「文乃、急でごめん。今から会いにいってもいいか?」
「え、今から……?大丈夫だけど、ほんとに急だね。何かあった?」
「んー、いや、何かってわけじゃないんだけど、な」
「あと10分後くらいだと思う。じゃあ、また後で」
成幸くんからの電話があって、とってみるとそんなやりとりだった。
今、卒業論文執筆の真っ只中で、わたしは自宅に篭り切りのことが多かった。わたしの大変さをよくよくわかってくれている成幸くんも、それを最優先にしてくれよ、でも、無理はするなよ、というスタンスでいてくれて。
だから、最近は電話もあまりしていないし、メッセージのお返事も遅くなることが多くて、ふと立ち止まると寂しくもあり。でも、現実がそんなわたしをすぐに引き戻してまた論文の執筆を急かす。そんなことの繰り返しで、目が回る毎日なのだが。
でも。
「成幸くんと、会えるのかあ……」
肩の力が抜けるのが自分でもわかる。ほっとして、だ。成幸くん、成幸くん、成幸くん。嬉しい。大好きな彼氏と、久しぶりに会えるのだ。
あれ、わたし今日お化粧してたっけ……?
冷静になり、そして周りを見渡す。
「き、汚すぎる……」
卒業論文を控えて、部屋の片付けは二の次にしていたつけが今、このときだった。
「……あと10分……!」
わたしは自分史上最速でのお化粧とお片づけに挑むのだった。
※
ピンポーン
「文乃、きたよー」
「わ、わ……は、はーい」
成幸くんだ!
わたしはばばっと部屋を見渡し、なんとか、女の子の部屋であること最低限保った(と思う……)のを確認し、鏡で顔をチェックして、眉毛が整っていることと、唇が荒れていないこと、髪を一括りにまとめてあることを見て(枝毛はもうしょうがない)、一つ小さく息を吐いて、扉を開ける。
「ごめんな、ほんとに急にきちゃって……ほら、これ、差し入れ」
「あ、キャラメルマキアートの大きいサイズだ!ありがとう〜!」
一足早く冬の装いで、申し訳なさそうな成幸くんの手には、わたしの好きなコーヒーチェーンの一番好きなアレンジ。受け取ると、熱いくらいだった。
「あとは、これも、な。これは、あとで一緒に食べないか?」
「わあ〜、駅前の新しくできたお店のレモンパイ!!食べたかったんだよ……。成幸くん、女心の練習問題100点だねっ!」
わたしは美味しそうなものに囲まれて、ほくほくだ。
「さ、さ、あがって!」
「うん。……おじゃまします」
成幸くんがコートを脱いで洗面所で手を洗っている間、わたしはせめてものあがきでソファの上にある毛布を畳んだりして整理整頓をする。水希ちゃんには怒られそうだ、毎日の積み重ねがお部屋の綺麗さを左右する、誤魔かすのは一番ダメだ、そういつもいってたから。
「あ、成幸くん。今日はどうし、た……」
振り返ると、成幸くんがいて。
セリフを全部言わせてもらえないまま、そのままわたしは抱きしめられて。強く、強く、強く……ぎゅう、っとされる。
「……成幸くん」
わたしも、両手を彼の背中に回して。同じく、抱きしめ返した。
「文乃。用事はないんだ。会いたかった。……それだけ」
「……うん」
付き合って、初めて、くらいかもしれない。それくらい、弱くて、小さな、声だった。
メッセージや、電話では、わからなかった。成幸くんが抱えていた、寂しさが、この言葉に凝縮されていた。
「ごめんね、成幸くん……」
抱きしめられたまま伝えたわたしの謝罪の言葉に、成幸くんはどんな表情をしたのか。それはわからないまま。
どれだけの時間が経ったのだろう。
「……落ち着いた?」
そうわたしが声をかけると、そっと成幸くんの手がわたしを離した。
成幸くんは捨てられた子犬のような顔だった。なんて顔だろう。
「謝るのは、俺の方だよ。ダメだよな……これくらいで文乃に甘えてしまうんだから」
自嘲気味に、成幸くんは呟いた。
わたしはソファにぽすん、と座った。そして、隣のスペースをぽすぽす、と叩く。わたしの隣に座って、のジェスチャーだ。成幸くんが不思議そうな顔で座るのと同時に、えい、っと成幸くんの頭を無理やりわたしの膝の上にして。膝枕をしてしまう。
「成幸くん。今日は好きなだけ、こうしていて、よいよ?」
「いやいや、邪魔しちゃ悪いだろ……」
