古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

煕煕攘攘たる祭に[x]は踊るものである(前編)

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はじめに

 

 12畳ほどのその部屋には、ほとんどものがない。

 一つの壁の側面がすべて大きなホワイトボードになっている。

 一人の白衣を着た女性がそれに向かってきゅっきゅっとすごいスピードで数字や文字を書きなぐっていた。
 背丈はそれほど高くなく、150センチあるかないか。髪の色は、金髪。瞳の形は葉っぱのようで、たれ目……そして、碧色だ。
「Xnは0……0≦a≦3と仮定すると不動点は容易に求められる……しかし、aが3を超えると収束せずに2の乗数周期になり……初期値の変化が想定できないほどの振れ幅となる……」
「これがカオス理論の基礎……天花大学の学園祭の入場者数は想定5万人。ひとりひとりの動きのパターンを数値変換して……」
「[x]に、この人の行動パターンを織り込んで……思考パターンの入力、引力と斥力のバランスを仮定した変数を設定……周囲への影響度を考慮して、1から10の幅をn乗する……」
 ぶつぶつ、と単語をこぼしながら、その手はとまらない。
『お嬢様、時間です』
 若い男性の声だ。部屋のどこかのスピーカーから聞こえているらしい。
「……瀧。ボクが声をかけてと頼んだ時間になったのかい?」
『はい。すでに予定就寝時間を15分過ぎています。シミュレーションの精度はもう十分高いものかと』
 そこで、ぽんっ、と電子音がなると……床一面に、一人の女の子の顔が表示される。
 こちらを正面からみたものではない、横顔だ。黒く長い髪を、ポニーテールにしている。透き通るような、といっても言い過ぎではないくらい白い肌。
 大きな瞳、それを縁取る長いまつげ。表情は笑顔で、その笑い方から、普段から表情が豊かなのだろうな、ということがみてとれる。
『この女性。お嬢様の研究の最後のピースになるのでしょうか』
「ははっ!そりゃそうだよっ!ボクが初めてみた、『ホンモノ』、なんだからっ!」
 その女性は満面の笑みを浮かべた。一転の曇りもない、正面から相手を照らすような、明るい、いや、明るすぎる笑顔で。
「フルハシフミノ。明日の『実験』が楽しみっ♪」

 

第一章

 

「明日は天花大学の正門のところに、11:00で待ち合わせでいいのか?」
「うん!うちの学園祭、美味しい食べ物の屋台がたっくさんあるから、一緒に食べ歩きしようね!」
「食いしん坊の文乃さんも太鼓判なのか、それは楽しみだな」
「どうせわたしは食いしん坊だよ!じゃあ、明日は全部成幸くんのおごりでお願いしちゃおっかな~」
 ふふふ、と電話の向こう側で、彼女…俺の最愛の恋人、古橋文乃が柔らかく笑っている表情が容易に想像できた。
「文乃が張り切って食べるのなら…全部は無理でも、最初の一品だけだぞ?」
華奢な外見に似合わずに、かなりの大食漢である彼女がおなか一杯になるまでだと、俺のバイト代がいくらあっても足りない。
 ……というのは建前。本当は、大好きな文乃のためなら、なんだってしてあげたいのだ。
「え、ほんと?じゃあ、一番わたしが期待している一品ならどうかな?」
と、俺の財布の事情もよくよく知っている文乃が助け舟を出してくれた。
「いいよ、喜んで」
それくらいなら、おやすい御用だった。
「半分こ、しようね」
 あーん、と、文乃に食べさせてもらえるのだろうか、とそんな甘い妄想をしてしまう。それは、正直、嬉しい。
「食べさせてあげるから、ね?」
「!」
 相変わらず、俺の心を読んでいるかのように、敏い彼女。いつでも俺は、かなわないのだ。
「成幸くんと一緒に学園祭、すごく楽しみだな」
 そう、弾むような声で、文乃が心底そう思ってくれていることが伝わってきた。俺の頬は、あっという間に緩んでしまう。
 ずっとずっと、好きな人、なのだ。付き合って3年半にあるけれど、その想いはずっと強まる一方だった。
「でも、学園祭の実行委員もずっと頑張ってたからさ。当日、大丈夫なのか?無理しないでくれよ」
「大丈夫だよ、一時間だけ、なんとか工面したんだ!みんなでがんばったのを、成幸くんにも見てほしいな」
 ただでさえ忙しい中でそんな役割も引き受けて、毎日へとへとだっただろうに、そんなことはおくびもださない彼女。
 尊敬できるひと、だと思うし……。そんな彼女のそばにいられることが、何よりも、嬉しい。

 

