古橋文乃ストーリーズ〜流れ星のしっぽ〜

「ぼくたちは勉強ができない」のヒロイン、古橋文乃の創作小説メインのブログです。

光彩陸離たる星々の行方はただ[x]のみが知るものである⑤

第十二章

 

 ここ最近……ずっと。俺、唯我成幸は、おかしい。彼女への気持ちを自覚しまってから、だ。ようやく、と言っていいかもしれない。時間は、かかった。かつて持っていた想いがあり。一度は諦めていたけれど……。もう、誤魔化せなくなった。……いや、違うな。これ以上、誤魔化したくなかったのだ。

 俺の目を覗き込む、大きな瞳が。俺の名を呼んでくれる、その綺麗な声が。触れたら折れてしまいそうな、その佇まいが。笑顔を向けてくれた時の、心が弾けそうなくらい膨らむ幸福感が。その人のこと、全てを思い返すたびに、顔が熱を帯びるのが、わかる。もともと、好ましく思っていた、彼女のそういうところ。

 朝起きた時から。着替えている時も。飯をくっている時も。夢の中で、さえも。……想ってしまうのだ。

 その人、古橋文乃に、逢いたかった。であれば、素直に逢いたい、と伝えればいいのかもしれなかったが。もし、そう言ってしまえば、だ。そんなストレートな言葉に引っ張り出されるようにして、俺は古橋に気持ちを吐き出してしまうような気がしている。
 古橋を、好きだ、というその気持ちが露わにされそうで。想いの自覚はしてしまったものの。この想いを伝えるべきなのかどうかは、また、別物で。男らしくないと言われればそれまでだが、決めかねているのだ。

『……これから急な雷雨になる可能性があります。折り畳み傘があれば、一時はしのげそうですが、その場合は近くの商業施設などで雨宿りをするのが無難でしょう……』

 夕方に差し掛かりかけた時間帯。天気予報を伝える声がテレビから流れている。窓から空を見上げた。昼間は映画で使われてもよいくらいに、美しい青、青、青だったのだが。今では、青空と黒雲が一対一の割合になっている。まるで俺が気持ちを伝えるのかどうか迷っている優柔不断な心の裡を表しているようだ。空の上にいる誰かからも、はっきりしやがれ、と脅されているような気がして、俺は苦笑いをしてしまった。
 それにしても、このままではいずれ黒雲が空を覆い、そこから強い雨が好む好まざるに関わらず降り出しそうだ。安易に予測できそうなこんな状況で出かけてしまえば、いつびしょ濡れにさせられても文句は言えないだろう。
 肉や野菜、果物などの食材も、ビールも、冷蔵庫の中身がいろいろ心許ないことを今更思い出したが、その買い物くらいで外出するのは、得策ではなさそうだ。
 ぴかっ!!
「うお……」
 一瞬の光とほぼ同時に、ごろごろ、という雷の音が響き渡ったと思うと、間髪いれずにバケツをひっくり返したように、滝の中にいるがごとくの大雨が、容赦なく、降り出した。
「やれやれ……」
 8月最初の土曜日がこんなことになるとは。いろいろ波瀾万丈な月になるかもしれないな、と頭の片隅で思うが、平穏が一番だよな、とすぐに思い直しつつ。
 晩飯の準備をしようとするが、古橋が出ているNHKの教育番組を何本か録りためてあったことを思い出した。
「これくらいは……いいよな」
 なぜか少し背徳感みたいなものを抱えつつ、晩飯(かろうじてストックしてあったレトルトカレーだ)は後回しにして、俺は古橋の出演シーンを見返すことにしたのだった。

 

