古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

光彩陸離たる星々の行方はただ[x]のみが知るものである⑧

第二十一章

 

「成幸くんに何をしたんですか!」
 すごい剣幕で、古橋文乃(もはや僕にとってはただの『受け皿』としての関心しかない女だ)が僕を睨みつける。
「全身麻酔を打ってあげたんだ。僕の母は麻酔科医でね。僕もいろいろと詳しいんだよ」
「早く成幸くんの目を覚まさせて!」
「おやおや、あなたほど優秀な女性が、麻酔の仕組みくらいわからないはずがないでしょう?一度効き目を発揮したからには……誰も強制的に目を覚まさせることなど、できません」
「まあ、安心してください。今のところは、時間が経過すれば、自然に目を覚ましますよ。……今のところはね」
「今のところ?どういうことなの!?」
 怒りの表情を浮かべたまま女は僕に苛立ちをぶつけてくる。まったく、ヒステリックになりかけている女の見苦しさといったら……通常であれば、不快この上ないものだ。だが、まあいい。僕は今、気分がいいのだから!
「今打ったものは、比較的軽いものですよ。たぶん、2時間もすれば目が覚めます。だけどね」
 女の怪訝な顔は変わらない。
「ここに、これよりも濃い濃度のものをもう一本持ってきている。もしも、これを今の状態で打ったら……二度と目を覚まさなく可能性が高い」
「!!」
「いいですか。あなたと、この男の運命は、僕が握っています。この、都森圭が、ね!」
 女はようやく立場がわかってきたようだ。顔を真っ赤にして怒りを持ちつつも、困惑の色も浮かべていた。次にどう行動していいかわからなくなりつつあるのだ。それでいい。それでこそ、僕は次のステップに移り甲斐があるというものだ。

 

 僕は、強い屈辱を与えられた唯我成幸を許すことができない。そんな中で。水原氏からは、ふたりの仲に介入するのは諦め、写真データも破棄した。巻き込んですまなかった。自由恋愛を妨げる気はないが、古橋文乃にアタックするのはやめたほうがいい。そんな馬鹿げた連絡があった。あまりに使えなさすぎる……!
 僕はとてもあきらめきれない。いろいろ仕返しをするパターンをすぐさま考えた。そのために必要なものをリストアップする。そして、金に糸目をつけず、すぐさま用意もしたのだ。基本線は、唯我成幸を麻酔により意識を失わせる。そして、それをダシにして古橋文乃を脅す。古橋文乃に求める要求も決めた。唯我成幸を絶望させつつ、僕の真の目的を果たせるものを!!
 そして、事前に水原氏から聞いていた唯我の家を見張っていた。どこで、仕返しを『実行』できるようにするか。奴は、家を早足で出ると、地下鉄の駅に向かった。夏の夕方だ、まだ日が高い。人目にもつきやすいだろう。舌打ちをしつつ、後を追った。奴は結局赤坂で降り、とあるバーに入っていった。広い店ではない、僕がいればバレるだろう。外でしばらく待つ。すると、思いの外早く出てきた。また駅に戻るようだ、人混みを利用して隠れつつ、後をつける。そして、ある場所で立ち止まった。どこかへ、電話をしているようだ。聞き耳を立てていると……声が拾えた。どうやら、相手は、古橋文乃、あの女。そして、そこへ向かうらしい!
 僕は小躍りするところだった。考えていた何パターンかのうち、最も僕の中で重なってほしかったシチュエーションなのだから!そして、何も知らずのんきに女の家に向かう奴を尾行して……。今にいたる、というわけだ。

 

