【はじめに】
「だめだめだあ……」
また、納得のいく写真が撮れなかった。現像したものを眺めて、思わずため息。
僕、月島光平は天花大学の写真部に所属している。星の写真が専門なのだが、たまに人物写真も撮る。だけれど、最近の僕はスランプなのだ。
賞をとるほどの腕前があるわけではないけれど、天文写真にうるさい大学の中でも、一目置いてもらっていて、それなりに日々充実していたのだが。
「感動が足りないんだよなあ」
そう。
どうも安定した、だけど平凡な日々に、感性が慣れ切ってしまったようで、一瞬を切り取る鋭さがなくなってしまっている。
どうしたものか。僕の悩みは深いのだった。
【第一章】
「古橋先輩?あの天文学専攻で一番ファンが多いあの人?アポがとれたって、冗談だろ?」
「ほんとだって!今度新聞部のインタビューがあるんだけどさ。写真を撮れるカメラマンを探しているみたいで」
「うーん」
今のスランプの状態を考えると、いい写真が撮れるとは思えなかったが、古橋先輩には見てみたい、という野次馬的な気持ちはあった。僕の身の回りでも、彼女に片想いしている輩は何人かいて。そいつらに自慢できるネタにはなるかと思い、いいよ、と引き受けることにしたのだった。
僕は男の中では背は低い方だ。160センチと少ししかない。だから、自分より背の低い女の子のほうが好みだ。そして、胸は大きい方がいい。さらに、綺麗系よりは可愛い系が好きだ。なんの話かと言えば、身長が僕より高く、胸のサイズがだいぶ控えめで、綺麗系な古橋先輩は、僕の好みではない、ということ。
それでも、いざ彼女を目の前にすると、うならざるを得なくて。確かに、目を見張る美人だ。紺のブラウスに、黄色のスカート。艶のある長い髪は二括りにしてある。
「今日はよろしくお願いします」
「はい。あの、事前にお願いしていた通り、プライベートな質問は答えないし、そうなったらもうお話はできない、ということでいいですよね?」
「ええ、もちろんです」
よく話を聞ける機会がつくれたな、とは思っていた。入学当初からいまに至るまで、絶大な人気を誇る彼女。いろんな口実をつくって話をしたがる男は数知れず。その中には、新聞部のインタビューを偽って語る輩もいたようで。今回は、天文学専攻の仕切り役と仲の良い新聞部の部長が頼みに頼んで、ようやく実現したもののようだった。
「あの、一枚だけ、写真を撮らせていただいても?」
「まあ。事前にお話は聞いてましたから、どうぞ」
警戒感からか、緊張からか、少しだけきつい印象があり。そういう写真になっちゃうかもな、そう思っていたのだが。
さてさて、どうなることやら。
【第二章】
『後輩に伝えたい天文学の魅力』、というテーマで、星の魅力を自由に語ってください、というものだったが。
冷たい印象はどこへやら、星を語り始めた彼女は、本当にイキイキしていた。
「冬は日没が早いので、星を見やすい時期なんです。オススメです。星座というのは、いろんな楽しみ方があるんですよ!実際見つけることはもちろん楽しいですし、星座にまつわるエピソード、物語を少しずつ拾っていくのも、より愛着が湧きますね!そういう意味では、冬の大三角形や、オリオン座といった基本的な星座を基準にするのがいいと思います!私はシリウスが大好きで……」
怒涛の語り。インタビュアーの相槌が追いつかないくらいに。
僕は、そんな彼女の表情を、レンズ越しに追いかけていたのだが。柔らかな雰囲気。優しい笑顔。好きなものに対する情熱。ただでさえ美人でカメラ映えするのに。これだけの要素が加わって。無意識だった。話の途中、ふとした瞬間に、シャッターを押した。今思い返すと、未熟ではあるものの、一カメラマンとしての僕の本能が押してくれたのかもしれない。
それから彼女のインタビューは無事終わり。写真は記念に渡すことになった。にっこり笑って、ありがとう、さようなら、と言う古橋先輩は。控えめに言っても、輝いていた。
「……良かった」
後日、現像した写真を見て、僕はホッとしていた。なんとか、古橋先輩の魅力を損ねないものになったからだ。そして、スランプを抜けたような気もしていた。星への情熱を語る古橋先輩は、とても素敵で。それに引っ張られるように、写真を撮る楽しさ、大袈裟に言えば情熱、みたいなものを思い出させてくれたからだ。