成幸くんの反論が、いつもより弱くて、可愛い。いつも相当な理性でブレーキをかけていてくれたことが、よおくわかってしまった。甘えたかったんだね。
成幸くんが、愛しくて、愛しくて、愛しくなる。
「結構、甘えん坊さん、なんだね」
そう、ささやいてみる。
「……俺も、意外だったよ。文乃が少しでも遠くなると、こうなっちゃうんだな」
「いつもね」
わたしはそう切り出す。
「思っていたんだ。成幸くんは、ずるいな、って」
「どんなところが?」
「彼氏と彼女、なんだけど。わたしのほうが、好きが大きいような気がしてて」
「わたしはすぐに成幸くんに会いたくて寂しくなるんだけど、成幸くんは意外とそうじゃないんじゃないか、ってね」
「あ、誤解しないでよ。成幸くんがわたしを好きなことは、よくわかるの。ただ、なんだろうな、我慢できちゃうんだなあ、って」
「……我慢しないほうが、よかった?」
「………………うん。今日みたいな夜は、特に」
わたしは、その肯定の言葉に、いろんな気持ちを、込めた。
成幸くんも、わたしの肯定の言葉で、いろんな気持ちを汲み取って……そして、自分で、ブレーキを、壊してしまったんだと思う。
2人の態勢が、くるっと入れ替わり、ソファの上で、わたしは成幸くんに押し倒される。
一瞬交錯する、2人の視線。ちりっ、と、火が宙に散った、ように錯覚する。恋の、花火が。
成幸くんが、唇をそっと押し当ててくる。でも、今夜は、優しいのは、最初だけだった。乗数のように、爆発的に高まっていく、熱、熱、恋の熱。
ただ、されるだけなはずもない。わたしだって……我慢していたんだから。わたしも負けじと、成幸くんにキスのお返しをする。とまらない、とまらない、とめられない。
唇を押し付け合うだけじゃなくて、お互いの口の中まで侵入してしまう、大人のキスにもなっていき、求め合う。
「……はあっ……」
「文乃……」
「成幸くん、キス、もっと……」
終わらない、愛の、雨だ。情熱が、燃える、燃える、燃え上がる。
ベッドにいく?という成幸くんの優しい声にわたしは首を振り、このまま、と答える。今の互いの熱を少しでも冷ましたくなかった、から。
成幸くんの冷たい手のひらが、わたしの胸を優しく触りはじめ。わたしは成幸くんの首筋にキスの雨を降らせて。互いの行為が互いの想いとアクションのエネルギーになって、螺旋状に盛り上がっていくようだった。
恋人の互いの寂しさが、恋のスパイスになるのだ。そんなことを頭の片隅でふと思い、でもそんな考えも高速で過ぎ去っていく。
その間、押し殺したいのに漏れてしまう自分の声が、自分じゃないみたいで。こんなに乱れちゃうんだ、と恥ずかしくもなり、でもすぐに飲み込む。
成幸くんも、こんなに荒々しくなるんだ、と力強く抱かれながら思い、でもそれが幸せだった。成幸くんは、子供みたいに、一途に、わたしを求めてる。
成幸くんは、わたしの身体と心を求め。
わたしは、成幸くんの心と身体を求め。
ほんとうに、正しい意味で、わたしたちは求めあって、抱きあって、愛しあったのだった。
※
お互いシャワーを浴びて、パジャマに着替えて(成幸くんのパジャマもわたしの家にはあるから。なぜなら恋人、だから!)、レモンパイを食べ始めていた。
「あちゃあ、キャラメルマキアート、さすがにさめちゃったよ」
言葉とは裏腹に、わたしは嬉しい。それくらい長い間、わたしと成幸くんが愛しあっていたことの時間の証明だから。
「ごめん、また買ってくるな」
そういって笑う成幸くんは、いつも通り優しい。さっきは、優しいだけ、じゃなかった。そんな一面を知っているのは、世界でもわたしだけだから、心が愛で満たされていることが、よくわかる。
「甘えん坊さん、たくさん甘えられたかな?」
そういって、わたしは成幸くんをからかってみる。
「まだ足りない、っていったら?」
そんな言葉で、成幸くんもやり返してきて。
「あ、お姉ちゃんをからかったな?あとで盛大に補習だよっ!」
そんなやりとりをして、お互い笑顔になる。
互いの熱をまっすぐに伝えあった夜。
確かに今夜もまた、わたしと成幸くん、ふたりの物語の大切なひとつのピースになるのだった。
(おしまい)