 僕は告げる。ふたりを絶望に陥れる、始まりの、言葉だ。だが、それは女にとって光栄に思うべきことでもある。
「古橋先生。今から、僕とセックスをしましょう。僕の精子を、受け取って欲しいんですよ。『受け皿』としてね」
「……!?何を言っているの……!!」
「言いましたよね?あなたとこの男の運命は、僕が握っていると。いいんですよ、麻酔をこの人にもう一本打っても。ははは」
「こんなことして……!!ただじゃすまないわ!」
「いろいろ、考えたんです。どうすれば、僕が望むものが手に入るのか。僕はね。何よりも、自分の遺伝子をしっかりと次代に繋ぎたいんですよ。それが、優秀な人間の勤めだ。義務とすらいってもいいかもしれない。そのための『受け皿』として、あなたを選んでやったんです。そこのバカな男が背中を押してくれましたよ!」
 僕は話しながらどんどん高揚していくことを感じていた。そうだ……僕は、選ばれた人間なのだから!
「回りくどいことをやめよう、と思ったんです。僕は、自分の遺伝子を、つまりは、子供さえ残せればそれでいいんです。それに気がついたんですよ。あなたは優しい女性だ……一度授かった命を、無下に堕すことなんてできないんじゃないですかね?」
「信じられない……!わたしがあなたを受け入れるはず、ないでしょう!力づくでそんなことをすれば、罪を犯すことにもなるのよ!?」
「あなたが受け入れるかどうか決めることじゃありません……。受け入れるしか、ないんだから!そして、この後法の裁きを受けないわけではないでしょう。でも、そんなことは些細なことだ……!僕の子供を残す。何より。唯我成幸への復讐にもなる。はは……ははは!」
「……!!」
 女は、血の気が引いた顔になりつつある。強く唇を噛みしめてもいて。
 僕はぞくぞくしてきた。目の前の女を力づくで組み伏せる。
 そして、身に付けている衣服を破り、白い肌をあらわにさせる。
 強引に愛撫をしてやるのだ。嫌がりつつも、徐々に快楽をえはじめるに違いない。どれだけ気取っていようが、ほかに好きな男がいようが、なんだというのだ。
 そのうち、僕の男性器を欲しがるに決まっている!そして、何度も何度も僕の精子を中に出してあげるのだ。
 僕は自分の男性器が猛ってくるのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんという『幸せ』な女だろう……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっくっく!あっはっは!!」

 女は、侮蔑に満ちた視線で僕を睨みつけたまま。僕は大きく舌打ちをする。そして。
「いい加減に、そこから離れろっ!!!」
「あ……!」
 僕はいつまでも奴にしがみついている女を思いっきり蹴り飛ばした。そして、廊下に倒れ込んだ女にのしかかる。女の絶望に満ちた顔ときたら……!たまらないじゃないか!
「いや……!離してっ……!!」
「しょせん女の力だね。男に敵うはずないだろう?どうせことに及んだら、気持ちよくなれるんだ。抵抗しなくてもいいじゃないか」
「……!!」
 ばたばたする女。僕を見上げる視線には、怒りと屈しない、という意志が込められている。僕は眉を顰めつつ、こめかみをひくつかせる。不愉快だ……!

ぱあんっ!

「……っ……」
ばたばた抵抗する女を思いっきり平手打ちしてやる。
「大人しくしていればいいものを……!」
「誰があなたなんかに……!」
「このっ……!!」

どんっ!!

「!?!?」

 その時だった。強い力で、僕はその場から突き飛ばされて、組み伏せられる。……こいつ……!!

 

⭐️

 

「成幸くんっ!!」
「古橋、警察っ!!」
「うん!」
「おまえ……!!おまえっ……!!麻酔がもう切れたのかっ!?」
 麻酔……?全身がふわふわしているのは、そのせいか。身体に力を込めているはずなのに、その実感が湧かないのだ。全くいつも通りに使えない。しかし……今や、そんなことを言ってる場合じゃない!!脳から身体に向かって、何度も何度も指令を出しながら、目の前の都森を押さえ込んだ。

 うっすら認識していた。古橋の嫌がる声と、古橋がおそらく叩かれただろう鈍い音を。古橋に手をあげたこの男を……絶対に、離すわけには、いかない……!!

