第一章
あたしは、天花大学の近くで喫茶店をやって40年になる。もともと、夫婦2人で切り盛りしていたのだが、5年前に旦那が死んでしまったので、今は一人でできる範囲でやっている。
あたしも旦那も星が好きだったので、天文学を学べる大学の近くで、楽しくやっている。若い学生たちの面倒をみたり、話をするのは、日々の糧、なんだと思う。
印象的な学生にも、時には出会う。賑やかなやつ、面白いやつ、星への情熱が素晴らしいやつ。多士済々だ。
今、あたしが気にしている子もいる。とある女の子。昔のあたしに似て……というのは冗談だが、たいした美人だ。ロングヘアで、髪型のアレンジが多い。整った顔をしていて、すらっとした体型だ。色も白い。服のセンスもよくて。何より、雰囲気がいい。
個人的なルールだが、あたしは自分から客に名前は聞かない。特定の客に思い入れを持たないように、だ。
ただ、その子の名前は知っている。その年の新入生が凄い美人がいると噂になっているらしく、聞きもしないのにあたしに教えてくれたからだ。
古橋文乃、というらしい。
嘘のような本当の話だが、彼女がうちに来て以来、売り上げがあがった、言い方を変えれば客が増えた。圧倒的に男子学生。
いつくるかわからない、彼女を目当てに、一目見たくて、あわよくば、話せないか、と思っているのがみえみえだ。いつになっても男という生き物は浅はかなものだ。
あたしにとっては願ったりかなったりだが。
「福の神か、招き猫か……」
そう思わずつぶやく。
第二章
さて、入学してから割とすぐに、彼女はうちに通うようになり。まだ、初めて来てくれた時のことは、記憶に残っている。
カランコロン。
「いらっしゃい。ん、一人かい?」
ちょうど人がいなくなる時間帯だった。そこで、美人のその子がおそるおそる、という感じで入ってきたのだ。
「あ、はい。あの」
「なんだい?」
「扉のドアに掛かっていたレリーフ、天秤座がモチーフですか?」
「おや、よくわかったね。あたしが天秤座だからさ。それくらいは好きにさせてもらってるんだよ」
「わたしも天秤座なんです!…おそろいですね、えへへ」
人当たりもよい。まっすぐな魅力がある子だね、と直感的に感じた。
店の奥の席を案内し。注文してくれたコーヒーとアップルパイのセットを持っていく。その子は興味津々、という感じでお店の中をキョロキョロしていて、にこにこしていた。
「わあ、美味しそう!コーヒーも、素敵な香り…」
「ふっふ、正直な反応、ありがとさん」
甘いものが本当に好きなのだろう。目をキラキラさせながらアップルパイを見つめている。
他の客も来たのでずっとその子を見ていたわけではないものの、ちらりと見るたびに幸せそうな笑顔を浮かべながらぱくぱくと食べてくれていて、その食べっぷりがよくて。ふむ、つくった甲斐があったね、とあたしも思わず笑ってしまったのだった。
「お会計、お願いします」
「はいよ。700円ね」
「あの、また来てもいいですか?」
「もちろん。お客さんはいつだって歓迎なんだから」
「他のケーキも食べてみたいし……コーヒーも美味しかったです!」
その子は、本当に目を輝かせていた。素直な子だ。
「そうかい、ありがとう」
なので、あたしもにっこりしながらお礼をいい。幸せだなあ、といいながらお店を出るその子を見送ったのだ。
第三章
それ以来、彼女は週に一度は通ってくれるようになった。上手に人付き合いもできているようで、友人とくることも多い。男とくることはまったくなくて。ふむ、高嶺の花だし。見合う男もそうそういないだろう。そんなことを思っていた。
そんな、ある日のことだった。
カランコロン。
「こんにちは〜!」
彼女がきた。でも、いつもより少し声が張り切っている。どうかしたかね、と思ったら、連れがいて。
「あ、こんにちは」
ぺこり、とあたしに挨拶をする。眼鏡をかけた、若い男性。おそらく、彼女と歳は同じくらいなので、大学生だろうか。