『文乃おねーさん、木星と土星が重なることがあるって、ほんとう?』
 主役と思しき10歳くらいの女の子が、不思議だな、という表情を浮かべて古橋を見る。テレビの中での古橋。何度見ても、変な気分にはなる。
『うん、本当だよ!正確には、一直線に並ぶんだけど、それで二つの星がとても近くになるんだ。きっといつも離れていても、本当はとても仲良しなんだろうね。ほら、ほとんど並んでいるのが、わかるかな?そうだなあ、いつもなら出会うまで100年以上もかかるふたりが、目の前に現れたようなもの。これは、コンジャンクション、っていうんだよ』
 古橋は、ホワイトボードに映し出されている天体写真の、木星と土星と思われる星と星を続けて指し、ぴ、ぴーと、細長い丸を描き、ふたつの惑星が一つの楕円の中で括られた。
 彼女は、難しい星の現象を噛み砕いてわかりやすく話すのがうまい。もちろん、本職だから当然なのだが、一般の人にも星のことをちゃんと伝えたい、という気持ちも強いのだと思う。だからこそ、こういう番組で活躍できているのだろう。
『すごくめずらしいの。数年前にあったんだけど、その前は800年前!』
『わあ、すごい!想像もつかないや……』
『次は、およそ60年後なんだ』
『へえ、だったら私、生きてる間に見られるかも!』
 女の子は、テレビ用なのだろうか、不自然なくらい満面の笑顔を浮かべながら言っていた。
『ふふ、そうだね!まるで、いつのまにか離れてしまった男の人と女の人が、長い時間を経て再会したみたいで、ロマンチックだと、お姉さんは思うな』
 古橋は、笑顔だった。でも、なぜだろうか。テレビ越しに、俺は彼女の寂しさが伝わった気がした。
『……?ふみのおねーさん、私には少しわからないよー』
『あはは、ごめんごめん。ミカちゃんも大きくなったら、きっとわかるから!』
 女の子と古橋のやりとりが続くが、俺は気もそぞろになっていた。この回の収録は、いつだったのだろうか。もしかして、古橋は。俺との再会を待っていたことがあったのだろうか。思い上がりも甚だしいけれど。そんなことを考えるのだった。
 それから、少ししてからのことだった。その人が、俺の目の前に現れたのは。

 

第十三章

 

 ピンポーン。

「……?」

 この槍が降っているが如くの強い雨の中、一体誰だろうか。宅配業者であれば、本当に大変だと思う。労いの言葉くらいはかけてあげなくては、と思いつつ、インターホン越しに出た。
「はい、なんの御用でしょうか」
「やっほー、成幸くん。古橋文乃、だよ」
「……古橋!?」
 コンマ1秒で、いろんな考えが頭を駆け巡る。どうしてきてくれたのか、部屋が汚いままだが許されるのか、ご馳走する準備など何一つできていなが大丈夫なのか……何より。抱えている古橋への気持ちを伝えるのか、どうか。
 だが、すぐに現実に頭を強引に引き戻す。外にいさせたままなのがありえないではないか。すぐさま玄関のドアを開けた。はたして、そこには。

「ふふふ。きちゃった」

 その人は、はにかんだように、控えめに、でも、相変わらず魅力的に笑っていた。俺が、逢いたくて、逢いたくてどうしようもなかった……古橋文乃が、そこにいた。

 

「ごめんねー、シャワー借りちゃって」
「気にすんな。風呂もわかしてるから、ゆっくりつかってきてくれー」
 うちにくる途中で雨に降られてしまったということで、濡れ鼠だったのだ。傘は持っていたものの、ほとんど役に立たなかったそうで。案の定、くしゅん、とクシャミをする古橋をそのままにしておけるはずがない。俺はタオルを貸しつつ、慌てて風呂の準備をして、遠慮しかける古橋を強引に風呂場へ押し込んだ、というわけだ。
 この家で、女性が風呂場をつかったことがないわけではない。桜さんと付き合っていた時には、当然そんなシチュエーションもあったわけで。恋人同士だったのだ、その後は流れで『そういう』ことになることも、ないわけではなく。大人なのだ、そういうものではある。
 とはいえ。今回は、古橋、なのだ。今、気持ちの矢印が強く強く向いている、女性。その人が、裸でシャワーを浴びたり、湯船につかったりしているのだ。古橋の白い肌や、折れそうなくらいに華奢な肢体を思い浮かべてしまうことがやめられない。
 期待する、とか、しない、とか。そういうこととは全く別の問題として、俺の男性器は遺憾ながら中学二年生男子のような反応を示している。情けない。まあまあ、落ち着いて、と声をかける。別人格なのだ、という体で俺はなんとかなだめるしかなく。この隙にできるだけ掃除をしていて気を紛らわせていた。そうこうしているうちに。

 

