることに気づいた。そこで、ドアが開いた。

 

「目が覚めたかな。であれば、こっちの部屋まできてもらえる?」

 

そこには、女の人がいた。顔立ちは随分整っている。髪は長い。特にまとめられてもいるわけでなく、おろされたままだ。年齢はよくわからない。そんな彼女に、こっちこっち、と手招きされる。そこはまた違う部屋。だが、基本は先程の部屋と同じ。一人がけ用のソファがあるくらいだ。同じく、視界の全てが白。ふと自分は?と見てみても、やはり。シャツもズボンも白、だ。目の前の女性も、白いブラウスと白いスカートを身につけている。

 

「そこの椅子に座ってもらえる?」

 

素直に指示に従い、俺は空いている真っ白な椅子に座った。不思議な感じだった。足元がふわふわしていて、地面をたしかに踏めている気がしない。頭の中も不明瞭だ。

 

「わたしは“審査員”の古橋静流です」


「“審査員”?」


「はい。役割はあとで説明するとして。あなたの自己紹介をしてください」


「俺、ですか?ええと。名前は唯我成幸。年齢は……?あれ??」


持っていたはずの、自分についての情報が何一つわからなくなっている。困ってしまった俺を見て、女の人、フルハシさんといったか、は、そっと笑った。


「唯我成幸君。唯我君と呼びますね。唯我君、あなたの記憶は、技術的なもの以外の、記憶に定着させるような類のものは消されています。それを試させてもらいました。ちゃんと消えているようですね」


「すごく噛み砕いて言うと、唯我君、あなたは死にました。もう少しだけ正確に言うと、死ぬ確率がかなり高い状態です」


「死ぬって……」


なんだなんだ、全然状況への理解が追いつかない。


「ああ、魂が消滅する、みたいなことではないの。ざっくり言えば、これからあなたは天国にいく」

 

「その天国でどれだけ暮らせるのか、その長さを決めるための、“審査”だよ」

 

「はあ……」

そのリアクションに、我ながら随分間の抜けた応答だな、と思う。

 

「あの、死ぬことは決まってるんでしたっけ?生き返るということはないんですか?」

 

その言葉に、女性はにっこり笑う。続く言葉はない。答える気はないということか。

 

「これから、3つ柱になる質問をします。“審査”は、それだけ」

 

「一つ目。あなたの目の前に、小さい綺麗な箱があります。その中には、何が見えるでしょうか?」

 

「ええと。星、ですかね」

 

「……星?」

 

「はい。ほら、宇宙に浮かんでいる星」

 

「派生して聞きますが。どうして、星だと思いましたか?」

 

「ふと、見れるといいな、と思ったんですよ。誰かと見ると、綺麗かなって。それ以外に深い理由はありません」

 

「……」

 

目の前のフルハシさんは、眉を顰めていた。これまでの柔らかい雰囲気の彼女にしては想像しづらい表情ではあった。

 

「二つ目。自分の価値をどれくらい見積もっていますか」

 

「うーん。まずは、自分の価値というか、周囲の人の価値がわかる人間になりたいです。みんないいところが必ずあるはずなので、それを見つけられるようになりたい。何一つ『できない』人なんていないですからね。自分の価値は、周囲の人間が決めてくれるんじゃないかと思います」

 

「最後、3つ目。大切な人、例えば家族を残してまで、自分が命をかけることがありえますか」

 

「……。ある、と思います。熟考している暇がないときに起こりそうですね。俺が命をかけて行動することで守れる何かがあるのならば、それには意味があるでしょうし、そのことがわかってくれる人と家族になれればいいな、と思います」

 

どの質問も、答えがないものばかりだった。つかみどころが何もない。なので、正しそうな、というラインではなく、正直に、答えた。

 

フルハシさんは、やはり難しい顔をしたままだ。ふうっと息を吐くと、小さく、本当に小さく笑って。

 