さて。
この一枚は、古橋先輩に渡すことになっていた。どんな感想をくれるのだろうか。会えることにワクワクしていることは否定できなかった。
【第三章】
「あの、こんにちは〜」
「ああ、月島くんか。何のよう?」
「古橋先輩に、この前の写真を渡しにきたんですけど」
天文学専攻の研究室を訪ねた。学部生の僕にはあまり日頃馴染みのない場所であり、緊張しながらだったのだが。
「今日は……そうか、確かお客さんが来てるはずだ」
そう言うと、その先輩は含み笑いする。
「『銀星珈琲』、知ってる?」
「ああ、西門の近くの喫茶店ですよね」
「そこにいると思うよ、覗いてみたら?」
早く渡してあげたい気持ちもあり。寄ってみることにする。ぺこり、と頭を下げて立ち去り間際。
「ショックを受けないようにね!」
そう、謎の声かけをされて、僕は首を傾げながらお店に向かうのだった。
『銀星珈琲』は、天花大学の学生御用達、特に天文学専攻の学生がよく立ち寄るお店だ。ケーキも珈琲も絶品で、しかも値段も安いときてる。僕も何度か行ったことはあるので、迷わずに到着。
「あ、ふるは……」
古橋先輩が、ちょうど店を出たところで、声をかけようとした、その時だった。一緒にいる人がいて。
「今日のチーズケーキも、美味しかったよ。また連れてきてくれてありがとう、文乃」
「だよね!成幸くん、たまにこっちまで来てくれてありがとう。ごめんね」
「いやいや。帰り道みたいなもんだし」
古橋先輩、と。同い年くらいの、男子学生。見たことはない。しかし、それにしても、親密そうで。これはまさか、と思った瞬間、2人は手を繋ぎかけて。
あちゃあ、これは……。そして、同時に、『ショックを受けないように』という忠告を思い出す。ははあ、こういうことか。
「あ、月島君!」
そこで、古橋先輩が僕に気づいて声をかけてくれた。
なんとも複雑な気分であり、これこそ、間が悪い、というやつではあるが。
「あの、古橋先輩。この写真できたので、渡しにきました」
「あー、あの時の……。わあ、上手に撮れてるねえ。ありがとう!なんだか恥ずかしいや。成幸くん、ほら、見て?」
「おお……。写真の腕がいいと全然違うんだな。実物よりも綺麗じゃないか?」
「もう、成幸くんってば」
古橋先輩は照れてくれる。が、なんだこのいちゃいちゃ具合は。
上手に撮れてる、か。嬉しい台詞のはずなのに。そんなシチュエーションなので、今の僕は、どうにも素直に受け取れず。
なんとも、挑発的な提案をしてしまったのだ。
「隣の男の人にも、先輩の写真、撮ってもらってくださいよ」
【第四章】
「え?」
と驚く古橋先輩。
「僕のと、その人の撮った写真と。どっちが古橋先輩を撮るのが上手いのか、比べてみましょうよ」
「いやいや、俺は素人だし、敵うわけないよ」
そういって男は慌てる。
「古橋先輩の隣にいるっていうことは、『そういう』関係ってことでしょ?言い方を変えれば、証明してくださいよ。そうだ、って」
「できないわけ、ないですよね」
我ながら、随分挑発的な言葉を並べたものだ。隣の男は、多分いろいろ言いたいことはあったのかもしれないが。証明してくれ、のくだりでかなりムッとしたようだ。
「……わかった。今度、文乃……この子の写真を撮ってくるよ」
そんな経緯で。僕とその男で、古橋先輩の写真勝負!と相なったのだった。
「成幸くん、どうして引き受けちゃったの?」
わたしは珍しく熱くなっていた成幸くんが少し心配。あの後、カメラの性能の差にされてはたまらないから、といって月島君が中古だから気にしないでといって、本格的なカメラや三脚など、成幸くんに押し付けていった。
「文乃との関係を証明しろって言われたら。乗らないわけにはいかないよ」
「……ただでさえ、不釣り合いだって、よく疑われるわけだし」
そう言う成幸くんは苦笑い。両手でいろんな荷物を抱えていて、今は手を繋げないのが寂しい。
「わたしの恋人は成幸くんだけなんだから、胸を張っていてくれたら、それだけでいいのに……」
そう呟く。
「でもさ」
「うん」
「文乃の写真を撮るのは楽しみかも」
「成幸くん……」
屈託なく笑う成幸くん。確かにそれは少しだけわたしも楽しみなのだった。
「美人に撮ってよね」
