【はじめに】
俺は古橋文乃を愛してる。
世界でいちばん、愛してる。
綺麗な長い髪が。
他愛ない話をしている時の笑顔が。
くるくると変わる魅力的な表情が。
たまに寂しがり屋で甘えてくるところが。
抱きしめると折れそうな華奢な身体が。
キスするときの照れて幸せそうな顔が。
夢に向かって今もなお、頑張る姿が。
その全てを、愛してる。
たいして体力がなく、酸素が足りない脳でそんなことを必死に考えながら、俺は走る。
今日、この気持ちのまま、文乃に逢いたい。1秒でも、早く。
【第七章】
「落ち着いたか」
お父さんは、天体望遠鏡を持ってきてくれていた。ようやく泣き止んだわたしに、星の見える時間だから屋上で眺めてくるといい。そういって、屋上まで運んでくれた。寒いので、コートとマフラー、手袋と、完全装備だ。
「冷える。大丈夫か」
「大丈夫だよ、お父さん。ありがとう」
「私は静流に会うまでは、星を見るなんてことをしたことがなかったが、静流がその面白さを教えてくれたよ」
今日、お父さんはお母さんについてたくさん話してくれる。そこには、確かな愛が感じられて。
ああ、お父さんは、お母さんと出会えて、一緒にいられて、本当に幸せだったんだ。そのことが、とても伝わってきて。
わたしは、自分の浅はかさに恥じ入った。
お父さんは、少し用があるといって降りていった。わたしは一人になる。
今日も、星は静かに語りかけてくれるようだった。病院は、町から少し離れた山あいにあるので、空気は澄んでいて。はっきりと見ることができた。
成幸くんと最後に会った時も…星を見上げていた。わたしとお母さんを結ぶもの。わたしと成幸くんも結ぶもの。星は、わたしにとって、本当に特別なものなのだ。
星は綺麗。
わたしは…泣き虫だから。もう泣き尽くしたと思った後でもなお。涙が零れそうになる。
成幸くんに、逢いたい。
その時だった。
「文乃っ……………!!!!!」
そんなに時間が経過したわけではないのに。懐かしくて。何より、愛しくて、愛しくて、愛しい彼の声が、聴こえた。
【第八章】
バス停まで全力で走り、息も切れ切れの状態で、なんとか病院行きの最終便に乗り込む。まだかまだかと気持ちが急く。病院の手前でばたばたと降りた。
時刻は、19:45。
面会は20:00までなので、滑り込んだようだ。あとは、文乃の親父さんの情報のあった部屋に駆けつけるのみ。急いで病院の入り口に差し掛かると。
文乃の親父さん、古橋零侍さんが、いた。
「来たか」
「はい…場所を教えてくれて、ありがとうございました!いまから、文乃さんのところに、いってきます」
俺は息を切らしながら、答える。
「待ちなさい、唯我成幸君。君は私に用はないかもしれないが。私にはある」
声が…冷たく、厳しかった。
「端的に伝えておく。娘は…文乃は、命を落とすかもしれない病にかかっている」
「そんな文乃のところに。君は、何をしにきた?」
「…!!!…」
病院にいるということ。いい予感はしていなかったが…それでも。かなりショックだった。でも、俺は、引けないのだ。
「…そうだったんですか…驚いてもいます、動揺だってしてます…だけど」
「だけど?」
「俺はお医者さんではありません。カウンセラーでもない」
「俺は、俺ができることしか、できません」
「この前、文乃に振られたんですよ。だけど俺、要領悪いし、諦めも悪いから」
「支えたいって。ずっと、ずっと、支えたいって、伝えたいんです」
「古橋文乃『が』いいんです」
「未熟なことはわかってます。こんな答えで、文乃の病気を治せるわけじゃない。それでも」
「一緒に、悩んで、辛かったり悲しい気持ちを分け合いたいんです。それが、俺にしかできないことだと思ってますから」
「…そうか。面会時間はあまりないな。文乃は、いま屋上にいる。行きなさい」
俺はぺこりと頭を下げると、その場を後にする。
「文乃が決めることだ。見守ろうか…静流」
そう呟いて、夜空を見上げた零侍さんの姿は、俺にはもう、見えなかったのだった。
面会時間が終わりかけだからか、エレベーターは混んでいた。俺はそれが待てなくなり、階段を使う。病院の中だ、走ってはいけないことはわかりつつ…急ぎたくないわけがないから。屋上に近づくにつれ、駆け上がってしまう。体力ないな、と我ながら嫌になり、ぜいぜい息を切らしながら、なんとか到着する。小さく息を吸い、吐くと、扉を開ける。
見つけた。
見つけた。
見つけた。
愛してやまないその人を。
「文乃っ……………!!!!!」
名前を呼ばずにはいられなかった。
💫💍【第九章】💫💐
そこには、成幸くんがいた。
一瞬、どうすればいいか混乱する。
でも。
でも。
それでも。
目の前でぜいぜいはあはあ、息を切らしているのは、間違いなく、今だってもちろん、大好きで、大好きで、大好きな、成幸くんだった。
「…うわっ」
よほど慌てて走ってきたのか、足がもつれてしまい、わたしの目の前で転んでしまった成幸くんが、慌てて立ち上がろうとして、わたしは咄嗟にその右手を手に取る。
『あ…』
二人の声が重なる。
「文化祭の…」と成幸くん。
「ジンクス、みたいだね」とわたし。
結ばれる。
それが、叶うものなのか、どうか。
成幸くんは、立ち上がらない姿勢、膝をついたまま。