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「ありがとう……。お風呂、いただきました」
 古橋が、湯上がりでほんのり頬を赤くしつつ、俺の貸した男物のパジャマに身を包んで風呂場から戻ってきた。
「あったまれたか?」
「うん!おかげさまで」
 えへへ、と笑う古橋。可愛いのだ。正直、しんどいほどに。嘆息しつつ、俺は二人がけのソファに座るようすすめた。
「風呂入って喉乾いただろ。何か飲むものを……」
 お気遣いなく、という古橋の声を聞きつつ、買い物にいけてないことに今更気づいた。
「ごめん、飲み物のストックが全然なくて。麦茶でもいいか?」
「うん、もちろん。ありがとう」
 隣いいか、と言って古橋の隣に腰掛けた。そして、麦茶の入ったコップを手渡すと、ぐいぐい、と古橋は一気に飲み干してしまった。
「……少し、緊張してるんだ」
と、古橋。
「緊張って、どうしてだ?」
「……男の人の部屋って、初めてだから」
「……そ、そうなのか」
 古橋は……これまで、男性と付き合ったことは、あったのだろうか。何度か、頭をよぎったことではある。今、付き合っている男はいない、と断言してくれていて、それはもちろん心強いわけだけれど。
 男というのは勝手なものだ。できれば……。古橋がこれまで誰とも付き合ったり、キスしたり……それ以上のことはもちろん。していてほしくない、と考えてしまうから。自分のことは棚に上げてだ。苦笑いするしかない。
「ごめんね、急に来ちゃって」
「いや、大丈夫だよ。それにしても、何かあったのか?」
「ふふ、成幸くんと、約束していたからね。次は、成幸くんのおうちに行くって。急に行って、驚かせたかったんだ」
「でも、雨ひどかっただろ」
「まあ、ね」
 そこで、古橋は少し迷ったように思えた。そんな雰囲気がしたのだ。
「……成幸くんに、逢いたかったの」
「……古橋」
 目と目が、あう。正面から、見つめあってしまう。その言葉に、嘘は、ない。であれば、そこに込められているのは……。そこで、お互い少し視線を外した。……それ以上見つめあっていたら……。お互いの想いみたいなもの、それが混ざり合ってしまって。たぶん、今の関係性が、変わってしまうことに対する一瞬の怯えだったのかもしれない。
「ふふふ、服がぶかぶか」
 空気を普段のものに戻そうとしたのだろう、違う話題に古橋が切り替えた。
 確かに、袖は長いし、肩幅も狭くて生地が相当余っている。……胸元など、視線によってはかなり際どいところもあり。目のやり場に、かなり困りはしていたのだが。
「懐かしいな。成幸くんが、わたしが家を追い出されかけていたところを助けてくれた。お父さんに啖呵をきって、わたしを成幸くんのおうちに連れて行ってくれたんだよね。その時にも、成幸くんのお洋服、借りたんだよ」
「……そうだったな。古橋が水希と一緒に風呂入ったんだ。並んで歯磨きもしてさ」
 記憶が蘇る。そこで、とある言葉を俺がつい漏らしたのだった。
「……新婚みたいだなって、成幸くんが言ってくれたの。覚えてるかな」
「覚えてる。つい、な」
「つい、か」
 古橋の胸中は、わからない。嬉しそうな、寂しそうな、そんな複雑な表情だ。少し頭を振って、古橋はふふ、と静かに笑った。
 いま、誰も来ない部屋で、古橋と、ふたりきり、なのだ。そのことを実感してしまい、どきっと心臓の鼓動のギアが少し上がる。甘い、匂いもする。正直、くらくらしていた。同じシャンプーやボディソープを使っているはずなのに、どうして女性はこうもいい匂いがしてしまうのか。
 隣にいる古橋の体温まで伝わってきて。冗談ですまされないほどに、緊張までしてきてしまう。
 俺の理性が、しっかりしろ、と必死に訴えかけてきていて。俺が、そんな葛藤をしていたその時。肩と肩が触れ合って、お互い、『あ』、と声が漏れ、古橋と俺は目があった。一度、古橋が戻してくれた普段の空気が……。違うものへと、変わっていく。
「……勇気、だよ」
 声にならないくらいの音量で、古橋が何か呟き、俺は聞き漏らす。
「何か言ったか、古橋?」
「ううん、何でもないの」
 俺は、顔を横の古橋ではなくて、正面に向けた。視線を外して、気持ちを落ち着かせなければ、と思ったから。
 俺は、知らなかったのだ。この瞬間の、古橋の強い、まっすぐな、踏み出す覚悟のことを。

 

こつん。

 