「離せ、この……!!女は、僕の子供を授かって、優秀な遺伝子を受け継ぐ役割をはたすところだったんだぞ!!『幸せ』にしてやろうとしていたのに……!!」

 

「古橋は……!」

 

「聞いてるのか、おまえっ!」

 

「できなかったんだよ、最初は……!」
 出会った頃のことを思い出す。数学が笑えるほどにできず、でも、天文学を学びたいと、目をきらきらさせながら語ってくれていたことを。

 

「おい……!」


「自分の頑張りで……!」
 俺は出会ってすぐ、古橋をはじめとした天才たちが苦しんでいたことを知る。そして、正しい努力の仕方がわかってから、天才たちが一生懸命勉強していたことは、誰よりも、誰よりもだ、俺が知っている。古橋は、父との確執さえも、自分の頑張りで、乗り越えたのだ。

 

「……!なんだ、この力は……!」

 

「積み重ねてきてるんだよ……!」
 そして、希望の学問を学べる大学に進んで。それで終わりではない。学問を学び続ける過程では、そこからだって、たくさんの苦労があったはずで。でもそれを乗り越えて、天文学者として素晴らしい働きをしているのだ。

 

 組み合っているうちに、都森の右手が自由になってしまい、そのまま俺の顔を殴りつけてくる。

 

 どかっ、どかっ!

 

 右の頬に続けて強い衝撃を受け、思わず怯みかけた。でも、だめだ!

 

「離せ!愚民がっ!!」

 何度殴られても、殴られても、殴られても。俺が離すわけが、離せるわけが、許せるわけがなかった。都森を抑え込むべく、力を入れる。

 

「おまえなんかがっ……!」
 湧き上がるものが二つあった。一つは、古橋の容姿や今の実績でしか古橋のことを知ろうとせず、さらには古橋の気持ちを考えず、我がものとしようとしたこの男に対する……怒り。もう一つは、ずっと、ずっと、ずっとだ。俺を想い続けてくれた古橋をここで守れなくて、何が男だ……!という自分を鼓舞する気持ちだった。

 

「この……なんで、どかないっ!」

 

「古橋の『幸せ』を、語るなっ!!」
 都森と視線が交錯する。俺が込めた怒りの気持ちが強すぎたのだろうか。都森の目に一瞬の迷いがうまれたことを俺は見逃さない。何度目かわからない、自分の脳から必死に力を振り絞るよう、大号令をかけ、全身で都森を抑え込むにかかる。

 

「……ぐっ……!!」

 

 何時間でも、何日だって、付きあってやる…!その時だった。

 

 ドタドタ……!

 

「警察だっ!」
「大人しくしろ!」

 大柄な男性二人が駆け寄り、俺の横から都森を押さえ込んでくれる。都森は荒く呼吸しながら、観念したのか力を抜いた。

 

「成幸くん、成幸くん……!!」
 床にぺたりと座り込んだ俺に、わあわあと泣きながら、古橋が俺に抱きついてきた。
「……もう、大丈夫」
 大きく肩で息をしながら、俺は古橋の頭をぽんぽん、と叩くのだった。ぎりぎりのところで、俺は古橋を守れたようだ。そのことに何よりほっとするのだった。