そう言って、照れ隠しもあり成幸くんの背中をぽんぽん、と叩くわたしなのだった。
【第五章】
「文乃ー、表情がかたいぞー」
「ごめんね、なんだか緊張しちゃって……」
次の日は週末で、幸いバイトもお互いなくて。俺たちは早速写真の撮影会に挑戦していた。昼間に窓ある部屋がいい、ということで、日当たりの良い文乃の部屋にした(ついこの前から実家を出て一人暮らしになっている)。
文乃は気合いの入った服装にしてくれていて。お気に入りのレモン色のワンピースに、白の薄手のカーディガン。うん、贔屓目に見ても……可愛い。とても、だ。なかなか出会えるレベルの美人では、無いと思う。俺の彼女、であるけれど。確かに、証明しろ、と言われても仕方ないのかもな、と苦笑いする。
さて。ネットで、素人 写真 上手に撮る方法、などみて予習はしてみたものの。
モデルである文乃の表情がいつものような柔らかさがないのだ。
「なんだろう……成幸くんに、じいっとみられてる感じがして、恥ずかしいんだ」
そういって文乃は照れている。そんな言い方をされると、カメラ越しだが俺も急に気恥ずかしくなる。
「べ、べつに俺だって下心があるわけじゃないぞ」
「成幸くんの、エッチ!」
そういって、文乃が顔をあからめながら笑ってくれる。
俺はつい視線を泳がせて、文乃の部屋を見渡してみた。家具のセンスがよくて、居心地のいい部屋だ。そこで、文乃の勉強用の机の目の前のコルクボードに目がとまる。
「あー、新しく2人の写真飾ってくれてるのか」
引っ越しを手伝った時にはなかったが、そのあとレイアウトしたらしい。
「もちろん!えへへ、やっぱりね、嬉しいんだよ」
「この時の旅行、楽しかったよな」
「ね!高原のホテルで、夜中に星を見に行ったよね」
「ご飯も美味しかったんだよねえ。デザートの木苺のパイも絶品で、わたし舌が幸せだったなあ」
他愛もない雑談なのだが。それはまぎれもない2人の思い出にまつわるもので。俺の心には、あたたかい灯がともされたようだった。文乃も、いつのまにか柔らかい表情をしていて。
「文乃、そのまま」
「……はあい」
いまなら、文乃らしさが撮れる。そう確信して、俺はシャッターを何度か押したのだった。
【おわりに】
「それで、写真は撮れたんですか?」
「はい。専門店で打ち出してきました。これ、です」
古橋先輩の隣の男。少し緊張気味に、彼が撮ったという、古橋先輩の写真。目にする。
「これ、は…………」
構図は素人。余白の使い方も下手くそ。だけど。
被写体に向ける眼差しが、優しい。被写体がこちらに向ける眼差しが、柔らかい。そこには……愛があった。僕はまだわからないけれど。それでも、十二分に伝わる、愛、そのもの。
最初から、勝てるわけはなかったのだ。
「完敗、です」
そういって、精一杯の笑みを浮かべ、僕は敗北宣言をしたのだった。
古橋先輩とその彼氏に、僕は貸していたカメラと道具一式を押し付けるようにプレゼントした。
「大切な彼女さんでしょうから。たくさんの『綺麗』を撮ってあげてください」
「……ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
だいぶ押し問答はあったが、最後には彼氏が受け取ってくれた。
冷静になってみると。これ以上古橋先輩とお似合いの彼氏はいないんだと思う。写真の、恋する瞳が、それを裏付けていた。
「やんなるよ、ほんと……」
認めたくはないけれど、僕もそのほか大勢と同じように、古橋先輩に恋をしてしまっていたのかも、しれない。2人を見送るとき、胸に刺さるような感覚は、失恋のそれだから。
「愛、か」
いつか、僕も見つけたいと思った。いい写真が撮りたいのはもちろんだし。何より、幸せな2人がうらやましくもあったから。
愛について、もっと知りたい。そう思うようになった僕が写真展で受賞し始めるのは、もう少し先のお話。
【おまけ】
わたしは、にこにこしていた。
成幸くんと月島君の写真対決の時に成幸くんが撮ってくれた写真を、手に取っていた。
美人だ、というのは冗談だけど。
そこには、好き、をたくさんもらっていることが感じられる女の子が写っていたから。
今度は、あのカメラで、わたしも成幸くんの写真を撮りたいな。
そう思うのだった。
(おしまい)