 俺の身体は、少しだけ、重さを感じる。

 

⭐️

 

「!?!?!?」

 俺は、あまりのことに声にならない。

 

 俺の左側に座っていた古橋が、そっと、そうっと、俺の左側に寄りかかってくれていた。そして、頭をおそるおそる、というように俺の左肩に、預けている。

 

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ドク、ドク、ドク、ドク。


ドキ、ドキ、ドキ、ドキ。


ドキン、ドキン、ドキン、ドキン。

 

 身体が密着していて、お互いの鼓動がわかる。そして、それが互いに一気に早くなることも、伝わりあっていて。

「ふる……はし」

「……」

 ぎぎぎ、と頭を少しだけ動かして、自分の視線だけ、古橋の横顔に向けた。彼女の顔は……真っ赤だった。平静なわけが、ないのだ。

 

 俺は……鈍すぎた。アホだ。世界一の、大バカだ。

 

 古橋に、ここまでさせなければ……彼女が持ってくれていた、そして、ここまで守ってくれていた、俺に対する気持ちの矢印に、気がつけなかったのだから。

 今、伝えるべき言葉があった。いつかのように、伝えずに後悔するなど……もう、絶対に嫌だ。そう、思う。

「あのさ」「あのね」

 口を開こうとして、それは、古橋も同じだった。お互い、顔を見合わせて、苦笑い。目と目で、どうしようか、と言葉を交わして。俺が、じゃあ、古橋から、と促した。

 古橋が、ゆっくりと、話しはじめた。俺と古橋の関係が、変わろうとしている。

 

第十四章

 

「わたしね。高校生の頃、成幸くんのこと、好きだった」

「……!」

 ……10年越しに、聞かされた、その頃の古橋の心の裡のこと。きっと、ずっと秘められていた、その想い。
 頭をがん、と巨大なハンマーで殴られたような衝撃だった。

 なんとなく、いま、古橋が伝えてくれる言葉に、予想はついていたが、それが、ずっと続いていたかもしれない気持ちだとすれば。俺は……受け止める権利は、果たしてあるのか、どうか。

「あの頃は、わたしは『勇気』がなくて。だから、伝えられなかった」

「……『勇気』?」

 少し、意外な単語で思わず聞き返す。こくり、と古橋は頷いて、話を続ける。

「朝起きた時も。ご飯を食べている時も。りっちゃんやうるかちゃんと笑っている時も。寝る前も。……夢の中、でさえも」

「……!」

 

「好きで、好きで、大好きだったの」

 

 そこで、古橋は笑った。不思議に思う。どうして……この人は、こんなに綺麗なのだろう、と。美人とか、可愛い、とかでは括れない。怖いほど、俺はこの目の前の人に、惹かれてしまっている。

「成幸くんと、また会うことができて、信じられなかった。正直、浮かれてもいた。運命なのかなって」

 そこで、古橋は視線を少しだけ落とした。自分の立つ場所を、今一度確かめるように。

「でも、現実には、成幸くんには彼女がいたこともあった。今、付き合っている人がいないとしても。成幸くんには、それまで、好きだった人がいたわけじゃない?それは、わたしじゃなかった」

「……」

 それは、否定できない。俺は、桜さんが好きだった。だから、付き合った。今は振られて別れていたとしても。過去、いくら古橋を憎からず思っていたとしても。それは、揺らぎようのない事実。

 そこで、古橋は顔をあげた。その瞳には、強い、強い、まっすぐに俺を照らす、強い光があった。一等星だ、直感的にそう思った。俺と古橋の今の緩やかな関係性を維持してきた、自分の立つ場所から飛び出す覚悟を感じた。
「高校生の頃のわたしなら、すぐに諦めていた。成幸くんを想い、結ばれている人がいたとしたら、って」


「でも、今は違うの」


 自分を奮いたたせるように、古橋は一つ息を吸い、吐いた。『勇気』を出しているのだ。そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰があなたを好きでも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたが誰を好きでも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしはあなたに、心のまん中にある『今の』自分の気持ちを伝えたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「唯我成幸くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うん、と小さく俺は頷く。彼女の言葉を受け止める覚悟があることを意思表示するために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしはっ……」