「唯我君、ありがとう。“審査”は終わりました。さっきの部屋に戻って、待っていてください。結果はまた伝えます」

 

と言うのだ。俺はぺこりと頭を下げると、元いた部屋に戻ろうとする。

 

その時。

 

「……唯我君。今、会いたい人は、いますか」

 

苦しそうな顔で、フルハシさんにそんなことを問われる。しかし、俺の頭には誰の顔も浮かばない。

 

「すいません、誰も思い出せないんです」

 

「……ごめんなさい。行ってください……」

 

部屋に入る直前、ちらりとフルハシさんを見た。フルハシさんは、肩を震わせて泣いているようにも、見えた。何故だかは、わからないけれど。

 

⭐️

 

ぴこん、と音が鳴り、わたしの手元に、手紙が現れた。“審査”の結果だ。

 

中身を確認する前に、わたしは宙に向かって語りかけた。というか、怒鳴りたくなるのを必死に抑えながら、問うた。

 

「……事務局。聞こえていますか」

 

『No.1023担当、古橋静流。聞こえていますよ、どうぞ』

 

「……対象の現世への送還を、強く、強く、強くっ……求めます!!」

 

普通の声で話しかけていたはずなのに、言葉をいい終わるほんの数秒の間で、半分叫びながらわたしはそのことを発していた。

 

『No.1023担当、古橋静流。十分知っているでしょう?我々にできることは、川に浮かんで流れてくる落ち葉のいく先を少しだけコントロールするようなことだけ。川上に戻すことなど、できないことくらい、聡明なあなたは学んでいるはずです』

 

『No.1023担当、古橋静流。貴方の希望で、No.1023を担当させたんです。これ以上の当局への要求は警告に値しますが……』

 

「五月蝿いっ!!!」

 

「これ以上……わたしの娘……文乃から、大切な人を、奪わないでっ!!!」

 

「No.1023、彼は、唯我成幸くんは、今だって文乃を愛してる。優しい彼がどれだけ文乃を支えてくれているのか……痛いほどわかるから……」

 

感情が暴走しかけていて、思考の言語化がうまくできない。涙がとまらない、とまらない、とめられない。文乃。わたしの愛する娘、文乃が。心から愛している旦那さんである唯我成幸くんを失おうとしていて。平静でいられるわけがなかった。

 

『……No.1023担当、古橋静流。審査員総括だ』

 

「えっ……!?」

 

事務局のナンバー2だ。わたしはこれまで話したことすらない。

 

『貴女が優秀な審査員であることは理解している。であればなおさら、貴女がどれだけ無茶なことを自分で言わざるを得ないほど追い込まれているのだろう、ということもまた、理解した』

 

『No.1023の意識が戻りかけているようだ。特例として、審査結果の適用を、12時間遅らせよう。それまでに、No.1023が意識を取り戻せなければ、諦めてもらいたい』

 

「……!!」

 

唯我成幸くんが、文乃の元へ戻れるチャンスが、少しだけ、本当に少しだけ広がったということ。わたしは深々とその場で頭を下げる。

 

あとは、わたしも、祈ることしかできない。きっと、文乃はわたしの何倍も、何十倍も、何百倍も、祈っているだろう。その後押しに、なれるように。

 

第六章

 

わたしは時計を見る。夜中の2:38。24時間すら経っていないのに、精神的な疲労感がひどい。でも、目は覚醒しきっているから、ちっとも眠くない。目の前では、たくさんの機械に囲まれて目をつぶったまま横たわっている成幸くん。手を伸ばせば届く位置にいるのに。彼の今の位置が、遠い。遠すぎる。それが星であれば、まだいい。どのくらいの距離なのか、測ることができるからだ。それすらできずに……。ネガティブになってしまう。慌てて首を振り、そんな気持ちを振り払う。

 

