古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

或る人は[x]の新たな門出に寄り添い祝福するものである(中編)

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はじめに

 

 結婚式の盛り上がりどころ、というのがある。例えば、ベタではあるがヴェールアップからの誓いのキス、そして指輪交換の一連のシーン。新婦から両親への手紙を読むシーン。ほか、ファーストバイトだったり、ブーケトスだったり。いろいろと工夫を凝らす式場も多く、これ以外にも新しく提案されているとは思う。まあ、オーソドックスなものとしては、ということだ。

 私としては。式場に花嫁が父親にエスコートされて入場しようとする瞬間を推す。主役として、ウェディングドレスを身に纏った晴れの姿を初めて皆の目の前にさらすのだ。一番最初に空気が一変する瞬間であり……私たち裏方の頑張りどころの、一つの山場といっても大袈裟ではないくらい。今回の花嫁、古橋文乃さんの場合もそうなのだが、しかし。その輝きは、私の、いや、私たちの想像を遥かに超えてしまうものだったのだ。

 

第三章

 

 一般的には。キリスト教式では、チャペルにまずは新郎新婦の親戚や友人の皆様が席につく。その次に、新郎が入ってきて、祭壇の前で新婦を待つことになる。チャペルの扉が開かれ、そこに……花嫁と、花嫁の父親が共に現れて、バージンロードを歩きはじめる。扉が開かれた瞬間が見せ場、つまり、空気が一変する瞬間であり、歓声もあがり、祝福の声が一斉にかけられる、心温まるシーンだ。スタッフによっては、ここが一番好きだ、という者もいる。あるところまでは、いつもと同じだったのだ。まず、チャペル内に、新郎新婦の親戚・友人一同が入ってくる。新婦側の友人が、目を見張る美人揃いであること以外は、いつも通り。そして、新郎である唯我成幸さんが入場してくる。人柄が出ていて、優しそうな雰囲気は変わらない。身長があるので、タキシードも様になっている。感極まっているのか、確か彼の妹だっただろうか、号泣していて隣のお母様になぐさめられていること以外は、いつも通り。
 そして、いよいよ、だ。新婦の入場です!というアナウンスとともに、扉が、ゆっくりと開かれた。
 花嫁があらわれる。純白のウェディングドレスを身に纏い、父親にエスコートされながら。

 

 その時……音が消えた。全ての音が、だ。

 

 ゲストの息遣いや、身体を動かして服が擦れる音すら、聞こえない。その場にいる誰もが……彼女に声を奪われたのだ。息を呑む美しさ、という表現があるけれど……これこそ、だ。心さえも惹きつけている、恋する花嫁。

 

「……!?」

 

 そして、私は見た。ふたりきりの空間で、祭壇の前で待つ新郎と、扉の前からまさにいま向かわんとする新婦が、微笑みあった景色を。


 慌てて首を振る、そんなばかなことはない。ヴェールをしているのだ、今新婦が新郎と見つめあえるはずは、ない、ないのだけれど、それが、彼らの心のつながりとして、周囲に広がっているのだとしたら……?……!
 頭の中から大至急でそんな考えを打ち消した。100%、式の進行のことだけ考えて。
「BGM!」
 小さな声で短くスタッフに伝える。原因はわからないが、入場曲が流れるまでにわずかな間があいてしまった。だが、スタッフもすぐに反応していて、私の言葉が届く前になんとかBGMーホルストの惑星より、ジュピターーが流れ始める。胸の鼓動が、早い。いつもよりも緊張している自分を認めつつ、なんとか、このいつもと違う暴れ馬のような式をいつもの軌道に乗せようと、自分を落ち着かせるのだった。

 

⭐️

 

 荘厳なBGMの中、花嫁とその父親が、ゆっくりと新郎の待つところまで進んでいく。常であれば聞こえる、祝福の声や、カメラのシャッター音、花嫁を褒めたたえるおしゃべり、そういったものが一切聞こえない。

 その場にいるほぼ全員が、花嫁を見入っていたからだ。魅了されている。花嫁の、新郎への恋の熱も含めた美しさに。ヴェールに覆われて、その表情は見えないというのに!