第二十二章

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 あの出来事から1週間がたった。俺、唯我成幸は、ある人と待ち合わせをしている。8月上旬の土曜日、時刻は5:50を過ぎようとしている。蝉の声はまったく落ち着く気配はないし、日差しは弱くなりつつあるものの、空気には熱がこもったまま。要するに夜に差し掛かるものの、いまだ暑く、盛夏を実感せざるをえない、ということだ。
 叶恵駅、という市街地からかなり外れた駅にいる。大きい駅ではないものの、人は多い。なぜなら、今日はこの付近で割と大規模な縁日があるからだ。さて、と。相手を探すため、あたりを見渡そうかな、とした時だった。
「成幸くん、お待たせ!」
「おう。……!」
 背中の方から声がかかり、振り向くと…。そこには、待ち人である、古橋文乃がいた。
 目を見張る。とても板につく、浴衣姿だったから。薄い水色がベースで、そこに白と黄色の菊の花柄があり、清らかな印象を与えてくれる。明るい鮮やかな色合いの帯で、全体のバランスがとれていて。髪型も、長い髪をくるりとまとめて、上品なかんざしがワンポイントになっている。それにしても……うなじの曲線がよくわかる。はっきりいって、色っぽい。好きな人が、似あっている浴衣を身に纏い、どう?と頬を赤らめ照れながら誇ってくれているのだ。嬉しくないはずがない。だから、かなりしまりのない顔をしてしまっている自覚は、ある。俺の顔も真っ赤だろう。
「この年にしては、少し明るすぎるんだけど、ね」
 俺は、慌ててそんなわけないだろ、というニュアンスを強く込めて、ぶんぶんと首を横に振る。
「とても似合ってるよ。保証する」
 と、だいぶ前のめり気味に言う。
「実は高校生の時にも着ていて。成幸くんも見てるはずなんだけどな~?」
「…う。ごめん、気づかなかった」
「ふふ、『女心』教科の履修は終わったと思ったんだけど、まだまだだなあ」
 そう、古橋はおかしそうに笑う。確かに、この前最終試験をクリアしたはずなのだが…。
「だけどさ」
「うん?」
「俺は、古橋師匠とずっと一緒にいないと、だめだってことだよ」
 逆手に取って、そんな本音を、隣の綺麗な女性に投げかけてみる。
「……ありがとう」
 はにかみながら、古橋は夜空に咲く大輪の花火のように、満面の笑みを浮かべてくれるのだった。

 

 あの出来事を振り返ると、今、胸を躍らせながら、俺が恋焦がれている女性、古橋文乃と並んで歩いていられることがうそのようだった。
……俺と都森が取っ組み合いをし、古橋が呼んだ警察が駆けつけ、ようやく都森はおとなしくなり、警察に確保された。俺に、強く強く強くしがみついてくれている古橋の体温が伝わり、それが彼女の無事を実感させてくれる。

 

「おまえたち、僕をどこまで馬鹿にしやがって…!許さない、絶対に許さ……」

 

「うるさいっ!!!!!」

 

 警察官に抵抗はしないまま、急に発声した都森の罵声に対して、そこにいる俺、都森、警察官皆がびくっとするほど、古橋は大きな声を被せた。

 

「人をほんとうに幸せにすることを考えたこともないあなたなんかに、成幸くんとわたしが負けるわけないでしょう!」

 

 続けて都森を大喝する古橋は、完全に場の空気を支配していた。

「この…!」

 都森は口を開きかけるものの、ぱくぱくと金魚が苦しい中で息を吸うように唇を動かすことしかできない。そして、強く警察官が立ち上がらせるやいなや、古橋と俺をすごい目で睨みつけながら連れていかれた。できれば今後俺たちと一生生きる世界線が重ならないことを、心から祈った。
 とはいえ……それだけですべて終わった…ではなかった。警察による現場検証に立ち会う必要や、調書の確認も多くあった。それに、俺の通院も必要で。診察してくれた医者からは、幸運だったね、と言われた。服装がある程度分厚かったこともあったし、しょせん専門医でもない者からの注射でもあり、麻酔の効き目が中途半端だったからだ。そこから1週間、念のため、ということで、俺もまた検査入院をすることになった。とはいえ、だ。古橋が、本当にずっと、その間つきっきりでいてくれたので、俺はちっとも寂しくなかった。
「研究の方は、大丈夫なのか?」
「大丈夫。PCさえあれば、どこでも研究はできるんだから」
 とも言ってもくれて。俺は古橋に、さんざん甘えることに決めたのだった。
 そして、退院が次の日となった日。
「どこか、気分転換にでも行きたいな」
 かなりストレスのかかる出来事もあり。ようやくそれは落ち着いたものの、精神的な疲れは少し残っている。
「それじゃあ、いいところいかない?」
「いいところ?」
「そう。懐かしくて、大和撫子に会える場所」
 そういってにこにこしている古橋。そして、その古橋の笑顔を思い返しつつ、俺は今日の縁日に意識を引き戻した。