お父さんがさっき持ってきてくれたコンビニの袋が目に入る。おにぎりやサンドイッチだ、食べておきなさいと言われ、うなずいて受け取るだけが精一杯だった。夜はまだ長い。何かお腹にいれておかなくちゃ、と思い手を伸ばしたときだった。携帯がチカチカ光っている。ニュースを見た知り合いが、たくさん心配のメッセージをくれているのだろう。とても読んでいられる気分ではなかったのだが。なんだか気になり、目を通してみる。あ……。懐かしくて、大切な人たち。わたしと成幸くんと、決して薄くない関わりがあった人たちからのメッセージがあったのだ。

 

『激励。古橋さん、気は強くもって、でも、無理はしないように。身体を休めることも必要。何か助けが必要なら、必ず頼りなさい。桐須』

 

背筋がぴんと伸び、一見冷たいけれど、それはうちに秘めた生徒を想う気持ちゆえだった桐須先生が、精一杯わたしを気遣ってくれていた。

 

『おー、古橋。久しぶり。大変だな。緊急搬送だろ?でも、そういうのを受け入れてる病院は、体制がしっかりしてるからな。安心しろ。で、心配だろうけど、ちゃんと寝ろ。後輩なら、お前が無理してる方が困るだろうからなー!で、2人でまた診療所に遊びにこい。病気も怪我もしてなくていいからよ。小美浪』

 

面倒見が良くて、その実気配りもできる小美浪先輩らしい文面だ。読んでいて、ほっとしてしまった。さすが本物のお医者さんだけあって、安心させてくれる力がある。

 

『文乃!大丈夫ですか?心の体力は、身体の体力に比例するものです。身体を休めることも肝要かと。あなたと成幸さんの絆の強さは知っています。それは、心を強くするものです。辛いでしょうが……負けないでください。あなたは、あなたたちは、こんなことでへこたれている場合ではないんですから。理珠』

 

りっちゃん。心理学的をばりばり学んでいる彼女に心の強さを指摘してもらえるのは、心強い。わたしの背中を力強く押してくれるのは、昔からだ。

 

『ふみのっちいっっっ!成幸もだけど、文乃っちの方がシンパイだよ!!!ムリしないでよ!うるか』

 

うるかちゃんらしい。まっすぐ気持ちが伝わるメッセージ!明るくなるな、と思っていたら、二通目に気づく。

 

『……本当はね。オーストラリアから駆けつけたいよ。成幸が、そんなことになってるんだから。でも、文乃っちが、いてくれるから。成幸のこと、任せたかんね!うるか』

 

口を強く結んだ。ただでさえ嬉しいみんなの言葉の最後の最後。同じ人に恋をしていた、大切な友達からの、激励を受け取り、涙腺がまた動きかけてしまうから。

 

おかげで、心のエネルギーが、だいぶたまった。それと同時に、みんなが心配してくれたように、長丁場に備えて眠ろう、そうも思った。わたしがここで倒れてしまえば、誰が成幸くんに寄り添うというのだ。

 

泣いてばかりではいられない。強くならなくっちゃ。桐須先生のように背筋を伸ばしてみる。小美浪先輩みたいに、笑ってみた。りっちゃんみたいに意志を強く持って。……うるかちゃんみたいに、好きな人を好きなまま、前を向くのだ。

 

家族用に確保してもらっている別室に移動する前に、最後、成幸くんの手を少しだけ握っていこうと思い、成幸くんの手に、わたしの手を添えて。そっと、優しく、包み込んでみた。成幸くんの手は、相変わらず冷たい。懐かしい。縁日の夜、旅館で彼に手を繋いでくれていたことが、今思えば恋の始まりだった。ふふ、と笑みがこぼれた。さっきまでの追い詰められていた自分では絶対できなかった表情だ。

 

成幸くんのことが、また、愛しくなる。この気持ちを抱えたまま少し眠って、また戻ってこなくちゃ。

 

その時だった。

 

繋いだ手のひらが少しだけ反応して、成幸くんの瞼が、ピクリと動いたような気がしたのは。

 

(後編に続く)

 

 

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