 さて、季節は、秋。俺と文乃は、大学三年生になっていた。
 これまでも二人ともそれぞれの夢をかなえるために、学業に真剣に取り組んでいたこともあって、かなり忙しかったのだ。
 しかし、大学学部生の後半になり、研究室に所属するようになるとお互い輪にかけて多忙を極めるようになってきた。
なかなかデートする時間もとれなくなってしまう中、久しぶりに二人でゆっくりできる機会が、明日なのだ。
 文乃が通う天花大学の学園祭、通称『輝星祭(きせいさい)』。
 都心でおしゃれな建物で、ファッションに気を使っている学生も多い。文乃には大きな声でいえないが、可愛い女の子が多い大学としても、都内の男子学生の中ではある意味憧れの場所になっているらしい。ということで、大学の同級生にはそこにいくだけでもうらやましがられた。
 じゃあ行けばいいじゃないかというと、天花大学の女子学生を彼女としていくことがステータス、なのだそうだ。
 俺がいまいち理解できない、という顔をしていると、同級生は一転険しい顔になり、唯我はまじで恵まれすぎている、おまえの彼女ずばぬけすぎているんだから。そう半分呪われるかと思ったくらい、陰湿な声で言われてしまった。
 たしかに文乃はぴか一の美人だ。俺が完璧に釣り合っているのか、と言われると苦笑いするしかない。

 さて、学園祭の話のあと、他愛ない雑談をして、文乃との電話が終わった後。
 俺は眺めるためだけのためにアカウントを持っている短文投稿サービスのアプリをを何気なく開いてみた。そうすると、なんと輝星祭がトレンド入りしていた。
 少し探ってみると、明日の輝星祭に彼女といくのだ、というアカウントがあった。それを面白く思わない人たちがかみついていて、そのアカウントもそれをスルーしていればいいのに、非モテはすっこんでろ、とのコメントや、人生無駄に生きているんですね、など返信してあおっていることもり、それでプチ炎上をしているようなのだ。あらら、やっぱりSNSは怖いな、と思っていたその時。とある短文が目に入る。
『宣言。明日、天花大学の学園祭に乱入。荒らしてやる』
 アカウントは初期設定のもの。この発言をするためだけにわざわざ開設したようだ。どうせ冗談だろうが、それにしてもたちがわるいな、とまゆをひそめつつ。
 文乃も、間違いなくこの場にはいるわけで、この条件には合致する。巻き込まれなければいいが…。

 悪い予感ほどよく当たる。俺の長い長い一日が、始まろうとしていた。

 

第二章

 

「これはすごいな……」
 唖然とした、と言っても言い過ぎにはならない。天花大学の学園祭。最寄駅から向かうときから、人は多いな、と思っていたのだが。
 もともと都会にある大学なので、みんながみんな、向かうわけではないだろうと高をくくっていたのがかなり甘かったらしい。
 ひと、ひと、ひと。ひとの波だ。腕時計をちらりと見る。文乃との待ち合わせの11:00にもうすぐなろうとしていたが、ちゃんと会えるだろうか。
 人ごみに不慣れな俺が、そんな不安を抱きかけた時。
「成幸くん!みつけたー!!」
「文乃!」
 たたっと文乃が俺のところに人ごみの間を縫って、駆け寄ってくれる。
「昨日、携帯充電するのわすれちゃってね、ちゃんと落ち合えるか少し心配だったけど……よかった!」
 髪はふたつくくり。いつも通り整った顔立ちだが、高揚しているようで、少し頬が赤く、それがまた魅力的。
 服装は、白いブラウスの上から紺色のTシャツを着ていて、茶色系でまとめられたチェックスカートだ。
「えへへ、どうかな、このTシャツ」
 そういって、くるりと俺の前で体を一回転して見せてくれる。
紺色に白抜きの文字で
「第68回輝星祭 実行委員会」
「出会おう あなたの いちばん星!」
と書いてある。
「かっこいいと思う。へえ、これを実行委員会の人は着てるんだな?」
「うん、そうだよ!それで、困った人もこのTシャツの人に声をかければいいですよってアナウンスもしているの」
「なるほど」
「じゃあ、時間がもったいないから、早速一緒に回ろう!」
 そういうと、文乃は俺の手をとって、俺と文乃は手をつなぐ。そしてにっこり俺に笑いかけてくれる表情は、今日もとても素敵だ。
 文乃と手をつなぐのは、本当に幸せなことに、俺たちの間では自然なことではあるけれど、今日もまた、俺の心をあたたかく、どきどきと、してくれるのだった。

 