 

 さて、縁日。明るい鮮やかな、赤・黄・オレンジの看板や店構えの屋台が、ずらりと並んでいる。本来そこそこ間隔を取った通路なのだろうが、人が多いため狭く感じる。
 通路の上、最近では珍しくなった昔ながらの電球の光は、少しだけ時間を戻してくれているような錯覚をおこす。
 ちらり、と隣の美人、古橋文乃を見る。10年前も綺麗だったが。年を重ねて、大人の女性として、もっともっと綺麗になり、そして、俺の近くにいてくれる。

 

「……幸せだな」

 

 本音が漏れてしまう。心の真ん中にある、古橋への俺の気持ち。抑えられないから、言葉として形にもなってしまうのだ。
「成幸くん、何か言った?」
「いや、なんでも。あ、あのアメリカンドッグ、テレビで見たぞ!屋台だけど結構手が込んでいて人気なんだってさ」
 俺は話を逸らす。まだ、だ。古橋に、キスをしたことはあったけれど。言葉として、しっかりと、想いを伝えていない。今夜は、古橋とのデート。うってつけではないか。どこかタイミングを見計らって、しっかりと俺の気持ちを渡したいのだ。
「へえ、食べてみたいな!成幸くん、いこ!」
「おう」
 とはいえ、まずは腹ごしらえになりそうだ。早歩きになる古橋に、俺は小さく笑いながら追いかけるのだった。

 

「残念だったね、作り立てを提供するための切り替えのタイミングで、残り1本だなんて」
「いいよいいよ。古橋が食べらればさ」
 名物のアメリカンドッグ。何とか1本だけ入手することができた。何とか空いているベンチを見つけ、二人で腰掛ける。古橋は、手にしている戦利品と俺、交互に視線を向ける。


「どうした?」


「ふふ。はい、あーん♪」

 

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「!」


 古橋は、フランクフルトを俺の口に向かって差し出してくれていた。視線でどうぞ、と言ってくれている。嬉しくないはずがない。俺はありがたく頂戴すべく。

「はむ」 

 と一口。確かに、普通のフランクフルトよりも、ソーセージがジューシーだし、衣もさくさく。ケチャップも味がしっかりしていて、うまい。

「おいしい!」
 と素直に評価。
「じゃあ、次はわたしも……うん、おいしいねえ!」
 古橋も口にして高評価。俺たちはお互い顔を見合わせると、にっこりと笑った。
「いろいろ眺めているだけでも楽しいけど、やっぱり屋台のおいしいものを食べてると、縁日にきたんだって感じがするよ」
「ね。……あ、あそこのお店、手持ち花火セットが売ってるねえ」
「あ、本当だ。もうすぐ打ち上げ花火はあるみたいだけど。どうする、そっちを見に行くか?」
「……。成幸くん、一緒に線香花火、やってくれない?ふたりきりが、いいな」
 俺が好きな女性が、少し頬を赤らめながら、そう誘ってくれた。
「……古橋」
 うなずくしかなかった。俺は、どこまでも……彼女に、恋をしていたから。

 

第二十三章

 

 俺と古橋は、二人で花火をするには十分なスペースを見つけた。さっき花火を購入した屋台で貸してくれた小さなバケツに、水も汲んである。その隣に、空き缶を利用してろうそくも立てた。
「随分と久しぶりで、楽しみ。最後にやったのがいつか、思い出せないもの」
「俺も。意外と、意識しないとやらないもんな」
 古橋が、線香花火を手に取ると、ろうそくから火を点ける。俺も続く。少しだけ、静寂。そして。

 

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 パチパチ…パチパチパチパチ…。

 

 線香花火が、火花を飛ばし始めた。先端を中心に、暗闇の中で光が弾ける。眩いものの、攻撃的ではない。静かな、閃光だ。

 

「…きれい」
 と、古橋。小さく呟いた声はたぶん誰かに聞かせたいものではなく、独り言だろう。小さな光に照らされる彼女は……。

 