あたしも、長生きをしているほうだ。
『それ』くらいは、わかる。にやりと笑い、
「空いてる席に、といつもはいうところだけど。こっちにおいで」
そういって、普段は学生には使わせない、周囲からは見えにくい特別な席へ案内したのだった。
もう、一目瞭然だった。彼女が、その男の子に、恋をしていること。笑顔がいつもよりもずっと輝いていて、視線も熱い。幸せそうな雰囲気があり。
やれやれ、この2人を見て、何人の男が泣くのかね、と思うと笑えてきた。
注文は、2人ともコーヒーとアップルパイのセット。
「もう、本当にすっごく美味しいんだから!成幸くん、びっくりするよ!」
「文乃がそこまで言うのか。よっぽどだな!楽しみだよ」
そんな言葉を交わしていた。
ちょうど注文の品をテーブルに運んだ時だった。携帯の着信音が鳴り、彼女が男子学生にごめんね、というポーズをとりながら、店の外に出た。
「ありがとうございます」
そう言って、残った男の子があたしの目を見ながらお礼をする。
ふむ。この子がねえ。失礼ながら。彼女と比較して、同じレベルの容姿か、と言われると、そこまでではない。よく見ると、顔立ちは整っていて。性格は優しそうではあるが。
「あの、何か?」
おっといけない。視線がバレてしまったようだ。客に失礼だな、と思い、謝って立ち去ろうとした、その時だった。
第四章
「聞いても、いいですか?」
と話しかけられた。どうぞ、と首を縦にふり、先を促す。
「扉のドアに掛かっていたレリーフ、天秤座がモチーフですか?」
「……!おや、よく気がついたね」
驚いた。あの子と一緒のことを言ってる。
「はは……実は俺が気づいたわけではなくて。文乃が教えてくれたんです」
柔和な笑みを浮かべたその子は続ける。
「文乃は、このお店が大好きみたいなんです。いつも、嬉しそうに話してくれて」
「店主さんも、素敵だって。俺もそう思いました」
「……ありがたいところだけど。会ってまもないのに?」
少し意地の悪い言い方をしてみる。
「あの写真」
「ああ、あれのことかい。よく気がついたね」
それは、旦那との思い出の写真だった。
とは言え、目立つ場所に置いているわけではなかったのだが、気づいていたらしい。
「俺、親父を小さい頃に亡くしたんですけど。親父の写真は、笑ってるのばかりなんですよ」
「旦那さんの写真も、笑ってるのばかりで。幸せだったんだなって。そのパートナーの人が、素敵じゃないわけないじゃないですか」
そこで、あっ、しまった、という表情をする。
「すいません、いろいろ失礼なこと……」
「いやいや。どうぞ、ごゆっくり」
あたしは、不思議な気持ちになっていた。あたしの心の大切にしていることを、優しく包み込んでくれる。こんなことをできる男は、そうそういるものではない。
「あの子は男を見る目もあるんだねえ……」
電話から戻った彼女は、彼に笑いかけて。彼も笑顔でこたえていた。そんな幸せそうな2人を眺めながら、そう呟いたのだった。
おわりに
「お会計お願いします」
「はいよ」
いつもより長く滞在し、彼と彼女が帰る間際。彼氏が先に店を出た後で、ちょいちょい、と彼女を呼び止める。
「あれは、いい男だ。離しちゃダメだよ」
そう言って、ウインクをする。
そうでしょ、という感じで胸を張り、
「はい!」
そういって彼女は満面の笑みを浮かべたのだった。
あたしと彼女の関係は、店の人間と、その客でしかない。それ以上の関係を望んでいるわけでもまったくないのだが。
さて、次来てくれるのはいつだろう。
また、たまには2人で遊びにきて、幸せな姿を見せてほしいものだ。
今日もたくさんの学生たちを相手にしながら、ひいきをつくってはいけないんだけどねえ。と呟くものの。
あの素敵な2人のことは。あたたかく、見守ってあげたい。そう思ってしまうのだった。
(おしまい)