 私たちスタッフは粛々と動き回っているとはいえ、これははじめての経験で、戸惑っていないといえば嘘になる。すさまじい花嫁の引力だ。正直、異様とすらいえるシチュエーションではある。演出ですら、このある種の緊張感を引き出すことは無理だ。
 古橋文乃さんが、唯我成幸さんのもとへと一歩ずつ進む。その度に、空気が張り詰めていく。どくん、どくん……。彼女の高鳴る心臓の音だけが、その場に響き渡っているような錯覚をまたしても起こす。
 いよいよ、花嫁と父親が、新郎の正面に立つ。父親が、新郎に小さくうなずくと、新郎は一呼吸おいてうなずき返した。そしてー。
 花嫁は、そっと左手を差し出す。常ならば、右手、なのだろうが、ここは左手がいい、というめずらしく強い希望があったのだ。差し出されたその手を……新郎が、優しく受け取る。
 新郎がその人柄通り、柔らかく笑っていた。おそらく、ヴェールの下で、花嫁も。
『お待たせ。逢いたかったよ、成幸くん』
『文乃、待ってた。似合ってる。綺麗だ』
『ふふ。ありがとう』
目と目を交わすだけで、そんなやりとりをしている。私は確信に近く、そう思った。会場の皆にも、伝わっているかもしれない。
 ふーっと、小さく息を吐く。いつまでも気圧されているわけにはいかない。もはやこれは、私たちスタッフと新郎新婦の真剣勝負になってきた。やるかやられるか、だ。場に一番そぐわない決意をし、私はこの式で最も見せ場になる演出をするための指示を、スタッフにとばすのだった。

 

第四章

 

 文乃は、私、古橋零侍と妻、静流の一人娘だ。小さい頃から、思いやりのある優しい子だった。しかし、およそ10年間。静流が早逝し、私が自暴自棄になっていた時、理不尽に文乃に手をあげてしまった。結局、文乃が七歳の頃から高校三年生になるまで、私と文乃の関係は冷え切っていた。断絶されていたと言っても過言ではなかったのだ。修復のきっかけは、文乃の進路をめぐってのやりとりと、静流が生前撮っていた、私と文乃宛のビデオレターだった。文乃の星への情熱。そして、静流の文乃への愛。それが、不器用な私と文乃を再び結びつけてくれたのだった。
 文乃が私と向き合ってくれた背景には、ある男の存在があったようだ。唯我成幸、という。文乃の同級生であり、そして。文乃の、夫になろうとしている。
 私がどう思っているのか?……まずは苦笑いするしか、ない。男親の目の前で、文乃を自分の家に連れて帰ると宣言したり(理由はあったにせよ)。ある冬の日には、なぜかトラックの荷台で文乃と肩を寄せ合っていたり。さらには、怪我をした文乃をサポートしたいと言っておしかけてきたり。いずれもまだ、彼が高校生の頃のエピソードだ。
 一人娘の周りに常にいる男。文乃が当時からまんざらでもないこともまた、朴念仁の私ですらわかる有様だったにせよ、面白いはずがない。
 それでも。文乃は、彼と交際しているのだ、と照れながらもとても嬉しそうに報告してくれた。大学生になってからも、時たま、成幸くんとこんなところにデートしてきたよ、と明るい笑顔で教えてくれた。卒論で忙しそうな文乃を気遣うと、どんなに辛くても、成幸くんがいるから大丈夫!と力強く宣言もしていた。
 そう、文乃は……唯我君に支えられながら、眩い輝きを放っていたのだ。
 ふたりが、結婚する、と挨拶にきた時のことだ。私は、娘を頼む、と彼に頭を下げた。彼以外に、誰が私の愛する娘にふさわしいというのか。きっと、静流もその場にいてくれたら、同じように答えてくれたと思う。

 

⭐️

 