「…うん。綺麗だ」
 と、俺。その人は、夏の夜に咲く花だった。俺はその花に恋をしている。だから。素直に、何度でも、その想いを抱き続けるだろう。綺麗だった。

 

「あ…」


 少しずつ光は小さくなっていき…先端がぽとんと落ちていく。

「わかっていても、寂しくなっちゃうね」
「うん。花火のいいところだよ」
「寂しくなるのが?」
 古橋は俺の言葉を不思議がる。暗闇の中で、俺は古橋の質問に答えるべく、口を開いた。
「花火は、暗闇の中で輝く花、だろう?花は、一年中咲き誇っているわけじゃない。咲く時期が決まっていて、その時に輝く」
「うん」
「その花が枯れてしまったら……確かに寂しいかもしれない。でも、見た人の心には、寂しさの分だけ焼き付いていると思ってるんだ。目には見えなくても……大切にできる思い出になる」
 古橋は、真剣な表情で聞いてくれている。
「花火も同じ。寂しくなるから……より深く心に刻める。俺は今日のことも、忘れないよ。絶対に」
 ん、と自分のセリフを思い返す。
「……すまん。少し青臭かったな」
 と頬をぽりぽりとかく。
「ううん。さすが、学校の先生だね」
「いやいや。ごめん、花火を続けようか」

 

 再び、俺と古橋は線香花火を手に取る。

 

 パチパチ…パチパチパチパチ…。

 

「成幸くんは、これから先、どんな先生になりたいの?」

 

「親父みたいな先生、かな。親父の器がでっかくて、いつまでも追いつける気がしないけど」

 

 パチパチ…パチパチパチパチ…。

 

「あのね」

 

「うん」

 

 パチパチ…パチパチパチパチ…。

 

「追いつかなくて、いいんだよ」

 

「え?」

 

 パチパチ…パチパチパチパチ…。

 

「成幸くん『が』いいんだよ」

 

「わたしは、そのままのあなたを、ずっと応援しているから」

 

 古橋の言葉が胸を打った。まっすぐに…射貫かれた。どうして、目の前の、俺に笑いかけてくれている、きれいな女の子は。ここまで、俺を認めてくれているのだろう。

 

 ポトン、ポトン。

 

 火が消えた。

 

 再び、暗闇に戻る。

 

 俺は古橋の手から終わった線香花火を受け取り、バケツに落とす。小さく息を吐くと、古橋の左手をとった。

 

「あ……」

 

 お互い座ったまま、古橋の左手の指と…俺の右手の指とが、絡まりあう。そこにある存在を、指同士が、一つ一つ触れ、撫で、抱きしめあい、互いの存在を確かに感じていた。暗闇でも、わかる。お互いを見つめる視線が、少しずつ熱を帯びていくのが。

 

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「ごめん」

 

 これ以上…自分に理性のブレーキをかけ続けるのは不可能だった。俺は立ち上がると、目の前の古橋文乃の手を引いて立ってもらう。そして、乱暴にならないよう、だけど、想いをとどめておけない事実は伝えられるように……。ぎゅうっと、抱きしめた。1秒、2秒、3秒……。いや、時間の概念など、今この時は、無意味だった。すべてが永遠に等しい。気持ちの伝え方を、かえるべく。俺は、抱きしめる手を、そっとほどいて、でもすぐに古橋の手をとって、彼女の目を覗き込んだ。古橋もまた、俺を見つめていた。花火のように…闇を切り裂く火花が、ちりり、と見えた気がするほどに…身体が熱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「古橋文乃が、好きだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たくさん笑って。たまには怒って。少しだけ泣き虫で。星のことにまっすぐで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大人になって。強くなって。綺麗になって。支えてくれて。応援してくれて。ずっと、ずっとだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしようもないくらい、俺は、古橋文乃を愛してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん、うん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドーン!ドーン!!