 本当に人が多い。一番多いのは、同世代の学生と思われる若い男女だが、家族連れの姿もちらほらと目につく。OB・OGもいるのかもしれない。
 いろんな屋台が店を出していて、カラフルでポップに飾り付けをされている。にぎやかなのに、しかし、縁日のような騒々しさはない。
 そのことを文乃に尋ねてみると。
「えっと、デザインの専門の教授がいてね、のりのりでお店の飾り付けのマニュアルをつくってくれたんだ」
「へえ……」
「何個かセオリーがあるっていってたなあ……。①使う色は3つまでにする、②字体は統一する、変化をつけるなら文字の太さで調整する、③お店を正面からみたときに、一番見てほしい情報は左側に寄せる、とか」
「本格的だな……!」
「どうせやるのなら、本気でやりたいじゃない?そんな学生が多いから例年すごく盛り上がるわけだし、そのお手伝いをするのも、楽しいよ」
 人と人の隙間を進みながら、文乃は本当に明るい表情で話してくれる。どんどん文乃は魅力的になるな、と心底思ったそのとき。
 ひときわ人だかりがしている場所についた。
「一番最初に、輝星祭で一番人気のメニューを紹介するね」
「よぞらに輝く、『ドーナツ・ミルキー・ウェイ!』、だよ!わたしの研究室がみんなやっているんだ。それでね……」
と、文乃がいろいろ紹介してくれようとしたとき。
「あ、古橋!実行委員おつかれ~!あれ?あれあれ??もしかして、隣の男の子、噂の『唯我君』!?」
とお店の中でぱたぱたと走り回っていた一人の女子学生が目をきらきらさせながら俺と文乃を見ている。
「えっと……うん」
「やっぱり!!みんな、古橋が、『彼氏』、連れてきたよ~!!!」
え、ほんと!みたいみたい!そんな声があちこちから聞こえると、俺と文乃は同世代の学生たちにわっと囲まれる形になる。

 俺は文乃の彼氏だ!ということは、もちろん胸を張って言える。
 しかし、釣り合う容姿なのか!?と問われれば、少しぐっと詰まってしまうことも、また事実だ。
 実際、どう評価されるのかは、気にならないわけではないけれども。
 隣で顔を赤らめながら、学生たちに、ラブラブだねえ、とか、優しそうでぴったりだよ~、と言われて照れている彼女。
 そのきれいな横顔の文乃を見ながら、何度思ったかわからないが、俺は相当の幸せものだ。
 そんな俺たちの品評も3分ほどで終わり、みな忙しいのだろう、ぱっと輪が散った後、間を置かずに。
「そうそう、ドーナツ、取り置きしておいたから!」
 そう言って、一人の女子学生が可愛いラッピングのされた甘い香りのする箱を文乃に渡してくれた。
「え、でも、お客さん並んでるんじゃ……」
 そういって文乃は遠慮するが、ぐいぐいとその子に押し付けられる。
「古橋は、実行委員会だけじゃなくて、うちのお店の手伝いも、どっちも一生懸命やってくれたんだから。これくらいどうってことないよ」
 そして小声で、頑張った人に報いないと、天津先輩にどやされちゃうしね、といたずらっぽい顔もしてくれた。
「ありがとう」
 そこで文乃は苦笑いしつつ、その箱を受け取った。
「これが、もしかして?」
「うん。『ドーナツ・ミルキー・ウェイ』、だよ」
 そこで、文乃は俺と視線をあわせると、少し照れたように笑う。
「?」
 なんだろう、と疑問に思うと。
 文乃が箱を開ける。そこには、可愛いトッピングがされた丸いミニドーナツが4個入っていた。
 そして、文乃がきれいな長い指でそれを一つつまむ。
そして。
「はい、あーん」
と、俺に食べさせてくれようとする。嬉しそうに、でも、顔を赤らめながら、だ。
 正直、楽しみにいていたシチュエーション。
 ぱくっと、ありがたく、ミニドーナツを口にして、食べてみる。
「……!!美味しい!!それに、中にさわやかなクリームも入っているんだな……!」
「そうなの!レシピは秘密なんだけど、甘すぎなくてパクパク食べれちゃうんだよ」
「じゃあさ」
「?」
 不思議そうな顔をする文乃に対して。
俺も箱からミニドーナツを一つつまんで。
「文乃にも、あーん」
 ふふふ、と嬉しそうに文乃が笑い、奇麗な形の唇で、はむっと俺の指の先のミニドーナツを半分パクリ。
 そこで俺と文乃は、同じ気持ちなのだと思う、とてもとても幸せで。
「……成幸くん、ありがとう」
「俺もだよ。文乃、ありがとう」
 そういって、見つめあう。

 

 だが。少しだけ、忘れてしまっていたことが致命的。ここが、二人きりの夜空の下、なんかではなく。
 人の往来が多い、学園祭の、人気店の目の前、だということ!!
 気が付くと、先ほど冷やかされた学生たちからの視線もあり(だいたーん!、とか、お互い好きすぎるよね!?、とはしゃぐ声も聞こえた)。
 道行くカップルや家族連れからの視線もあり(昼間からよくやるなあ、俺たちもする?ばか、とか、お母さんも若いころには……いや恥ずかしくてむりだわ、という声が聞こえた)。
 俺と文乃は顔を真っ赤にして、体を縮こませるしかないのだった。

 

 ……この時、俺は、忘れるべきではなかったのだ。
 俺と文乃。二人の仲を祝福してくれる学生だけではないということ。
 『嫉妬』、そして、『僻み』を持つ、いわゆるおひとり様男子学生の存在を……!!!

 

(続く)