 結婚式の前日。連絡もよこさずに、文乃がふらっと家にきた。つい先日から、文乃は唯我君と同棲を始めていて、式の準備で大変だとは聞いていたのだが。玄関で話をして終わるのもどうかと思い、家にあげ、リビングにこさせた。文乃が手際よく紅茶とクッキーを用意してくれる。
「今日はどうした。忙しいのだろう」
ふふ、と文乃は小さく笑った。
「気分転換にね、散歩しにきたんだ。お嫁にいく前に、懐かしい場所を見ておきたくて」
「……そうか」
少し間があく。お嫁にいく、という言葉が、少し空気を引き締めたように感じた。お互い、黙って紅茶を一口すする。
「昔、お父さんの背中をよくお風呂で洗っていたこと、覚えてる?」
ふと、文乃がそんな話を持ち出した。
「それは随分昔だな……覚えている」
懐かしいものだ。まだ静流も元気な頃で、文乃が小さい頃はよく一緒に風呂に入っていた。ある時、私が文乃の体を洗っていると。
『おとーさん、わたしもおとーさんをあらってあげる!』
『……では、背中を頼もうか』
『わかった!……せっけんつけて……よいしょ、よいしょ……』
 そう、小さな手で、泡でいっぱいのスポンジを懸命に動かし、私の背中を一生懸命洗ってくれていた。
「……大きくなったな」
「当たり前でしょ、もう25歳なんだから!」
そういって、文乃はにっこり笑った。そこで、少し文乃が迷ったような表情をする。言うか言うまいか、だろうか。だが、何かを決めたようだ。


「お父さん」


 文乃は真剣な表情で私を見ていた。いつぞや、私と10年ぶりに向き合って、自分の夢を語った時のように。


「わたしね。お父さんと、お母さんの娘で、よかった」


「………………!」
思わぬことを伝えられ、とっさに言葉がでない。


「お父さんは、不器用だけど、ずっとわたしのことを大切に思ってくれていた……」


   少しずつ、文乃が涙ぐみながら、それでも伝えることはやめない。


「お母さんは……っ、死んじゃう……、直前までっ……っく、わたしを、応援してくれて、いた……」


  だから、と続けて。

 

「わたし、ふたりから、ちゃんと愛して……もらって……いたんだ、なって……」

 

っ……ひっく……と、文乃の大きな目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。

 

「ありが、とう……」

 

 そう、文乃は泣きながらも笑顔を無理やりつくっていた。
 私は、何も言えなかった。天を仰ぎ。流れ始めた涙をおしとどめようとしたが……。できるはずがなかった。
 文乃に手をあげ、それは文乃の幼い心にどれだけの傷を負わせてしまったのか。10年。10年だ、決して短くない期間、娘を独りにし、遠ざけてきたこの私を。人並みに父親として振る舞えなかった、この私を。
 文乃は、愛してもらった、と。ありがとう、と。そう言ってくれたのだ。あらためて、文乃の優しさに……驚く。
 しばらく、私と文乃の泣き声だけが、部屋に響く。ようやく、お互いが落ち着き、私はゆっくりと口を開いた。

 

「私は不出来な父親だった。しかし……望んでしまうものだ」

 

 一息ついて、私は文乃を正面に見据える。

 

「幸せになりなさい」

 

 できるだけ、表情を柔らかくしたいとは思ったが、うまくできたかどうかは、わからないまま。

 

「今更父親面すら自分勝手さを許して欲しい。唯我君は、信じるに足る男だから」

 

 文乃は再びこぼれ落ちはじめた涙をぬぐいながら、大きく、何度も、何度も、何度もだ、うなずいていた。

 

⭐️

 

 そんなことを思い返しながら、静寂の中、私と文乃はバージンロードを歩き終えようとしていた。
 ここまで、か。小さく息を吐いた。
 私は、花嫁と組んでいた腕をそっとはずす。儀式的なものとはいえ。目の前に立つ新郎へ、世界で一番愛する娘を、託す。彼と視線が交わる、というか、ぶつかる。私は黙ってひとつ、うなずいた。伝えたいことは、それで十分だった。うなずき返した新郎を、私も信じている。唯我成幸君が、文乃を幸せにしてくれる、と。

 

『零侍くん、おつかれさま』

 

そう、静流の声が聞こえた気がした。

 

(後編に続く)