 

 その時、空気の振動が起こる。少し離れたところで打ち上げ花火が始まったようだ。

 

 古橋の顔が照らされる。

 

 彼女の目からは、涙が零れていた。

 

「あのね」

 

「うん」

 

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「さそり座の中心に、アンタレスという赤く輝く星があるの。さそりの心臓といわれている。アンチ・ターレス…。火星と競争するもの、という由来もあると言われていてね」

 

 そこで古橋は、俺の手を取ると、自分の胸に手を当てさせた。俺の手を、古橋の白くて指が長い、美しい両手で抑え込まれてしまう。

 

「!」

 

 さすがに俺のことを好きだ言ってくれた女性だからとはいえ、このシチュエーションは……!

 

「わたしの心臓、わたしのアンタレスだよ」

 

 どっどっどっどっ…。鼓動の大きさが確かに伝わってくる。大きくて、強い、波だ。古橋の顔も、そしてきっと俺の顔も、真っ赤だ。

 

「火星は、戦いの女神を模しているともいわれている。わたしは、それに負けないの」

 

「わたしも、戦えるようになった」

 

「誰にも、成幸くんへの想いで負けないように」

 

 

 

 

 

 ドーン!ドーン!!ドーン!ドーン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界で一番、わたしがあなたを愛してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、花火に照らされる、愛しい女性が、たくさんの色で輝いていた。言葉では表現できないほどに……ただ、ただ、綺麗だった。

 

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「古橋……」


 口の中がからからに乾いていた。それほどに緊張していた。おかしな話だが……。


「?」


ん、と思う。俺が呼んだ名前を聞いて、古橋が伏し目がちになり、首をゆっくと横に振ったからだ。

 

「古橋のままだと……いや」

 

「!」

 

 なんてストレートな、そしてうれしい、我がままだろう!これは、もう一つの、『女心』の最終試験だ。俺は、一つ深呼吸をして。そして、その言葉を大切に、丁寧に、口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文乃」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はい……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドーン!ドーン!!ドーン!ドーン!!パララ、パララ……。

 

 俺が初めて呼んだ彼女の名前。空に咲く光のシャワーに祝福されながら、その人は、古橋文乃は、それはもう……幸せそうに笑ってくれた。宝石のように煌めく涙が、頬を伝っていた。

 

「文乃」「成幸くん」

 

 お互いがお互いの名前を呼ぶ。にっこりと笑顔を交し合い、そのまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『愛してる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つづけた想いの形は、重なった。幸せの、入り口。決してこの単語だけがすべてではない。それでも、想いあった俺たちが交し合うものとして、これ以上最短で包みあえる言葉は存在しない。

 

 俺は、包み込んでくれていた彼女の手からそっと自分の手を外し、そのまま想い人の肩に手をやる。

 

「誓うよ」
 と俺。

 

「はい」
 と文乃。

 

 何を、とは聞かれなかった。完全に心が重なっていたからだ。

 

 文乃が、綺麗な瞳に、瞼を被せ、目をつぶる。俺は、薄くきれいな朱色で彩られた彼女の唇に、そうっと、自分の唇を押し当てた。離したくない。永遠に続け。……この時の感情、なんといえばいいのだろうか。ついさっき言葉で交し合ったのに、足りないのだ。全然、足りないのだ。足りなくなって、しまうのだ。

 

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 「……ん……!」


 「んんっ……」


 二回目のキスが、三回目のキスになる。三回目のキスが、四回目に。そして、そして……。

 

 俺も文乃も、もう、互いの想いが重なり合いすぎていたから。心がつながっているから。足りないものも一致していたのだ。想いを伝える行為の速度だ!

 

  ドーン!ドーン!!ドーン!ドーン!!ドーン!ドーン!!ドーン!ドーン!!

 

 意識の隅で花火がフィナーレなのだろうな、と一瞬だけ想い、すぐさま放り投げる。全部の感覚を文乃に使いたいから。熱い口づけは続く、それこそ永遠にだってちっとも構わない。

 

 俺と文乃は、こうして、10年もかかったけれど、星と、花火の祝福のもと、結ばれたのだった。

 

(最終回へ続く)

 

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