わたしと成幸くんは、見つめあっていた。
わたしは、成幸くんのことだけ、考えていた。目の前にいる、愛しいその人のことを。それなのに、一度は、わたしが別れを告げた人。
わたしが、世界で一番、好きな人。
成幸くんは…少し濡れた瞳のまま、静かにわたしの目を見ていて。
お互いの手と手の熱は、確かに、お互いの想いを繋いでいた。
「あの」
「は、はいっ!」
成幸くんの言葉にびっくりして、慌てて間の抜けた返事をしてしまう。
「…古橋、文乃さん」
「…はい」
成幸くんは、優しく笑いながら、わたしの名前を呼んでくれて。わたしは今度は落ち着いて返事をした。
「あなた『が』好きなんです」
「朝起きて。飯を食って。仕事をして。家に帰って。寝てる間だって。何回寝て、何回起きても」
「ずっと…ずうっと…」
「あなたが、俺の心の真ん中に、いてくれるんです」
「俺は。器用じゃない。要領も悪い。だから。振られたくらいで、この気持ちを伝えないわけにはいかなくて」
「だから」
成幸くんの瞳の力が…より一層強くなる。
『俺の永遠の愛を、あなたに誓います』
わたしの目から、一筋、涙が溢れた。いや。一筋だけでなくて。次々に、涙は流れ続けて。
それでも、伝えなきゃいけない、2文字の言葉を、わたしは精一杯紡ぐ。
『はい』
成幸くんは…心の底からほっとした表情を浮かべて、立ち上がると。
泣いているわたしを、静かに。
優しく。
丁寧に。
抱いて、包んでくれた。
わたしは、成幸くんの胸に顔を預ける。居心地が良い、彼の隣に、わたしはいる。今だけでない。
ずっと、ずっと、続く未来へ。
いや、その先。永遠に、だ。
「文乃」
「…うん?」
しばらくして、わたしの涙が落ち着いた頃に。
「左手を、空に伸ばして…もう少し、右のほう…そう、そこ」
わたしの手に自分の手を重ねながら、成幸くんがなにかを探しているようだった。
「星を見て」
わたしは、空を見上げて。視線の先には…。
「冬のダイヤモンド…」
6つの1等星、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のリゲル、おうし座のアルデバラン、ぎょしゃ座のカペラ、ふたご座のポルックス、こいぬ座のプロキオン、を結んでできる6角形。
通称、冬のダイヤモンドと呼ばれる、星が織りなす宝石があった。
びっくりして。すぐには言葉が出なくて。
「悪い、指輪、今夜は渡せないけれど…」
申し訳なさそうにする成幸くんに、わたしは首をぶんぶんふる。
わたしにとって。こんなに素敵で、最高で、美しい指輪は、これ以上にあり得なかったから。
成幸くんと、見つめあって。
そのまま、キスをした。
「………ん」
「……んむ」
一回だけじゃ足りるわけなくて。成幸くんの首に両手を回して。
何度も、何度も、何度も。
この世界で一番幸せで、永遠の、キスを。
【終わりにその1】
看護師が慌てていた。文乃に病気を告げた医師に相談をしている。
「先生…!古橋さんがいないんですよ。そろそろ消灯なのに」
「…少し、散歩でもしてるんでしょう。大丈夫ですよ」
「そうですか…もう少ししたら、また探してみます。もう、無理したらいけないのに…」
「先生、すいません」
隣にいる零侍が、医師に頭を下げる。医師は、文乃が成幸と屋上にいることを知っているのだ。
「困りますね…といいたいところですが」
医師は真顔で続ける。少しだけ、表情が崩れたようにも見えた。
「若者たちの愛をこんなことで邪魔したくないですからね。ちなみに、古橋さん。がんの治療に効果的なものはなんだと思いますか?」
「…門外漢ですから。検討もつきませんが」
医師はそこで、にやりと笑う。その表情で、零侍は驚いたようだが。医師は続ける。
「生きようとする意志ですよ。お嬢さんは、きっと治ります。我々はベストを尽くしますから」
「…よろしく、お願いします」
零侍は、そういって、頭を下げた。
【終わりにその2】
「がんばりましたね、唯我さん。あとは経過を定期的に見ていく必要はありますが。ひとまず、安心してください」
「先生、ありがとうございます!」
俺と文乃は、先生にお礼を言う。
本当に幸いなことに、文乃の病気は治療の末ほとんど完治に近い状態になったそうだ。定期的な通院は必要なのだが、本当に安心した。
俺のプロポーズから3年がたった。
俺と文乃は結婚して、本当に幸せな生活をおくっている。文乃のために、俺はもっと頑張らなくてはいけないのだ。しかし、頑張る理由はそれだけではなく…。っと。携帯の着信音だ。
「母さん、どうした?」
「成幸、文ちゃん連れて早くうちに帰ってきて!幸乃ちゃん、ママがいないって大泣きなのよ!」
「…だって、文乃。急いで帰ろう!」
「だね。幸乃、まだお義母さんに慣れないんだ」
ふふ、と文乃は笑う。
そう、俺と文乃は女の子を授かり、子育てにも、懸命に取り組んでいるのだった。幸乃、と言う。文乃の次に、愛してる女の子だ。
「成幸くん」
「ん?」
どうした、と文乃を振り向く。
「愛してる」
文乃は…綺麗な笑顔で、まっすぐにその愛を伝えてくれた。
ばか、と俺は笑いながら言う。
「愛してるよ、文乃」
そう、返事をする。
俺の心の真ん中にある、最愛の星に、俺は永遠に恋をし続けているのだった。
(おしまい)