 古橋の瞳が、涙で光っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あなたが、好きなんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、古橋の目から、すうっと頬を涙が伝っていき……大粒の涙が溢れ落ちていく。その軌跡は、流れ星の尻尾のようだ。輝いて、煌めいて、眩しくて。その流れ星は、願いじゃない。想いを乗せて。

「……ずっと、ずっと、ずっと……」

「好きなのっ……!」

「古橋……」

 俺は、泣きそうになるのを必死に堪えていた。そっと、古橋の涙を指で拭いとる。それは、宝石のようで。でも、宝石よりも、尊い。そこに込めてくれている、好き、という気持ちの透明度は、なによりもクリアーだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと、言えた……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………っ」

 やっと、と彼女は言ってくれた。その言葉は、星屑だった。きらきら、きらきら、きらきら。ほっとしたように、泣きながらも笑う古橋を見て、俺もまた、もうダメだった。ぼろぼろ涙が止まらない。

 古橋はどれだけの想いを積み重ねていてくれたのか。それは決して短い期間ではない、10年間。俺は高校生の頃古橋へ少なからず抱いていた好意を貫けていなかったというのに。

 胸の中に溢れはじめていたマグマのように沸騰し続ける熱の名前。『愛しい』。その気持ちは、こういうことなんだ。そう、思えた。

 ようやくお互いの涙が止まった古橋と俺の視線が交錯した。同じ気持ちを共有している、そう思えた。身体が、火照っている。熱い、熱い……熱い!

 

 あの頃、恋をしていた。そして、今、もう一度。だからなのだ。

 

俺は、古橋に。
古橋は、俺に。

 

 心の鏡を覗き込んで、そこには自分ではなくて、お互いを見つけたんだ。想いが跳ね返りあった。

 

奇跡が、そこにあった。
この奇跡は、本物だった。

 

 星の数ほど人がいて、出会いがあり、別れもある。だけど、だけど、だけど。もう一度だけ……心が重なることも、あるのだ。

 

 気持ちが交わされあう。目と目、だけで、わかる。俺は、少しずつ、古橋に顔を近づけていく。古橋が、長いまつ毛で縁取られた瞼を、そっと閉じる。決して衝動的に、ならないように。自分の唇を、古橋の形の整った同じく唇に、そっと押しつけて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キスを、した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 大切な人。愛しい人。好きな人。いや。もう、言葉ではいいあらわせないのだ。……だから、行動で示すしかなかった。

 今ほど永遠という言葉を欲したことはなかった。実際は数秒でしかないだろう、でも、このまま時が止まればいい、そう心から思えた。信じられないくらいに、『幸せ』な時間。

 ばくん、ばくん、ばくん。心臓のギアはもうとっくに一番上のもので、だから限界だ。もう、爆発しそうだった。

 このキスは、一生忘れない。忘れたくない。心に刻みつけたい。それほどに……。

 

 俺は、古橋文乃を愛しているから。

 

 その気持ちを認めることを恐れて、気づいてからも伝えることを惑う。そんな俺の、本当にくだらない葛藤。随分と、遠回りしたものだ。

 バカバカしいほどにシンプルなそのこと、嫌というほど思い知る。

「……キスって、唇の味がするんだね」

「……ん?」

「ファースト・キスって、レモンの味がするんだと思っていたから」

 えへへ、と古橋が笑う。俺の大好きな、優しく俺の心ごと包んでくれる視線を向けてくれながら。

 もう、俺の理性は役に立たなそうだった。ブレーキ役にはならない。でも、それでよかった。この場では、心のまま、だ。

「古橋、俺、もう……」

 古橋の瞳は潤んだまま。俺が何を求めているのか、わかってくれているようで、小さく頷いてくれた。

 そして、もう一度、キスをしようとした時。

 

ピンポーン。

 

 玄関のベルが鳴る。それで、俺と古橋にかけられていた魔法が一旦解けてしまう。ぼんっ、とお互い顔から火が出そうなほど真っ赤になり、そっと距離をとって。照れ笑いをした。

 タイミングの悪すぎる来訪だ、とドアに近づく。ピンポーン。ピンポピンポピンポピンポ………………。

「???」

 連打されるベルの音。悪戯だろうか、それにしてはタチが悪すぎる。それとも急ぎの用件、なのだろうか。俺は、玄関を開けた。そして……目を見張る。

 この場にもっとも相性が悪く、いるべきではない、招かざる女性がそこにはいた。不吉を告げる、ブラックバードだった。

(続く)