【卒業生代表として】
「卒業生代表、古橋文乃」
「はい」
古橋が、しんとした静寂の中、全校生徒が整然と座っているところ、ひとり立ち上がると、演壇に向かった。
背筋をぴんと伸ばして歩いている姿は凛としていて。とても、かっこいい。いつものふわりとして笑顔の可愛い古橋とは、まったく違う雰囲気だ。
演壇に立つ。
「桜の蕾がこれからまさに花開こうとしています。風は優しく、旅立つわたしたちの背中を押してくれているようです」
卒業生代表としての、答辞だ。
「本日は、わたしたち卒業生のために、誇らしく思える卒業式を挙行していただき、心より、感謝申し上げます」
「先生方をはじめ、ご来賓、ご父兄の皆様に御臨席いただく中で、卒業できることを卒業生一同を代表し厚く御礼申し上げます」
「みなさまのあたたかい眼差しなしには、今のわたしたちはありません」
そこで、少し古橋が上を見上げる。たぶん、古橋のお袋さん、静流さんへの、気持ちをこめたものなのだろう。
「入学して以来、多くの先生方のご指導を賜ってきました」
「わたしたちは、それぞれ、この三年間、精一杯の青春をおくってきました。部活で懸命に汗を流し、切磋琢磨し、共に高めあったみなさん。武元うるかさんの素晴らしい活躍は、わたしたち在校生を誇らしく、そして、奮い立たせてくれるものでした」
「級友たちと助け合い、大きなイベントを成し遂げてきたみなさん。深めた絆は、大きな宝になるでしょう」
「将来を見据え、進路を目指して懸命に勉強をしてきたみなさん。この経験は必ず役に立ちます」
そこで。古橋は、こちらをみやった。遠い距離だが……俺のことを見てくれているのは、伝わった。俺と古橋は。いろんなことを乗り越えて、心が通い合っているから。自惚れなんかではなく。確信に近い。
「わたしは、『できない』生徒でした。それでも、助けてくれる、寄り添ってくれる、支えてくれる、『先生』との出会いもありました」
「素晴らしい出会いが、わたしを変えてくれたんです。かけがえのない、わたしの宝石です」
「卒業生のみなさんも、思い起こしてください。たくさんの、出会いのことを。出会いがもたらした、楽しくてあっという間に過ぎ去っていった日々のことを」
「わたしたちは、今日、卒業します。別れの時です。しかし。それは、前へ進み、新しい出会いのための、別れなのです」
「そんなわたしたちを、これからもあたたかく見守り、導いていただくこと、御列席の皆様にお願いいたします」
「わたしたちの笑顔と、涙が、3年間の、答えです。わたしの拙い言葉よりも、ずっと、もっと、伝わるものだと思います。卒業生一同の想い。みなさん、隠す必要はありません!目一杯、心のままに、表現してください!以上をもって、わたしの答辞とさせていただきます」
「県立一ノ瀬学園 卒業式一同代表 3年A組 古橋文乃」
俺は……いつのまにか拍手をしていた。古橋文乃の、素晴らしいメッセージに。俺たち卒業生の思いを、代弁してくれたその言葉たちに。拍手は、すぐに広がり、万雷の拍手となったのだった。
【恋する女の子として】
卒業式が終わり。教室で、クラスメイトたちや他のクラスの仲の良かったやつらと、写真をとったり、色紙をかきあったり、それはもう、卒業イベントらしいことをして。うるかや、緒方とも、話を交わして。うるかは、オーストラリアに行く。水泳の才能をとことん極めるその姿は、ひたすら眩しい。緒方も、志望した心理学を学ぶために、大学へ行く。目を輝かせながら未来に思いを馳せていて。緒方もまた、かっこよいのだ。
そして。今、俺が一番会いたい人。教室を探しても見当たらず。だけど、心当たりはあり。
「見つけた」
「あ、成幸くん」
古橋は、いつも俺と文乃が話していた場所に座っていた。俺の姿を見るなり、笑顔を見せてくれて。俺は、ドキッとしながら、古橋の右隣に座った。
「答辞、おつかれさん。これ、差し入れな」
そう言って、ペットボトルの温かい紅茶を渡した。
「ありがとう!……さすがに、少し疲れたかな。緊張したよ〜」
「古橋は、すごいよ。かっこよかった」
「えへへ……照れちゃうな」
そして。
こつん。
古橋が、俺の肩に、そっと寄りかかる。
俺は一気に心拍数が上がってしまう。古橋も同じみたいで。早鐘を打つ、心臓の音が伝わってきた。
「少しだけ……甘えさせて。がんばったから」
「……俺なんかでよければ、どうぞ」
この時、世界は、二人きりだった。
ただ、古橋の熱を、感じていた。
「ふふ」
古橋が、小さく笑う。
「どうした?」
古橋は、そっと身体を起こして、まっすぐに俺を見据えた。
「唯我成幸くん」
「あなたは、『できない』わたしの教育係でした」
「あなたは、女心に疎くて、わたしが師匠になったこともありました」
「あなたは、弟みたいな存在でもあり。わたしが面倒をみてあげなくちゃ。そう思うこともありました」
「わたしはっ……」
そこで、古橋の目から、一筋の涙が流れる。そのまま。
「あなたに、恋をしていました」
「優しいところ。寄り添ってくれるところ。支えてくれるところ」
「わたしの青春は、あなたそのもの」
「……大好き、だよ」
古橋は、泣き笑いの表情だ。
俺は……古橋の言葉の途中から、ぼろぼろ涙がとまらなくなっていて。かっこ悪くてしょうがないのだが……。
古橋の手に、俺の手を重ねる、俺も、伝えたい言葉があった。
「古橋、文乃さん」
「あなたは、俺の『生徒』で。『師匠』で。『お姉ちゃん』で」
「俺に、たくさんの思い出をくれました」
「旅館で一緒だったし。台風の中デートみたいなこともしたし。星空も見あげたし。…今みたいに、肩に身体を預けてくれることもあったし」
「恋をしていました。どうしようもないくらいに、あなたが、好きになりました」
「あなたが。あなたがいてくれたから。俺は、前を向いていられるんです」
「あなたを、ずっと、支えます。隣にいさせてください」
俺と古橋は、二人とも泣きながら笑顔をつくる。
「ずっと、隣にいてね。ずっと、一緒にいてね」
「あたりまえだろ」
俺と古橋は、そんな約束を交わし合う。
俺と古橋の高校生活が、もうすぐ終わるのだけれど。
俺と古橋は、これからもずっと一緒で。
新しい物語もまた、もうすぐ始まろうとしているのだ。
俺は、愛しい隣の女の子。古橋文乃を、少しだけ力を込めて、もっと抱き寄せるのだった。
(おしまい)